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まえがき

 第2次世界大戦におけるアメリカ軍兵士の軍服の進化は、1945年以降の世界各国の軍隊に多大な影響をおよぼした。アメリカ合衆国陸軍は兵士がさまざまな気候で戦うために必要な、着やすくて丈夫な被服を開発した最初の軍隊である。1941年までの世界主要国は兵士たちに基本となる一種類の制服を支給し、戦闘にも、練兵場での教練にも、そして休暇で帰郷する場合にも、着用させていた。当時多くの分野でもっともすぐれた装傭を持っていた陸軍はドイツ国防軍(ヴェアマハト)だったが、そのドイツですら、その師団の兵士たちは襟元がきっちり閉じた上衣を着用し、銀モールや金属製記章、勲章などをきらめかせて戦場に向かったのである。ロシアの大草原で最初の冬、極地を思わせる寒さに遭遇したドイツ軍兵士も、1940年の夏にヨーロッパを席巻したときと基本的には同じ服装だったのだ。
 アメリカ当局は、研究をかさねたすえに、「レイヤー(重ね着)」システムを考えだした。温暖地用の戦闘服を開発し、そのうえに重ね着をすることによって寒冷地でも着られるようにしたのである。たぷんその好例が、M1943フィールド・ジャケットだろう。このジャケットは、1945年以降に世界各国軍が採用したあらゆるコンバット・ジャケットの元祖といっても過言ではない。素材や細部は進歩を続けているものの、腿までの丈の4つポケットの防風撥水ジャケットは、いぜんとして現代の兵士たちに欠かせない被服となっている。
 本書は1941年から1945年までの時期に興味を持っている読者に、当時のアメリカ陸軍の戦闘員がどのような被服と装備を身につけていたかを鮮明な写真で知ってもらおうという意図のもとに製作された。使用した被服や装備はすべて当時の実物であり、できるかぎり実戦に近い状況で撮影した。筆者たちの知るかぎり、このように「リエナクトメント(歴史再現)」という方法を使った試みは初めてである。(本書でモデルをつとめてくれた第29歴史協会のメンバーをはじめとする面々は、純粋にリアリズムを追求するために実戦さながらのポーズをとることを承諾してくれたもので、これらの被服を実際に着用していた兵士たちには心よりの敬意の念を抱いているということをここに明記しておきたい)
 全ページ・カラー印刷にしたために、読者は戦争中に製造された「オリーブ・ドラブ」色の生地にも幅広い色の相違があったことを目で確かめられるはずだ。これはこれまで多くの本で使われてきた1940年代の白黒写真では味わえない贅沢である。このカラー参考書が、モデラーや軍装品コレクター、撮影所の衣装部や小道具部、イラストレーターなど幅広い読者の役に立ってくれることがわれわれの願いである。本書の写真解説ではオリーブ・ドラブの公式の色番号(シェード・ナンバー)をあげているものも多いが、当時の陸軍の規格や仕様書にはしばしば色番号の指定がなく、ただ「ライト・シェード(明るい色あい)」とか「ダーク・シェード(暗い色あい)」といった今日ではあまり役に立たない言及しか見られない。1944年3月31日になってやっと陸軍規則AR600−35が将校用の制服用各アイテムのシェード番号を指定した。本書の写真解説では必要に応じてその色番号を、それ以前のアイテムについてもさかのぽって使用したが、製造メー力一の違いや年月による退色などでどうしても色の違いが生じることは心に留めておいてほしい。
 実際的な理由から、筆者たちは本書の範囲をアメリカ陸軍の主要戦闘兵科に所属する「平均的な」GI(もしそういう兵士がいたとしたらだが)と尉官級の将校に限定した。本書の目的はアメリカ陸軍の装備をすべて網羅することではない。そうした情報を求める読者には、分類や仕様データについてより詳細に解説した本がすでにある。限られたスペースにできるだけ多くの写真をなるべく大きく掲載するために、大部分の写真解説はそれぞれのアイテムを識別する基本的なデータを提供するにとどめ、空挺やレインジャー、第1特殊作戦部隊などの特別な歩兵部隊については、基本的な背景知識を簡単に付した。
 被服を描写するさいには、当時のアイテムについたラベルや第2次世界犬戦中の需品補給カタログで使用されている用語を使用したが、場合によってはこうした用語のあいだにも矛盾が見られることに注意してほしい(訳文ではトラウザーズ→ズボンのように、適宜に和訳した)。各アイテムの写真解説でカッコ内に引用されている日付は、製造年月日ではなく、そのタイプが承認された日付である。本書で紹介した各アイテムは、筆者たちの知るかぎり、第2次世界犬戦中に製造された実物であり、その組み合わせ方は戦時中の写真をもとにしている。数少ない例外として、われわれは被服に部隊章をあとから付け加えたが、それはその部隊が写真で示したような装備の組み含わせをしていたことが写真で確認された場合にかぎられている。
 筆者たちにとって本書を出版することは大いなる喜びであり、編集作業中には多くの人々の絶大なる協力を得た。その結果である本書が読者にも同様の喜びをもたらすことを心から祈っている。

