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 日本語版に寄せて(ロテム・コーネル)

 日露戦争からほぼ一二〇年たった現在、この戦争は、日本の新しい世代を今なお魅了してやまない。司馬?太郎の大作『坂の上の雲』の人気は、その証例の一つにすぎない。これをベースとするNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」は、二〇〇九年から一一年まで放映されたが、最も費用をかけ従来にもまして入念に仕上げられた作品であった。一三話で構成されるドラマの最終章は「日本海海戦」と題する戦争の決をとった大海戦である。
  確かにそれは、偉大なるクライマックスであった。鮮やかな海戦の勝利は、三カ月足らずで戦争を終結に導いた。日本がこの海戦に敗北していれば、帝国の命運は尽きたはずである。この後の時代、海戦は日本帝国海軍の興隆に非常な衝撃を与えた。爾後、海軍に対する予算配分は年を追って大きくなり、開戦からわずか一三年後の、第一次世界大戦末の時点で、世界第三位の海軍に成長していた。
  より視野を広げて、当時をふり返って考えれば、日露戦争は、短期間とはいえ、日本が愛国心を大いに発揚しつつ武力を行使し、同時に国際的な尊敬を得た闘争であったと考えられる。
  対馬沖海戦(日本海海戦)は、正義の弱者が自衛のために立ち上がり、勝利した最後の戦いであり、今日も多くの日本人がこの戦いに率直な誇りを抱いているのは、なんら不思議ではない。
  ほかの地域では、二〇世紀の歴史学方法論は、日露戦争自体もそうであるが、対馬沖海戦の意義を見過ごしている。わずか九年後に勃発した第一次世界大戦によって、日露の戦いは、影が薄くなった。忘却の主たる理由は、そこにある。
  それでも、現実には日本の対馬沖海戦の勝利は、グローバルな影響を及ぼしたのである。今日ならより正確に評価できる。軍事上、海上覇権の問題上、あるいは地政学上多くのグローバルなモーメントを有していたのである。
  対馬沖海戦は、その一〇〇年前のトラファルガー海戦以来最大の戦いであり、本書で論じているように、史上最大の海戦の一つであった。
  この海戦については、これまで数百冊の本が書かれているが、本書はほかの類書とは違う。日本語、ロシア語、英語を含むさまざまな言語による公文書館所蔵の文献、そして二次資料に依拠しつつ、対馬沖海戦のグローバルな重要性を追究し、移りゆく時代背景のなかで、世界、特に日本とロシアにおける記憶の仕方、追悼のやり方がどのように変わったのか、あるいは変わらなかったのかを見ていく。
  日本の読者は、海戦とそのインパクトについて、今まで知られていなかった詳細の多くを本書で御覧いただけるであろう。本書を読めば、自分たちの過去を必ずや誇りに思うに違いない。しかし同時に、この過去がなぜ違った方向に進んだのか、疑問を呈されることであろう。

 本書の執筆は、多くの同僚、友人の支援ではじめて可能になった。その何人かの支援は、謝辞のなかで触れた、しかし、ここで私は、特に最初から本プロジェクトの重要性を信じ、本書の刊行を後押してくれた滝川義人氏と常に支援していただいた並木書房に心から感謝の気持ちをお伝えする。
  そして最後になったが、名城大学の稲葉千晴教授に触れておきたい。東ヨーロッパと日本の近代史を専門にする高名な研究者であり、私の友人である先生は、日露戦争と対馬沖海戦に対する魅惑と知識を永年私と共有してくれた人である。

●目次

目 次

 

日本語版に寄せて(ロテム・コーネル) 1
謝 辞 4
推薦の言葉 6
凡 例 13
資料 対馬沖海戦時の日露艦隊の編成 15

はじめに 19

第一章 背 景──「TSUSHIMA」への道程 21

 準鎖国政策の終焉と日露交渉 21
  正念場の時代──日清戦争とその余波 24
  開戦前夜における海軍戦略と戦力比 27
  日露戦争の勃発と一年目の戦況 38
  バルチック艦隊の遠征 44
  作戦計画と海戦前夜の戦力比較 53

第二章 戦 闘──最大、最後の艦隊決戦 60

 第一段階──邀撃戦 61
  第二段階──緒戦 68
  第三段階──追撃戦 76
  第四段階──夜間戦闘 80
  第五段階──敗走、降伏そして終局 84
  なぜ東郷は勝ち、ロジェストヴェンスキーは負けたか 93
(1)武 装 93
(2)装甲と艦の構造 96
(3)速 力 98
(4)通信と探知 99
(5)指揮統率と準備 99
(6)意 欲 100
(7)戦 術 102
(8)戦 略 103

