おわりに
ビジネスマン時代、「お前はクビだ!」の決め台詞で知られたトランプ大統領は、大統領就任後も自らと意見が対立する高官を次々と解任してきた。
その背景には、トランプ自身がレッドチーミング的な意思決定メカニズムを嫌っているという事情がある。
その象徴的な出来事が、アメリカ陸軍がレッドチーミングの普及を目的に設置していた「レッドチーミング大学校」(正式には対外軍事文化研究大学校)の予算を、トランプ政権が削減し、閉鎖に追い込んだことである。
しかし、多くの軍指導者は、レッドチーミングのように、ときに権威者にとって煩わしい異論が存在するからこそ、戦闘や戦争で勝利できることを知っている。
アメリカ海軍関係者の中には、「この仕組みを排除すれば、日本海軍と同じ敗北を招きかねない」と、危機感を抱く声もある(海軍再建を掲げるトランプを支持しながらも、レッドチーミング嫌悪には強い不安を示している)。
歴史は、その教訓を語っている。
日本海軍は艦隊・航空隊が精強であったにもかかわらず、戦略策定段階でレッドチーミング的視点が排除されたため、独善的な計画を修正できず、壊滅的な敗北を喫した。
また、アメリカ海軍ですら真珠湾攻撃前には異論を無視してしまい、大きな痛手を負った。だがその後は教訓を活かし、レッドチーミングを採り入れることで日本海軍を葬り去っている。
朝鮮戦争・ベトナム戦争でも例外はあったが、実戦を重ねるアメリカ軍は経験的にレッドチーミングの価値を理解し、意思決定過程への組み込みを続けてきた。
だから、いくらトランプ政権が後退させても、アメリカ軍内部からこの仕組みが消えることはないだろう。
現に、筆者の周辺でも私的なシミュレーションや研究活動では、今も盛んに活用されている。
一方でトランプ政権以降、ウクライナをはじめとする欧州情勢が不安定化するなか、イギリス軍やNATOなどではむしろレッドチーミングを強化する動きが続いている。
そしてビジネス界ではIT化・AI高度化によって競争が激化し、軍事以上の勢いでレッドチーミングの導入が広がっている。意思決定を誤ることが企業の生死を左右するからだ。対照的に、日本の組織文化ではいまだに権威者と異なる視点を排斥しがちである。
そのため国際社会の急激な変化に対応できず、政治・軍事・経済すべての領域で停滞とガラパゴス化が深刻になっていると言わざるを得ない。
この閉塞状況を打破するためにこそ、日本のあらゆる組織、そして個人の意思決定過程に、レッドチーミング的メカニズムを組み込む必要がある。
異論を封じる意思決定が、国家や企業を敗北へ導く。忖度も根回しもいらない。必要なのは“敵の目”で自らの弱点を暴くことである。賢い指導者は逆説を味方につけるのである。
目 次
はじめに 1
第1章 ウォーゲームの始まり 11
戦う前に欠かせないシミュレーション 11
ウォーゲームの源流「チャトランガ」12
ウォーゲームの普及 14
広義のウォーゲームと狭義のウォーゲーム 18
ウォーゲームの目的──「敵を知り、己を知る」19
「敵を知り、己を知る」を妨げる認知バイアス 22
認知バイアスを除去する意思決定法 23
「悪魔の代弁者」──レッドチーミングの基本原理 24
第2章 レッドチーミングの歴史的教訓 27
歴史に見る「敵を知り、己を知る」の実例 27
レッドチーミングの教科書『保元物語』28
日本海海戦──「敵を見くびる」というバイアス 33
真珠湾奇襲──通説や強い意見に拘泥するというバイアス 41
ミッドウェー海戦──権威というバイアスと意思決定者による不正行為 46
ミレニアム・チャレンジ2002──権威というバイアスと不正行為 53
第3章 各国軍採用のレッドチーミング 59
レッドチーミングの基本的原理 59
1、アメリカ国防総省 60
『国防総省におけるレッドチーミングの役割と現状』63
2、アメリカ海軍 67
『海軍戦闘部隊司令官のためのレッドチーム・ハンドブック』69
3、アメリカ陸軍 75
『応用批判的思考ハンドブック(第7版)』77