リチャード G.ウインドロー
ケント州フィンクルシャム
1993年6月


目  次

まえがき

アメリカ軍兵±1941〜1942年

兵用M1939ODウール平常制服上衣、兵用M1937ODライト・シェード・ズボン、兵力ウール・サーヴィス・キャップ、兵用M1938レインコート、初期型OD(「パーソンズ」)フィールド・ジャケット、ODウール・シャツ、ODウール伸縮性乗馬ズボン、M1911サーヴィス・ハット、兵用カーキ・コットン・シャツ、同ズボン、同サーヴィス・キャップ、将校用カーキ・コットン・シャツ&乗馬ズボン、革製ギャリソン・ベルト、将校用サム・ブラウン・ベルト、M1917&M1917Alヘルメット、M1938徒歩部隊用レギンズ、レギンズ付き乗馬ブーツ、M1918&M1923徒歩部隊用弾薬ベルト、M1918乗馬部隊用薬ベルト、M1936ピストル・ベルト、M1907サスペンダー、M1910&M1928ハーヴァーサック、M1912乗馬部隊用ホルスター、M1918拳銃弾倉ポケット、散弾用パウチ、M1910エントレンチング・ツール、M1910水筒、M1941乗馬部隊用水筒、30口径M1903スプリングフイールド小銃、12番径M1897散弾銃、M1905銃剣、M1910スキャバード

平常制服1942〜1945年

兵用M1939ODウール平常制服上衣、兵用ETO(「アイク」またはウール・フィールド)ジャケット、M1937ODライト・シェード&シェード33ズボン、兵用ギャリソン・キャップ、ODウール・シャツ、兵用ウール・メルトン・オーヴァーコート、サーヴィス・シューズ、M1937布製ウェスト・べルト、兵用カーキ・コットン・シャツ、同ズボン、同ギャリソン・キャップ、階級章、兵科章、部隊章、将校用平常制服上衣、将校用ETOジャケット、OD&「ドラブ」将校用ズボン、将校用ギャリソン&サーヴィス・キャップ、将校用シャツ、将校用ショート・オーヴァーコートおよぴフィールド・オーヴァーコート、将校用夏期熱帯用ウステッド制服、MP用勤務制服

「おまえは陸軍の一員だ……』

前、中、後期型ワンピースHBT作業衣、ツーピースHBT作業衣、HBTハット、M1941HBTキャップ、後期型のM1938レギンズ、M1941ニット・キャップ、官給下着、ポンチョ、半テント、水筒、食器&Kレーション、野戦コンロ、野戦電話機、架線工集用具
ヘルメット
Mlスチール・ヘルメットと内帽
ブーツ・サーヴィス・シューズ、裏革サーヴィス・シューズ、M1943コンバット・ブーツ、パラシュート降下兵用ブーツ・ジャングル・ブーツ・オーヴァーシューズ、シューパック

戦闘服 太平洋戦域

M1942ワンピース・ジャングル・スーツ、カーキ・コットン・ショート・パンツ、M1943ツーピースHBT作業衣、樹脂製熱帯用ヘルメット、M1944ヘルメット・ネット、M1943ジャングル・パック、トンプソン短機関銃ドラム弾倉用バッグ、M1942ファースト・エイド・パウチ、ジャングル・ファースト・エイド・パウチ、M1942マシェト、2クォート入り水筒、45口径トンプソンM1928A1短機関銃&M1908キーア・スリング、30口径Mlカービン、38口径スミス&ウェッソン・リボルバー

