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目 次

第1章 大砲は火を噴かなかった   8
    ─パラオ中心部の守備─
海軍通信施設  8
マラカル砲台  10
アルモノグイ砲台  12
沿岸砲陣地  14
特二式内火艇  15
朝日村  16
南洋神社燈籠  17
零式艦上戦闘機52型  18
監視哨  20
洞窟の地底湖  21

第2章 帰還せず   22
    ─戦没航空機─
零式艦上戦闘機
ウルクタープル島沖  24
ウルクタープル島南岸  28
オロフシヤカル島沖  30
零式水上偵察機
アラカベサン島沖  34
アイライ州沿岸-1  42
アイライ州沿岸-2  44

第3章 3月30日   46
    ─戦没艦船─
明石・・48
あまつ丸・・50
石廊・・52
浦上丸・・58
神風丸・・60
吉備丸・・62
佐多・・64
忠洋丸・・66
てしお丸・・70
那岐山丸・・74
備中丸・・78
雷山丸・・80
隆興丸・・82

第4章 名前のない船   84
    ─戦没艦船─
ブイ6レック・・86
ヘルメットレック・・88
大発動艇・・96
第1号輸送艦・・98

第5章 英霊の影を求めて   100
    ─艦船内への進入─
てしお丸 あまつ丸 忠洋丸 石廊
第6章「サクラ、サクラ」   130
    ─ペリリュー島、アンガウル島玉砕─
千人壕  130
西浜(オレンジビーチ)  132
ペリリュー飛行場  133
零式艦上戦闘機52型  134
海軍司令部  136
大山の「短砲」  138
九五式軽戦車  139
洞窟陣地(最後の司令部)  140
三十四会地下洞窟壕  142
洞窟壕に鎮座する英霊  143
米軍艦上攻撃機  144
米軍M4戦車  145

