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目  次

はじめに 戦場のスター「ドイツ装甲師団」(バリー・ピット) 4
1 ヒトラーの一声で生まれた装甲軍 7
2 スピードの勝利、ポーランド侵入 28
3 奇襲・集中攻撃でフランス席巻 43
4 機動力分散しアフリカ、バルカンへ 78
5 モスクワを目前にして総退却 101
6 砂漠を駆けるロンメル軍団 134
7 スターリングラード争奪戦 155
8 グデーリアン、装甲軍を再建 176
9 物量作戦に新鋭戦車もむなし 190
10 連合軍、ノルマンディ上陸 213
11 最後の決闘「バルジ」作戦 236
12 不滅の栄光にかがやく装甲師団 253
 訳者あとがき(加登川幸太郎) 264
 解説に代えて(大木毅) 265


はじめに

戦場のスター「ドイツ装甲師団」
バリー・ピット

 第二次世界大戦以降#戦車$はまったくなじみぶかいものになっている。しかし、第二次大戦の直前には、当時の権威ある軍事評論家でさえも、きたるべき戦争では、機動力として、馬がいぜん重要かつ決定的な役割をはたすであろうと予言していたのである。
 このように、今日ではほとんど信じられないような風潮のなかで、すぐれた洞察力と創造力をもったごく一部の軍人たちは、#戦車$のもつ無限の可能性と将来性を信じ、機械化された装甲兵力を重視せよと、あたらしい戦術理論を提唱していた。
 だが、頭がかたく、保守的な軍首脳は、これらの進歩的軍人の意見に耳をかそうともせずに、かれらを邪魔ものあつかいしていたのである。
 今日、その功績を高く評価されているイギリスの有名な軍人たち――フラー、マーテル、ホバート、ブロード、パイル各将軍やリデル・ハート陸軍大尉〔バランタイン版第二次世界大戦ブックスシリーズの総監修者〕――も第二次大戦前は#新しがり屋の戦車狂$というレッテルをはられて、さんざんな目にあわされていた。
 フランスのシャルル・ドゴールも、戦車を活用すべきことを積極的に主張していたが、かれの理論も、フランス軍首脳にはまったくうけいれられず、先駆者の悲哀をかみしめていた。
 しかるに、ドイツでは、第一次大戦末期のにがい経験から#戦車$については、まったくちがった評価をしていた。
 一九一八年〔大正七年〕、第一次大戦でドイツが降伏においこまれたとき、連合軍戦車にじゅうりんされた記憶がなまなましく、戦車が破壊的威力をもった驚異的兵器であることを、体験的に知っていたのである。
 二〇年後、ドイツは、この経験をいかして、どの国にもおとらぬ戦車部隊――装甲兵力――を創設した。数量の点では、連合軍におよばなかったものの、技術、戦術理論の点ではより強力であり、しかもはるかに高い士気を備えていた。
 さらに「ドイツ装甲師団」は、体力気力ともにすぐれた、えりぬきの将兵からなっていた。かれらは、猛訓練にたえつつ、ヴェルサイユの恥辱をはらし、祖国の誇りをとりもどそうという熱意にもえていた。
 かれらは、戦士中の戦士であり、その素質は、ドイツ空軍将兵にまさるともおとらぬ優秀なものであった。
 このドイツ陸軍の#サラブレッド$
ともいうべき「ドイツ装甲師団」がどのようにして誕生し、育てられ、戦場のスターの座についたか、ということは、第二次大戦の物語のなかでもとりわけ興味ぶかいものがある。
「ドイツ装甲師団」は、まさに電撃戦の立役者であった。かれらは、ドイツ軍の先鋒として、北ヨーロッパを駆けめぐり、ポーランド、オランダ、ベルギー、フランスをひきさき、雪のロシア戦線、灼熱のアフリカ戦線にも、キャタピラーをきしませて、縦横無尽にあばれまわった。
 そのスピードと破壊力は、軍事技術上の#革命$とさえおもわれた。
 本書の著者ケネス・マクセイは「ドイツ装甲師団」をひきいたルントシュテット、マンシュタイン、グデーリアン、ロンメルなどの名将の活躍をいきいきとよみがえらせるとともに、「ドイツ装甲師団」が、その能力と理論をあまりにも過信したために、やがて#栄光の座$をすべりおちて#悲惨な末路$をたどっていく姿を、あますところなく描きだしていくのである。
 