地中海戦域 「トーチ」作戦

M1942&1943ツーピースHBT作業衣、国籍識別用腕章、M1942ファースト・エイド・パウチ、トンプソン用5パウチ弾倉ポケット、M1942銃剣、M1910つるはし、サーヴィス・ガスマスク、M1防塵マスク

極地&山岳用被服

カージー裏の極地用上衣&ズボン、M1941冬期用フード、マウンテン・ジャケット、スキー・ズボン、リヴァーシブル・パー力一、後期型マウンテン・パーカー&パイル地ライナー、白のオーヴァー・ズボン&オーヴァー・ミトン、ウール・フェルト製フェイス・マスク、スキー・マウンテン・キャップ&ゴーグル、白のヘルメット・カヴァー、スキー・マウンテン・ブーツ、スキー用ゲートル、極地用オーヴァーシューズ、登山用クランポン、滑リ止め、マウンテン・リュックサック&カヴァー、M1942ワン・バーナー・コンロ、マウンテン・クックセット

イタリア戦域

策1特殊作戦部隊、初期型パーカー、スキー・パーカー、パーカー・タイプ・オーヴァーコート&パイル地ライナー、マウンテン・ズボン、ユーコン・パックボード、M1923弾倉ポケット、V42ナイフ、30口径ジョンソンM1941軽機関銃、冬期用コンバット・ジャケット&ズボン、パイル地フィールド・ジャケット(M1943フィールド・ジャケット用ライナー〕、衛生兵用識別章、「ドッグ・タグ」、衛生兵用バッグ、M1944パックボード、M2Al訓練用ガスマスク、小銃銃口カヴァー、30口径ブローニングM1917A1水冷式機関銃

ヨーロッバ戦域 Dデイ 1944年6月6日

ノルマンディー上陸、M1943ツーピースHBT作業衣、ガス検知用腕章、海軍用M1926救命べルト、小銃用カヴァー、アメリカ製およびイギリス製のアメリカ軍用アサルト・ベスト、M5アサルト・ガスマスク

フランス 1944年

アメリカ製およびイギリス製のM1942ツーピース迷彩スーツ、1941年タイプのODフィールド・ジャケット、兵卒用スペシャル・ウール・シャツ、イギリス製サーヴィス・シューズ、M1943エントレンチング・ツール、トンプソンM1短機関銃&弾倉バッグ、M1小銃&弾薬&クリーニング・キット、M1918A2ブローニング自動小銃&M1937自動小銃手用ベルト、Mk1lA1破片手榴弾

1944年秋/冬

裏返したODフィールド・ジャケット、兵用スペシャル・ウール・ズボン、兵用ウール・メルトン・オーヴァーコート、M1943フィールド・ジャケット、同ズボン、同キャップ、M1941ウール製トーク、M1943フード・将校用&兵用ダブル・テクスチュア・レインコート・セーター(5ボタン長袖、クルーネック・スリーブレス、Vネック長袖)、初期、中期、後期型のマッキノウ・コート、ODウール&革製グローブ、人差し指の分かれたミトン、カービン用弾倉ポケット、行軍用コンパス&パウチ、M1938ワイヤー・カッター、M1938ディスパッチ・ケース、M1917双眼鏡ケース、SCR300無線機、45口径M3A1短機関銃

ドイツ進攻

MPの野戦服、バンド付きヘルメット偽装ネット、M1943フィールド・パック、M1944コンバット&カーゴ・パック、3パウチ手榴弾ポケット、M4軽量ガスマスク、M6ロケット醐携行バッグ、M9Alバズーカ砲、M1銃剣

支援火器

M1バズーカ砲&射手用マスク、M9Alバズーカ砲、30口経ブローニングM1919A4空冷式機関銃、50口径M2HB重機関銃、60ミリM2迫撃砲&M4照準器、81ミ1,M1迫撃砲、4.2インチ化学戦追撃砲、M1918トレンチ・ナイフ、M2弾薬バッグ、重量物運搬用パッド、SCR536無線機、SCR625&AN/PRS1地雷探知機