著者あとがき  147
  関係年表  6
  パラオ諸島戦跡地図  7
  ペリリュー島戦跡地図  131


著者あとがき

 世界の海を旅し、いわゆる「癒し」の風景を写真に切り取ることを主な仕事としていたわたしが、一転していま、暗く濁った深い海底に潜り、そこに眠る鋼鉄の英霊たちに光を当てる作業をライフワークとするようになったのは、2002年5月、パラオ共和国のトミー・E・レメンゲサウJr.大統領夫妻と共にその海に潜ったのがきっかけでした。この潜水で初めてわたしは、太平洋戦争から半世紀以上も経た日本の艦船が、自然の宝庫といわれ南海の楽園といわれて多くの観光客を集めるパラオの海の片隅に、その美しい風景とはまったく不釣合いな痛ましい姿でいまだに残されたままであることを知ったのです。
 聞けばその数は、小型の船艇や船名不詳の漁船なども含めると合計50隻以上。ところがそれらは、みな海底という永遠の日陰にあって、忘却と無知の彼方へいまにも消えゆこうとしていました。そうなれば、これらの艦船で戦死された方々もまた同じ運命を辿ることになります。それは何としてでも食い止めなければなりません。なぜなら、現在の日本の繁栄と豊かさは、紛れもなくこの方々の犠牲に因っています。犠牲という言葉が適切でないなら、今日の我々の生活は、祖国と家族を守らんとしたこの方々の勇気と愛、そしてその死の上に成り立っていると言い換えてもよいでしょう。
 ならばこの方々に対して抱くべき恩義と感謝の念を不朽のものとすべく、いまにも消えゆきそうな記憶を取り戻し、その事実に光を当て後世に残してゆく試みこそ、その死を無駄にしないためにも、また日本と日本国民の恒久平和のためにも我が使命と自覚し、本書を作りました。そのための取材は、大統領夫妻との潜水を出発点として足掛け5年、9回の渡航(うち、戦没艦船と戦没航空機の水中撮影のために要した海底での滞在時間約260時間)に及び、そこで撮影した陸上・水中合わせ約2万8,000枚の中の120枚の記録が、ようやくいま日の目を見る日を迎えます。それは、消えかけ忘れられかけた「事実」が確かなものとして、改めて歴史に刻まれる記念の日です。
 さて、こうして本書に記録した戦没艦船17隻中、少なくとも13隻が、米軍による1944(昭和19)年3月30日と31日のパラオ大空襲によって沈んだものです。この2日間で日本の在泊艦船は潰滅。パラオ中心部の地上施設、水上機基地、そして保有航空戦力の大方も失い、パラオ周辺の制海・制空権は敵に奪われます。また、残る地上主兵力の大部分はパラオ本島のジャングルへと転進し、残存兵力による反攻も事実上無力な状態に陥りました。のちにペリリュー、アンガウル両島に配備された守備隊が、掩護も補給路も断たれて孤立し、やがて弾も糧秣も尽きて壮絶な玉砕戦を戦い散ってゆくことになる運命は、すでにここで半ば決まってしまったようなものでした。パラオ大空襲は、パラオにおける日米両軍の実質的な「戦争」の幕開けであると同時に、その結末までを決する大きな意味を持つ攻撃だったのです。
 それだけの大打撃だったにもかかわらず、地上に現存するその空襲の爪痕は希少です。しかし海底に眠る遺物=戦没艦船と戦没航空機は違います。あるものは横倒しとなり、あるものは天地逆さまとなり、あるものは真っ二つに折れ曲がり、大破口を覗かせ、まさに身をよじり断末魔の叫びを上げながら海に没したその瞬間を、今なお生々しく伝える貴重な歴史の「証人」です。この「証人」は、これらと運命を共にした乗組員・搭乗員のみならず、パラオにおける戦没者の方々全員の辛苦と無念と痛みを伝える「代弁者」として存在しているのです。本書でこれら戦没艦船と戦没航空機の水中写真に多くの頁を割き、ことさらこだわったのは、そうした理由からです。
 ただし、あまねくパラオ諸島で散華されたすべての英霊の御霊を等しく追悼する意はもちろん、パラオ諸島で繰り広げられた戦闘の全貌を多少なりとも明らかにして伝えたいという思いから、巻頭にはパラオ中心部に残る戦争遺物を、そして巻末にはペリリュー島に残る戦争遺物の写真群を配しました。特にこの部分において厳密なる戦史考証の監修を授かり、ともすれば恣意に傾きがちな本書に根拠ある写真資料集としての価値をご恵与くださいました倉田洋二、高村聰史両先生には、特段の敬意と感謝の言葉を申し上げるものです。
 とまれ、本書制作にあたっては、実に多くの方々から、あついご支援とご協力を賜りました。また、パラオから生還された元軍人の方々やご遺族の方々はじめその関係者の皆様や学究に携わる諸先生方より、心強い激励と共に貴重なご教示や資料のご提供を賜りました。本書はこれらすべての皆様と共にあるということを申し上げ、列記すれば際限なきため敢えてここではその個々のご芳名を割愛させていただく失礼をお許しいただき、末筆ながらこの場を借り皆様に心からの御礼を申し上げる次第です。
 こうしたご縁と廻り合わせに恵まれ今回の出版と相成りましたことは、何より、パラオ諸島に今なお眠る英霊の方々のお導きと泉下より送られたご加護の賜物であると受け取り、これら英霊の皆様へ深い追悼の意を表し、深謝を捧げるものであることを述べ、後記の結びとさせていただきます。
 最後までお読みいただきまして、真にありがとうございました。合掌。
2007年2月
田中正文


田中正文(たなか・まさふみ)
1959年生まれ。刻一刻と失われてゆく世界の海の自然と野生を内外で発表する一方、2002年より、太平洋戦争時に沈んだまま忘れ去られていこうとする日本の戦没船と戦没航空機など、海底の戦争遺物に光を当てる作業をライフワークとする。深所での長時間の潜水を可能にする閉鎖循環式潜水器具を使用する日本ではただ一人の職業写真家であり、その技術により戦没船内部など最も危険とされる種類の水中撮影を行なう新進気鋭の戦跡写真家として、本書は処女作となる。(社)日本写真家協会会員。市川写真家協会理事。