訳者あとがき
加登川幸太郎

 本書『ドイツ装甲師団』の語るドイツ陸軍興亡の歴史は、ドイツだけの物語ではない。新軍建設期の摩擦や抵抗などは、どこの国にもある例であるし、既存の軍を、科学技術の発達と他国との競争におくれぬよう、編成装備や戦略戦術をたえず改変していくことのむずかしさを述べている。
 独特の装甲師団をつくって四年目、#電撃戦$で世界を驚倒させたドイツ陸軍も、五年後には競争に負けた。いちおうの軍備をもつことは、さしてむずかしくないが、その威力を三年、五年とたえず改善維持していくことは、なみたいていのことではない。
 日本海軍の例で、巨大戦艦「大和」や「武蔵」が航空攻撃のまえに手も足もでなくて沈んだ軍事界の変化は、設計開始からわずか一〇年後の出来事であった。
 ドイツ装甲師団の電撃戦に蹴ちらされた国々の軍備など、なんのためにもっていたかといわざるをえない。
#兵$はがんらい凶器であるが、時代おくれの軍備など、存在すること自体が犯罪である。なんにもならないのに力をもっていると錯覚させるおそれがあるからである。
 ドイツ装甲師団の連続電撃戦のころ、わたくしは北支那方面軍参謀として北京にいた。ポーランド戦のころ、われわれの関心は、ソ連軍機械化部隊によるノモンハンの敗戦にあったので、ヨーロッバどころではなかった。ノモンハンが第二次大戦での電撃戦に先だつ、旧式軍と新式軍との戦いの見本であった。
 日本陸軍は、その教訓をじゅうぶんにくみとらぬうちに、またくみとったとしても、なんともできぬままに大戦に突入した。大部分が、前近代的兵備のまま戦いつづけたのであった。
 敗戦の混乱のなかで知られずにすぎたが、降伏直前に満州にとびこんできたソ連軍の大機甲集団は「祖国戦争」満四ヵ年の、みがきのかかった精鋭であり、ドイツ装甲師団の比ではなかった。そして、これがドイツ軍の創始した電撃戦の大戦最終版であった。戦後版でいえば、一九六七年六月の、イスラエルの中東戦争であろう。ともに威力は決定的であった。