空挺戦戦闘服

空挺部隊、M1942パラシュート降下兵用上衣&ズポン、改造型M1943フィールド・ズボン、MlCヘルメット、同内帽、同顎紐、ヘルメット用蛍光ディスク、B4救命ベスト、T5パラシュート、空挺ファースト・エイド・パック、空挺衛生兵用バッグ・アメリカ陸軍航空軍用弾薬パウチ、M1928エントレンチング・ツール、M3ショルダー・ホルスター、M1911A1拳銃&M1916ホルスター、MlAlカービン&ホルスター、M3ナイフ&M8スキャパード、M2ボケット・ナイフ、赤一キンズ地雷、グリスウォルド個人火器用バッグ、イギリス製M1944投下バッグ、AN/PPN2ビーコン、折リ畳み式担架、A5空中投下バッグ、M3A4多用途手押し車

機甲部隊用戦闘服

M1942機甲部隊用ヘルメット、冬期用戦闘防寒帽、冬期用コンバット・ジャケット&ズボン、M6ナイフ・スキャバード、レジストール・ゴーグル、ポラロイド・ゴーグル、M1944ゴーグル
監訳者あとがき
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監訳者あとがき

 第2次世界大戦のことを、われわれ軍人仲間は、「ザ・ラスト・グレイト・ウォー」、あるいは「ザ・ラスト・グッド・ウォー」などと呼んでいる。まさに戦争は勝では官軍。始めたからには絶対に勝たなければ、何を言われても文句は言えないのだ。冗談好きの仲間は、私やドイツ系の隊友をつかまえては、しきりに頭を下げて「日本とドイツのお陰でアメリカの映画界や出版業者はこれまで大儲けをさせてもらっている。これからも儲けさせてもらうのでよろしく」などと、おどけている。これらのストーリーの多くは、敗戦国となった日本軍とドイツ軍を悪役にして連合国軍のヒーローがさまざまな障害を乗り越えて任務を達成していくというものだが、西部劇と同様に根強い人気に支えられている。その理由は、史実への興味、派手なアクション、極限の人間ドラマ等々、いろいろあげられるが、もう1つ軍人のユニフォームや武器、装備に関心を持つ熱心なファンがいることも忘れてはならない。軍が採用し、使いつづけてきた武器や装備品は、いずれも戦場で血を流しながら改良されてきたものだけに、その信頼性は抜群である。まさに実用品の極致であり、機能美そのものである。そこが人々を魅了してやまない理由だろう。
 本書は、THE WORLD WAR2 GI:US ARMY UNIFORMS 1941―1945 1N COLOUR PHOTOGRAPHSを訳出したものであるが、一読して大変な労力と時間をかけて制作されたことが分かる。「まえがき」にもある通り、ここに登場する装備品や武器類は、すべて当時の実物を使用している。しかも小火器だけでなく、M4シャーマン戦車やC47輸送機まで登場しているのだから驚くよりほかはない。なかには今ではめったにお目にかかれぬアイテムも数多く登場し、子細に見ると上着の袖が擦り切れていたりして、50年という時間の経過を感じさせるものばかりだ。そして、これらは単に古い、時代遅れのものかというと、必ずしもそうではない。機能的には現在でも通用する装備品が少なくないのである。アメリカが第2次世界大戦で試行錯誤の末に開発したこうした装備や被服は、戦後、日本をはじめ自由主義国の装備の基礎となった。アメリカ軍で用済みとなった大量の余剰品が供与されたほか、それをモデルに各国が生産を行なったのである。とくに「まえがき」でも述ぺられているように、M43フィールド・ジャケットは、それ以降のあらゆる野戦服の元祖ともいうべき逸品である。
 さらに本書の価値を比類ないものにしているのは、280枚におよぶ写真の構図の見事さにあるだろう。これは撮影者のティム・ホーキンズよるところだが、読者の知りたい情報が、ごく自然なポーズのなかに過不足なく表現されている。しかも、それぞれの装備や被服にふさわしい場所と季節のなかで撮影されている点は賞賛に値する。たとえば、水しぶきをあげながら前進するノルマンディー上陸のシーンは、1944年当時、実際に上陸訓練で用いられた海岸で撮影されたという。まさにマニアがマこアのために作り上げた軍装ガイドであり、第2次大戦の米軍軍装の決定版といっても過言ではない。
 さて、これ以上ここで本書の魅力を説明するまでもないことは、本書を手にした読者が一番よくご存知だと思う。それほど本書の資料的価値は一目瞭然である。そこで当時の米軍軍装に関するバックグラウンドと筆者自身の体験を紹介して「監訳者あとがき」に代えたいと思う。