第三章 傑出した海軍国になった日本 105

 戦いに勝っても慈悲深い国 105
  海戦後の日本帝国海軍 109
  その後の帝国海軍 114
  海戦の記憶とその意義 119
  誇りと祝意──帝国時代(一九〇五?四五年)120
  強制された記憶の喪失──占領時代とその余波(一九四五?五七年)125
  誇りと理想──戦後独立回復時代(一九五七年?)127

第四章 打ち砕かれたロシア海軍の夢 133

 想像すらできなかった潰滅的敗北 133
  海戦とロシアの国内外政策 135
  海戦後の帝政ロシア海軍 140
  変わり行く海戦の記憶 151
(1)衝撃と悲嘆──帝政時代(一九〇五?一七年)151
(2)糾弾と警告──ソビエト時代(一九一七?九一年)155
(3)ノスタルジーと陶酔──ロシア連邦時代(一九九一年?)161

第五章 世界の反応と評価 164

 メディアの反応 164
  政策決定者の反応 173
  海軍専門家の評価 179

第六章 学ばれた戦訓、学ばれなかった戦訓 188

 戦艦の運命 189
  技術開発上の結果 196
  教義上の波紋 200
  学ばれなかった戦訓─海戦と長期に及ぶ海軍の革命 207

第七章 結 論 211

 ロジェストヴェンスキーの軍事的失敗 211
  日本にとっては国家存亡の戦い 212
  対馬沖海戦のインパクト 213
「歴史上最も決定的かつ完全な勝利」215

訳者あとがき(滝川義人)218
「グレートバトル・シリーズ」に寄せて(ヒュー・ストラカン)221
脚 注 286
資料文献 249

 

ロテム・コーネル(Rotem Kowner)
1960年、イスラエルのミフモレット生まれ。ハイファ大学アジア学科正教授。専門は日本近代史。前イスラエル日本学会会長。早稲田大学、大阪大学、ジュネーブ大学、ミュンヘン大学の客員教授。エルサレムのヘブライ大学で東アジア学と心理学を専攻。ベルリン自由大学で1年、筑波大学で6年の研究後、博士号を取得。さらにスタンフォード大学とヘブライ大学で研究を続ける。元イスラエル海軍少佐。日露戦争が地域と世界に及ぼした緊張と影響の研究を行ない、本書を含む関連研究書6冊を刊行。2010年以降は、近世アジア、特に日本における人種と人種主義の研究調査を進める。
[主な著書]
The Forgotten War between Russia and Japan- and its Legacy, 2005
Historical Dictionary of the Russia-Japanese War, 2006
The Impact of the Russo-Japanese War, 2007
Rethinking the Russo-Japanese War 1904/05, 2007
The A to Z of the Russo-Japanese War, 2009
Tsushima, 2022
Race and Racism in Modern East Asia: Western and Eastern Construction,(with Walter Demel)2013, Race and Racism in Modern East Asia (VolU):Interactions, Nationalism, Gender and Lineage (with Walter Demel) 2015
From White to Yellow-The Japanese in European Racial Thought,2014(邦訳『白か
ら黄色へ─ヨーロッパ人の人種思想から見た「日本人」の発見』明石書店、2022年)
Jewish Communities in Modern Asia,2023(『近代アジアのユダヤ人社会』2024年刊行予定)

滝川義人(たきがわ・よしと)
ユダヤ人社会、中東軍事紛争の研究者、長崎県諫早市出身、早稲田大学第一文学部卒業、元駐日イスラエル大使館チーフインフォメーションオフィサー。[主な訳書]A・ラビノビッチ『ヨムキプール戦争全史』(並木書房、2008年)、M・バルオン編著『イスラエル軍事史』(並木書房、2017年)、H・ヘルツォーグ『図解中東戦争』(原書房、1995年)、M・オレン『第三次中東戦争全史』(原書房、2012年)、J・コメイ『ユダヤ人名事典』(東京堂出版、2010年)、A・エロン『ドイツに生きたユダヤ人の歴史』(明石書店、2013年)、H・M・サッカー『アメリカに生きるユダヤ人の歴史』(明石書店、2020年)、R・コーネル『白から黄色へ─ヨーロッパ人の人種思想から見た「日本人」の発見』明石書店、2022年)、R・コーネル(『近代アジアのユダヤ人社会』(2024年)