解説に代えて
 栄光と悲惨 ――ドイツ装甲師団の誕生と終焉
大木 毅

 新たな世界大戦の足音が近づいていた一九三九年七月、フランスのウェイガン将軍は、「フランス陸軍は、史上かつてないほどに強力であり、最良の装備、第一級の要塞、ずば抜けた士気、傑出した最高司令部を有している」と宣言した。
 将軍は、来るべき戦争において、難攻不落の要塞マジノ線に拠るフランス軍は、再びドイツを屈服させられるものと確信していたのである。
 これはまた、おおかたの専門家やジャーナリストたちの一致した意見でもあった。かりにドイツと戦争になったとしても、世界最強の海軍を有するイギリスと精強な陸軍をもつフランスの連合が勝つことは自明の理とされていたのだ。
 だが、欧州で第二次世界大戦が始まって一年も経たないうちに、彼らは勝ち馬を見誤ったと悟ることになる。
 一九四〇年五月、アルデンヌの森を突破したドイツ軍は、連合軍の戦線を分断、連合軍主力を包囲撃滅したのだ。二ヵ月にも満たぬ戦役で、「近代史上もっとも圧倒的な勝利」(リデル・ハート)が獲得されたのである。この輝かしい勝利の立役者こそ、本書の主題であるドイツ装甲師団であった。
 ドイツ装甲師団が、戦史上もっとも卓越した組織のひとつであったことには、おそらく何人たりとも異論を挟めないであろう。それは、単に戦車を主体とし、歩兵や砲兵までも自動車化した快速部隊というだけではなく、指揮の方式や通信といった、近代の軍隊を有効に機能させる上で不可欠の分野において、他国より一歩も二歩も先んじていた。
 二五〇〇両の戦車によって、三〇〇〇両の戦車を保有する英仏連合軍を撃破するという、ドイツ装甲師団が演じてみせた魔術の種は、このあたりにもあったのだ。
 かくて、装甲師団はドイツ国防軍の先鋒となり、西ヨーロッパのほとんど、さらにはヨーロッパ・ロシアの主要部分を征服することを可能とした。
 また、退勢にあっても、ドイツ装甲師団は巧みな防衛戦を展開し、ときには数に優る連合軍に痛打を与えさえした。敗戦の半年前に、なお戦略的攻勢(アルデンヌ攻勢、いわゆるバルジの戦い)を実施し、連合軍を震撼させたことは、ドイツ装甲師団が備えていたポテンシャルを如実に示すものといえる。
 それゆえ、ドイツ装甲師団の制度や組織、戦術などは、敵国であったアメリカの軍人たちによって、熱心に研究されてきたし、皮肉なことにナチス・ドイツの犠牲者であるユダヤ人が建国したイスラエルの軍人たちもまた――周囲を敵に囲まれているという、かつてのドイツと同様の地政学的条件のためか――ドイツ装甲師団の戦史に学んでいるのである。
 自身、機甲部隊に勤務した経験がある著者のケネス・マクセイは、このドイツ装甲師団の誕生から滅亡までを丹念に、ひとつの叙事詩のごとく描写していく。
 これを三幕物の舞台劇に喩えるなら、第一幕は、有名なグデーリアンやトーマ、ルッツといった先駆者たちが、軍上層部の無理解と戦いつつ、戦車を主役とする新しい兵種、装甲部隊を築き上げるまでとなる。彼らの多くは、自ら育て上げたドイツ装甲師団を率いて、ポーランド、ベネルクス三国、フランス、バルカンでかがやかしい勝利をあげていくのだ。
 第二幕は、さしずめ逆転とでも題することができるだろうか。驕(おご)れる独裁者ヒトラーの命のまま、ドイツ装甲師団は一九四一年、より苛酷な戦場に投入される。東方の巨人ソ連との死闘だ。
 作戦開始からしばらくのあいだは、ドイツ装甲師団はかわらぬ猛進撃を示したが、すでにこの時期に、戦争が違った局面に向かいつつあったことは明らかだった。「大祖国戦争」を呼号するスターリンの指導のもと、ソ連軍はねばり強く戦いつづけ、ついには冬将軍とT34をはじめとする新型兵器の助けによって、モスクワ前面で反撃に転じる。
 ドイツ国防軍、そしてドイツ装甲師団の無敵神話は崩壊した。翌四二年以降のスターリングラードの戦いまでの一大消耗戦によって、ドイツ装甲師団は戦力をすりへらしていく。
 一方、北アフリカの戦場においても、「砂漠の狐」ことロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団が同様の経験をしていた。ロンメルの巧妙な作戦に翻弄されながらも、対するイギリス第八軍はしだいに装甲部隊の何たるかを学び、自らの組織を向上させていったのだ。
 やがて、両軍の戦術が拮抗(きっこう)するようになると、今度は物量が物を言う。この物量戦、言い換えれば総力戦こそ、持たざる国ドイツが何としても避けたいと欲し、それがためにドイツ装甲師団という利剣(りけん)を鍛えてきたものだったのだが、それを逃れることはもはやできなかった。
 勇名を馳せたドイツ・アフリカ軍団もエル・アラメインの鋼鉄の嵐のなかで敗退し、そして米英連合軍の追撃に、降伏の憂き目を見ることとなるのだ。
 かくて、第三幕、ドイツ第三帝国の神々の黄昏(たそがれ)が訪れる。装甲軍総監に就任した名将グデーリアンによるドイツ装甲師団再建の努力も空しく、東はクルスクの大戦車戦に敗れ、西では連合軍のノルマンディ上陸を迎えたドイツ装甲師団は、米英ソの巨大な物量の前に滅びの支度をはじめるほかなかった。
 装甲師団の将兵たちは、機会を捉えては、連合軍に反撃を仕掛け、その心胆(しんたん)を寒からしめたが、局地的勝利はもとより狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)にめぐらすことはできない。
 こうして、ヨーロッパを縦横に駆けめぐったドイツ装甲師団も、アルデンヌ攻勢の初期の成功を白鳥の歌として、歴史の舞台から退場していくのである。
 著者ケネス・マクセイは、このようなドイツ装甲師団の興亡を、あるときは冷静な批判を込め、あるときは情熱的な筆致で、過不足なく活写している。このあたりは、軍人であると同時に、歴史家である著者の面目躍如であろう。
 さて、最後に、筆者の個人的な感慨を記すことを許していただきたい。
 筆者がドイツ軍事史に関心を抱いた一九七〇年代初めには、日本語で読める資料はまことに少なく、そのなかにあって、ドイツ装甲師団の栄光と悲惨を描いた本書はほかに類を見ないものであった。
 以来三十年近くをへて、資料をめぐる状況は格段に向上した。グデーリアンやマンシュタインといったドイツの将星たちの回想録、戦車ファンの垂涎の的であったドイツのモトーアブーフ社の一連の書籍も翻訳されている。最初、本書の監修と解説を依頼されたとき、筆者が一抹の躊躇を感じたのは、こうした現況ゆえであった。さしものケネス・マクセイの名著も、現在の資料の氾濫ともいうべきなかに投じられては、色あせ、古びたものとなりはしないかと危惧したのだ。
 だが、それは杞憂であった。
 再読した筆者は、ドイツ装甲師団の歴史を一冊にコンパクトにまとめたものとして、本書は今日なお価値を失っていないと確信できたのである。
 良書は時間の侵食に耐えた。
『ドイツ装甲師団』の再刊に賛成し、ドイツ軍事史、あるいは広く軍事や歴史に興味を持っておられる向きに一読を薦める所以である。
 なお、再刊に際して、前の版では未訳であった部分、原稿用紙にして約七〇枚ほどを、新たに翻訳して全訳としたことを付け加えたい。