 1914年6月に勃発した第1次世界大戦で英仏の後押しとして1917年4月2日に参戦したアメリカは、いつの間にか欧州戦線の主役を演じさせられ、1919年11月の終戦までに11万(大半は病死)の兵を失った。これに懲りたアメリカは、1939年9月3日の大戦勃発と同時に中立宣言をして参戦を回避する策に出たが、日本軍の真珠湾攻撃を機に開戦に踏み切った。第1次大戦直後から対外的には独自路線を歩み続けていたアメリカと、世界制覇を目指して軍事力を蓄えてきたドイツや日本とでは、緒戦時における彼我の軍事力の差は歴然としていた。アメリカの資源の豊富さは自他ともに認めるところであったが、資源を利用した軍事力の強化という点では大きく立ち遅れていたのである。第1次大戦の教訓に基づいてヨーロッパにおける戦闘を対岸の火事として一線を画してきたアメリカではあったが、結局は第1次大戦と同様、アメリカが第2次大戦の主役を演じることとなった。真珠湾攻撃の惨敗をルーズベルト大統領は「屈辱の日」と評したが、これは「眠れる獅子を起こした」ものであり、世界最大の資源保有国が資源を軍事力に活用する動機ともなったのである。
 開戦当時のアメリカ軍の装備と軍事体制はお粗末極まるものであった。一例をあげると、1925年から1940年までの陸軍の研究開発費は平均250万ドル前後で、大半は武器廠に回され、医療関係や兵姑部の開発費は年2万ドルにも満たない有り様であった。1937年には兵站部長が衣服、装具、車両などの開発目的で12万3000ドルの予算を計上したが、議会で承認されたのはたったの2000ドルに過ぎなかった。さらに英仏の難渋を目の当たりにしながら国民の士気は上がらず、1941年5月の時点になっても79パーセントの国民が戦争参加を否定していたのである。しかし、一度立ち上がったアメリカは国力と頭脳を結集して軍需産業をフル回転させ、ルーズベルト大統領をして「国が存在する限り、真珠湾のような醜態を二度と繰り返さない、国防の遅れは取らない」と豪語させたのである。アメリカの執念は、世紀の傑作といわれているM1ライフルに始まり、ヨーロッパ戦線のケリを付けたB17や太平洋戦争の勝敗を決したB29爆撃機などの傑作兵器を短時間のうちに産み出していったのである。
 第2次大戦が従来の戦場と著しく異なっているのは、航空機の発達と戦車の実用化に伴う戦場のスピードである。第1次大戦中から注目され始めた航空機と戦車は、第2次大戦に至って主力兵器と変わっていたのである。第1次大戦に登場した戦車は、当初、前進する歩兵を支援する道具に過ぎないと考えられていた。その防御も敵の機関銃砲火を防ぐだけの配慮しか成されていなかったが、1940年6月に機甲軍団が創設されるに及んで犬きく変化していく。そのほか通信機の発達や降下部隊の運用も、従来の戦術を一変させる顕著な兵器であった。
 しかし、兵器や戦場がどう変わろうとも過去、未来を通して変わらないのがライフル1丁で戦う歩兵である。敵も味方も歩兵の装具改善に全知全能を傾けていった。
 寒冷のヨーロッパ戦線から北アフリカの砂漠地帯、そして常夏の南太平洋にまたがる広域戦線に展開した歩兵の装具、とくに被服の改善は、手本とする物がない米軍開発部にとっては容易ではなかった。だが軍民共同の努力の結果、前線で活躍する兵をサポートする数々の名品を産み出したのである。
 アメリカ陸軍特殊部隊の一員として友好国との合同訓練や開発途上国の軍隊の指導に参加した筆者は、到るところで第2次大戦中に使用されて老朽化した装具が、いまだその国の第一線装備として使用されている事実に驚くとともに、夜を日に継いでこれらの装備を短期間で完成させた50年前の開発員たちに脱帽したものである。特殊装具を必要としたわれわれも、第2次大戦中に開発された多くの装具の恩恵を受けるチャンスに恵まれた。通常部隊の兵站組織では廃物として取り扱わなくなった装具を方々から掻き集めて部隊の需要を満たしたものである。
