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目 次
一 病余者駆け出し編集長 5
二 ロングセラーへの布陣  22
三 「志」出版の陰の部分  39
四 泥酔大使館員も大切な協力者  58
五 器量あれど商才乏しき大人  83
六 ベストセラー 成算と誤算  95
七 社長のポケットから増給封筒  114
八 自称・航空界の大功労者  142
九 麦畑の「愛の現場」撮影の秘技  170
十 羽田空港ペッパー事件  191
終章 出版脇街道好人録  212
あとがきにかえて  233

あとがきにかえて
 若い日に「人生いかに生きるべきか」の設問を自分に課して、さまざまに思い惑った挙句、ある程度の覚悟なり決意なりを胸中にはぐくんだ経験は、多くの人びとの身に覚えのあるところだろう。
 同じ人が、はるか後年に至って、自己の足跡を振り返りつつ、「人生をいかに生きてきたか」と改めて省察したとする。そのとき、さきの「いかに生きるべきか」の自問に得た胸中の覚悟もしくは決意にひき比べて、もし肯定的な評価を、いくばくかでも、自己の足跡ないし実績に対して与えることができたとすれば、その人の生は、ともかくも喜ばしく輝かしい内容のものであったと言えるのではないだろうか。
 人間、志すところがあって「出版」というひとつの行路を選び、辛労とともに歩みつづけたあと、人生の中期、晩期に至って「わが志を果たし得た」と回顧されている生の実例は、私の身の周りには、ほとんど見ることができなかった。自身のことをふくめて言うのだが、その志をとげるべく日夜の精励を欠かすことのなかった知人友人たちのなかに、その労苦が物心の両面において報われたと証しだててくれた実例は、片手の指で数えるほどしか存在しないのである。
 大半の「志」は、出版という難事業に挑んで、志とは似て非なる「妥協」ないし「転身」(あるいは逃亡)という非命のなかに身を没して行ったのである。短かからぬ私自身の出版人生の道のりのなかで、まのあたりにした数多くのそれら「人材」たちの終生を、いま私は、悲しみとともに振りかえる。
 拙稿『飯田橋泣き笑い編集記』は、それら出版人仲間の生きざまのある時期の切片を、老齢に達した私の眼で振り返り、おおむね事実に即して再生させていただいたものである。
 さて、出版仕事に四十年の余も携わってきた私は、「出版業の維持推進のためには、最低限的な前提として、二つの要件が必要不可欠である」という実感を胸にいだくようになった。私の経験的結論とそれは言うべきものである。
 前提条件その一は、「運転資本の確実な保有」である。出版事業の規模の大小に応じて、必要な資本の金額に差異は当然あるが、要するに運転資本の不存在ないし枯渇は、出版仕事の維持をきわめて困難ないし危険なものにする。
 つぎに、前提条件その二は、出版経営者に、「識見」と「経営手腕」とが具わっていることである。
 右その一、その二の二つの要件を兼ね具えることは、なかなか難しいことではある。しかしながら、さらに難しいことは、この二つの要件を立派に具えていても、なおかつ出版事業の行路には、しばしば「倒産」や「閉業」の悲運が待ち構えているという事実がある。
 まして、これら前提条件の一部でも充たすことなく進められている出版事業の場合、社業がどのような難儀に逢会するか。
 拙稿には、ある日あるときの、そういう社業の様相の、ほぼありのままを、私の実体験に重ねて綴らせていただいた。
「出版脇街道」と、仮りに私がひとくくりにして呼んだ、零細出版社や一部外資出版社などの行路は、そこに生きて行く人間のささやかな誇りなど跡形もなく吹き飛ばす底の「生計難」を、当然のように同伴しつつ果てしなくつづく道程なのである。
「出版脇街道」という造語については、異論をもたれる向きもあろうかと懸念しないでもないが、いまはそのまま使わせていただく。
 同じく副題に使った「好人録」も、この場合、私の造語である。「好人」は訓読すれば「よき人」であり、二字をひっくりかえせば「お人好し」になる。その意味するところに大きな違いがないと解していただければ幸せである。
 仏典のなかに、比較的、人口に膾炙している言葉として、「倶会一処」という四文字がある。この語は、阿弥陀経≠フなかのつぎのような釈尊の教示の一節に含まれている。
…舎利弗よ、衆生にして(極楽国土および阿弥陀仏と聖衆のことを)聞く者あらば、まさに願を発してかの国に生まれんと願うべし。所以はいかに。かくのごときもろもろの上善人とともに、一処に会うことをうればなり。…(訓読は岩波文庫版による)
 釈尊の言葉のなかの「かの国」は、仏国土と和訳されている。「上善人」は、読んで字の如しか。和訳も「善き人たち」とされている。(同文庫版)

 


 私は、もしつぎの生に、自分の望むごとく再び出版業従事の行路が与えられるとすれば、この一篇『飯田橋泣き笑い編集記』に登場された仕事仲間たち=この「上善人」たちと、行を共にしたいと夢想している。むろん、そこでの「戸田編集長」は拙稿に描かれている不徹底者から脱皮し、前生で蓄えたノウハウのあらん限りを駆使して、賢明で精力的な仕事を推進することであろう。
 この作の終章に書かれたくだりから、ほぼ満一年たって、万策尽きた戸田は、上善人仲間たちを振りきって他へ転進せざるを得なくなったのだが、彼の長い出版人生を振り返って、一番なつかしい思いに駆られるのが、この脇街道に小屋を構えて、和気あいあい、愚痴をこぼしつづけた、その「駆けだし編集長」時代なのである。
 篇中の登場人物は、ほとんどすべて実在の方がたをモデルにさせていただいたが、各人物と戸田との関係、および戸田自身の各時点での視点にもとづき、フルネームの変更や、姓・名の一部変改を行なったものがある。イニシャルのローマ字にとどめたものを含め、それなりに作者は意を用いたつもりである。拙作はいわゆる自分史≠意図して書かれたものではない、ということをあわせて、ここに念のため付言させていただく。
 以上、雑駁だが、拙作についての補足説明に若干の内実告白を加え、「あとがき」とした。
 原稿の段階で拙作全篇を精読された上で、種々有益な助言ご助力を与えられた、年来の畏友、石渡幸二(滑C人社・会長)、中山幹(作家)の両氏に心からの謝意を表したい。また、手だれの手腕を発揮して見事な本に仕上げて下さった並木書房出版部にも、あつくお礼申し上げる。
                                     (藤井 章生)
藤井章生(ふじい・あきお)
1924年、北九州市生まれ。1945年、肺患のため旧制福岡高校文科を中退。以降数年間療病生活。軽快して暫時の復学、就職。1952年、平凡社「綴方風土記」編集部在勤中に肺患が再発して退職帰郷。外科手術等によりほぼ完治した。
1957年から(株)出版協同社編集長。1967年、(株)日本メールオーダー出版部長。1976年、米国タイムライフ・ブックス日本法人取締役編集局長。1984年、(株)アスキーに入り取締役出版局長。引きつづき同社の常務、専務、副社長を歴任した後、代表取締役会長となる。1997年、相談役で退社。余生はささやかな文筆活動。
〈翻訳書〉『地獄から還った男』1981年原書房、『第二次世界大戦事典』1986年原書房(共訳)他。