ケネス・マクセイ(KENNETH J. MACKSEY)
1941年以来、イギリス陸軍将校として、戦車連隊、機甲軍団に勤務し、英十字章を受ける。少佐で退役。退役後は軍事評論に専念し、多くの著書を発表。主著に英国戦車連隊小史『青い草原のかなたへ』、西部戦線の英機甲部隊の奮戦を描いた『ビミー丘の暗い影』、『ロンメル戦車軍団』がある。

加登川幸太郎(かとがわ・こうたろう)
1909年生まれ。陸軍士官学校42期、陸軍大学校卒、陸軍戦車学校教官、北支方面軍参謀、大平洋戦争開始のとき陸軍省軍務局軍事課員、第2方面軍、第35方面軍、第13軍参謀として、ニューギニア、レイテ、仏印、中国を転戦、終戦時中佐。1947〜50年、GHQ戦史課勤務。1952〜67年、日本テレビ勤務、編成局長。主な著書に『三八式歩兵銃』『戦車』、訳書に本シリーズの『零式艦上戦闘機』がある。1997年死去。

大木毅(おおき・たけし)
1961年東京生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。1990年より92年にかけてDAAD(ドイツ学術交流会)奨学生として、ボン大学に留学。ドイツ現代史専攻。千葉大学そのほかの非常勤講師をへて、現在、昭和館運営専門委員。主な著書に『太平洋戦争の終結』(細谷千博ほか編、共著、柏書房)、訳書に『タイムズ第2次世界大戦歴史地図』(共訳、原書房)などがある。