『レッドチーム・ハンドブック(第9版)』80
4、イギリス軍 82
『レッドチーミング・ガイド──開発・概念・教義センター・ガイドライン』84
『レッドチーミング・ガイドブック』90
『レッドチーミング・ハンドブック』96
5、北大西洋条約機構(NATO)100
『NATO代替案分析ハンドブック第2版』103
6、オーストラリア国防軍 106
『オーストラリア国防軍によって見過ごされているレッドチーミングと代替案分析』108
7、カナダ軍 111
『代替案分析とは何か?』112
第4章 台湾有事シミュレーション 115
──実践的レッドチーミング
◆ シミュレーション「台湾Xデイ」116
◆ 台湾有事審議会の編成 119
◆ レッドチームの編成 122
◆「ホームチーム」による伝統的戦略の提示 124
◆ ホームチームによる新戦略の説明 127
◆ レッドチームによる疑義と反論 134
◆「両チーム」次の課題 145
第5章 レッドチーミングの手順 147
レッドチームを編成する 147
「対立的視点」を提供する 149
「敵の考え方」を再現する 150
「敵の思考を形成する要素」を把握する 151
レッドチームの役割──対立的視点を持ち込む 155
レッドチーム・リーダーの資質 156
レッドチーム・メンバーを選ぶ 158
ホームチームの意思決定モデルに対応する 161
利害関係者からの情報に注意する 164
ホームチームのシナリオの欠陥を正す 166
レッドチーミングで用いる手法 168
1、利害関係者マッピング分析 171
2、代替将来分析 176
シナリオの評価と分類 180
第6章 日本こそレッドチーミングを導入せよ 184
レッドチーム導入のジレンマ──階級社会と認知バイアス 184
“忠臣”楠木正成の故事 186
湊川合戦に至る複雑な歴史の流れ 188
楠木正成による代替将来分析 192
楠木正成が想定したシナリオ 193
正成の献策入れられずワーストケースへ 196
社会規範として定着した経緯 198
行き着いた先が特攻 199
日本社会こそレッドチーミングの導入が不可欠 201
付録1 認知バイアス 203
1、検索範囲を狭めてしまうバイアス 203
2、他者の影響で誤るバイアス 205
3、強い意見に影響されるバイアス 207
4、過去の経験を誤用するバイアス 210
5、リスク認知バイアス 212
6、最も明白な解決策を選択するバイアス 213
7、外部要因の考慮不足 215
8、特定のアイデアや行動に過度に関与するバイアス 216
9、過信バイアス 218
付録2 OODA(ウーダ)ループ 220
コラム@ 市販ゲーム「ガルフ・ストライク」で対イラク戦をシミュレート 16
コラムA『墨子』巻一三「公輸」21
コラムB レッドチームという呼称について 26
コラムC 総力戦研究所のシミュレーション 48
コラムD南北朝正閏論 198
おわりに 225
北村 淳(きたむら じゅん)
東京都生まれ。東京学芸大学卒業。警視庁公安部勤務後、平成元年に北米に渡る。ハワイ大学ならびにブリティッシュ・コロンビア大学で助手・講師等を務める。戦争発生メカニズムの研究によってブリティッシュ・コロンビア大学でPh.D.(政治社会学博士)取得。専攻は国家論、戦略地政学。米国シンクタンクにおいて米海軍、米海兵隊などへのテクニカルアドバイザーを務める。“戦う軍隊”に入り込んでフィールドリサーチを実施する経験を持つ数少ない日本人の社会科学者。現在米国西海岸在住。著書に『アメリカ海兵隊のドクトリン』(芙蓉書房)、『島嶼防衛』(明成社)、『写真で見るトモダチ作戦』『海兵隊とオスプレイ』(並木書房)、『トランプと自衛隊の対中軍事戦略』(講談社)、『米軍幹部が学ぶ最強の地政学』(宝島社)、『シミュレーション日本降伏』『米軍最強という幻想』(PHP研究所)など多数。
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