 掻き集めた装具の中には、走っても荷物がかたよらず応急担架にもなる大型マウンテン・リュックサック、寒冷地用寝袋、ブーツ、クロスカントリー・ダウンヒル兼用のスキー、スノー・シューズ、多用途ポケット・ナイフ、山岳用ナイフ、外部下部が火打ちになっている防水マッチ箱、ウール・セーター、そのほか数え上げればキリがない。とくに火器類は信頼性が高く、両度の世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争を通して米軍のサイドアームとして活躍したコルト45口径ピストル(サイドアームがベレッタの9ミリ拳銃になった今でも45口径礼賛者は多い)、上部から8連装を装填する画期的なデザインと頑丈さに加えて正確な射撃で「歩兵の友」と言われ、世界のライフルのスタンダードとなったM1ライフル、分隊銃として親しまれたBAR(ブローニング・オートマチック・ライフル)、ベトナム戦線でもキャンプ防衛に一役買ったブローニングA6軽機関銃、現在でも一線で活躍するブローニングM2重機関銃、柔軟性抜群で接近戦では直射砲としても使わせて貰った60ミリ迫撃砲、攻守において中隊の軸をなす81ミリ迫撃砲などがあった。そのほかにもハイテクを応用した現在の通信機にもひけをとらない長距離通信機AN/109などがある。
 さらに、ロシアやドイツに遅れて創設された落下傘部隊の進展には目を見張るものがあった。将校2名、兵48名とパイロット用パラシュート21個で、1940年6月26日にテスト小隊を創設してからわずかに2年、1942年8月15日には2個師団を編成するまでに拡大された。師団の兵力は編成当時の8505人がら1万3900人と通常師団の兵力に近づき、師団数もピーク時には5個師団に増えていた。合衆国降下隊の初陣は1942年11月の北アフリカ攻防戦であった。降下隊員のユニフォーム、ブーツをデザインしたウイリアム・P・ヤーボロー中尉(のちの初代特殊部隊訓練センター司令官、陸軍中将)もこの戦線に参加した。彼がデザインしたジャンプ・スーツは、ベトナム戦線で特殊部隊を皮切りに参加将兵全員に支給されたジャングル・ファティーグ(戦闘服)の前身であり、降下フーツの改良にも犬きな功績を残している。彼は落下傘意匠のデザイナーとしても知られている。
 落下傘部隊の急速な進歩で見落とせないのは落下傘の改良、グライダーの発達、そしてC47やC46などに代表される優秀な輸送機の出現である。最終的に合衆国降下部隊の存在を不動のものにしたのは、ノルマンディー上陸作戦時に連合軍の尖兵となって輝かしい戦功を樹てた第82と第101両空挺師団に負うところが大きい。またドイツの戦車師団に遅れること5年目にして誕生した戦車部隊も、短期間で編成装備を成し遂げて戦争に参加した部隊である。部隊独特のヘルメット、ジャケット、ズボン、軍靴などは短時間で作られた物とは思えないほど精巧で頑丈なものが多く、ベトナム戦争初期まで重宝された。このようにアメリカ陸軍が当初の遅れを克服して、前線兵士の需要をふんだんに採り入れた大量の装備をタイムリーに前線へ送り込むことに成功した最大の理由は、兵站部長が戦争期間を通して変わらず、陸軍の生産能力に一貫した政策を維持することができたからだ。ちなみに兵姑部長は陸軍少将から陸軍大将まで同じ地位をまっとうしたブレボン・ソマーベル将軍である。
 良い先輩を持つことは軍人にとって非常に重要なことで、ある意味では死活問題といえよう。その点、私の場合は多くの先輩に恵まれたため21年間の軍役を大過なく勤め上げることができた。ノルマンディー作戦、コレヒドール作戦、朝鮮戦争の各戦場で降下を経験してきた多くの先輩が、特殊部隊創設と同時に入隊し、新人のわれわれにマニュアル外の助言を折りに触れ与えてくれた恩は終生忘れるものではない。なかでもノルマンディー上陸時にポイント・ディ・ボクの崖をよじ登ったアンダーソン曹長は、経験から水を飲むタイミング、支給ショベルの弱さを指摘して民間工事用のショベルの柄を切って携帯するコツ、崖をよじ登る時のライフルの背負い方、装備の現地調達の秘訣、そのほか細々したことを根気よく教えてくれた。70歳に近くなった今も現役としてサウス・カロライナ州の監獄の看守として活躍している驚くべきスタミナの持ち主である。彼は、戦場ではいつでも工夫を怠らないようにという教訓を我々新米に叩き込んでくれた大恩人である。こうした先輩たちのたゆまぬ創意工夫が、後輩たちに受け継がれ、それがノウハウとして蓄積され、世界一の精強な軍隊を作り上げていくのだ。この伝統がアメリカ軍の強さの秘密なのである。
 最後になったが、巻末に全国の代表的なサープラス・ショップを一覧にした。各ショップには本書が常備されているので、第2次大戦時の軍装品を探している方は利用していただきたい。

三島瑞穂


リチャード・ウインドロー(RlCHARD W1NDROW)
1938年生まれ。ウェリントン・カレッジ卒。幼い頃から軍事関係に興味を持ち、女王連隊第1大隊、王国カナダ竜騎兵連隊で勤務ののち、石油会社の重役を務める。1960年代にはラリーの英国内および国際大会に参加していたが、その後、航空機の発掘に携わり、1970年代以降バトル・オブ・ブリテン博物館とともに第2次世界大戦中に撃墜された航空機を1O機以上発掘。また1970年代半ぱからは大戦中の米軍車両を数多くレストアしている。米軍の軍服に興味を持ったのは昔から模型製作を趣味としていたことによる。英国ケント州在住。
ティム・ホーキンズ(TIM HAWKlNS〕
1953年、軍人の父のもとヨークシャー州の軍基地で生まれる。駐屯地を転々としたのち、英国海軍の短期現役士官募集に合格し、1974年、ダートマスのブリタニア王国海軍兵学校とアナポリスの米海軍兵学校に籍を置く。ヘリ・パイロットの資格を取得したあとは、海兵コマンドーの支援を中心とした飛行任務につく。除隊後はさまざまな職業を経験したのち、1979年に写真の世界に身を投じた。1986年にはロンドンに自分のスタジオを開設し、広告や建築デザインなどの分野で高い評価を得ている。まだこれまでに写真関係の本を12冊出版している。ロンドン在住。
三島瑞穂(MlZUHO MlSHIMA BOBROSK1E)
元アメリカ陸軍軍曹で特殊部隊グリンベレー在隊21年のキャリアをもつ。1959年、米陸軍に志願入隊。60〜72年、ベトナム在第5特殊部隊グループ、沖縄第1特殊部隊グループおよびMAC/SOGに在隊し、長距離偵察、対ゲリラ戦など、ベトナム戦争の全期間に従事。特殊部隊情報・作戦主任、潜水チーム隊長をへて、80年退役。現在、危機管理コンサルタントとして活躍する一方、各軍事雑誌に記事を執筆。著訳書に『グリンベレーD446』『コミック・ザ・ナム@A』『ヴェトナム戦争米軍軍装ガイド』『第2次大戦米軍軍装ガイド』『ヴェトナム戦争米歩兵軍装ガイド』(いずれも並木書房)、『有事に備える』(かや書房)などがある。ロサンゼルス在住。
●北島 護(きたじま・まもる)
早稲田大学第一文学部卒業。英米文学翻訳家。専門は世界の特殊部隊と英国陸軍史。訳書に『特殊部隊』『SAS戦闘マニュアル』『ヴェトナム戦争米軍軍装ガイド』『ドイツ武装親衛隊軍装ガイド』『第2次大戦米軍軍装ガイド』『実録ヴェトナム戦争米歩兵軍装ガイド』『軍用時計のすべて』『第2次大戦各国軍装ガイド』『SAS特殊部隊員(近刊)』(並木書房)がある。