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監修者のことば

 社会のデジタル化は急速に進んでいる。世界各国でCovid19の拡散防止のためロックダウンがなされ、わが国でもたび重なる緊急事態宣言の発令で、IT化、AI化に拍車がかかり、働き方改革も進行している。それにともないITの関連用語も日常的にマスコミやSNSなどに溢れるようになった。
  教育界においてもDX(デジタルトランスフォーメーション)が加速している。2017年度から小学校にプログラミング教育が導入された。高等学校ではすでに2003年度から「情報」が必修科目となり、2022年度の高校の新学習指導要領では、「情報」が、プログラミングなどを学ぶ必修科目「情報T」と選択科目「情報U」に再編されるなど、情報やデジタルに関する教育は深化・高度化している。さらに、文部科学省は2025年1月の大学入学共通テストから、新教科として「情報」を新設することを決定した。
  その一方で、日本における「情報」に関する認識はまだまだ低い。たとえば、日本語の「情報」という言葉は、英語の information 及び intelligence の両者の訳語として使われているため、それぞれの意味が混在している。つまり、欧米の有識者の間では明確に区別されている両者の使い分けがなされていないのが現状である。(「インテリジェンス」「インフォメーション」の項参照)
  また、わが国では学術的研究もほとんど行われず、国際政治や政治学といった社会学の分野でも「インテリジェンス」の研究は重要視されなかった。いやむしろ、まともな研究の対象とすらされてこなかった。
  しかしながら、諸外国においては、情勢分析を行う上で「インテリジェンス」に関する知識は必要不可欠であり、大学の教育でも専門教育の中に広く取り入れられている。また、アメリカの大学生には就職先としてCIAやFBIなどのインテリジェンス関係の政府機関や民間企業は人気が高い。
  2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ(9.11テロ)は、インテリジェンス機関に問題があったのではないかという議論が起こり、インテリジェンスの強化が訴えられ、インテリジェンス機関が拡大された。また、それと同時に、学術面からも9.11テロを境に「インテリジェンスの失敗」の研究も盛んに行われるようになった。
  そうした流れから諸外国の大学ではインテリジェンス関連の学部の新設が急増している。しかしながら、わが国においてインテリジェンスを教育科目として教えているところは、私が教鞭をとる拓殖大学大学院を除き、ほとんど皆無であるのが実情である。
  それでもわが国でもインテリジェンスに関する教科書的な書籍が出版されるようになってきた。たとえば『インテリジェンス入門─利益を実現する知識の創造』(北岡元著)、『インテリジェンス─機密から政策へ』(元CIAの分析官マーク・ローエンタール著、茂田宏監訳)、『インテリジェンスの基礎理論』(小林良樹著)、『戦略的インテリジェンス入門』(上田篤盛著)などである。しかし、インテリジェンスに関する事典はなかったため、実務面でも、また国際政治を学ぶ上でも本格的な用語事典が求められていた。
  そのような中にあって、本書『インテリジェンス用語事典』の刊行は画期的なことである。拓殖大学大学院や中央大学大学院などの私のゼミ生や卒業生などを中心に議論を重ね、4年越しにインテリジェンスに関する事典が完成した。サイバー関連用語についても、サイバーセキュリティ会社の専門家に協力や執筆をいただいた。
  インテリジェンスは、わが国において諸外国のように研究が進んでいる分野ではないので、研究者や読者の意見を得て、さらに充実させる必要性があることは十分認識している。本事典は初学者の参考になると思料しており、今後の研究の礎になることを期待している。

拓殖大学大学院教授 川上高司



 

編著者のことば

 近年は「インテリジェンス」に関連する書籍も多く出版され、情報という意味での「インテリジェンス」という言葉も世間に市民権を得たと思っていた。もちろん、本書を手に取っていただいた読者の皆さまは、安全保障、国際政治などに関心があり、「インテリジェンス」についてさらに理解を深めたいと思われている方が大半だと思う。
  しかし、安全保障や国際政治にあまり関心がない方にとっては、「インテリジェンス」が「情報」も意味することは、あまり浸透していないようである。試しに広辞苑でインテリジェンスと引いてみると、「知能。知性。理知」が先に来て、次に「情報」となっている。また、インテリジェンス=諜報・スパイと思っている方も多いようである。
  私は、2020年に自衛官として定年を迎えたが、1995年頃から20年以上にわたり自衛隊でインテリジェンスに関わってきた。最初の頃は、現場で使われているインテリジェンス関連の用語の意味がわからなかった。旧軍で使われていた用語、アメリカで使われている用語、隠語などが現場では当たり前のように飛び交い、そのつど意味を聞ける雰囲気ではなかった。
  辞書で調べても、どうも現場のニュアンスと異なる。まだインターネットも普及していない頃である。そこで時間を見つけては先輩に尋ねるのだが、聞く人によって微妙に解釈が異なることもわかってきた。特に自分にとって衝撃的だったのは、外国のインテリジェンス機関の人との雑談で、「日本の情報関係者は、フュージョンとオールソース分析の違いもわかってないので、説明に疲れる」と聞いたことである(違いがあやふやな人は本書の該当項目を参照されたい)。
  当時は、私も両者の明確な違いなど意識していなかった。そのような経験からインテリジェンスに関する用語集や事典がないかとかなり探したが、日本語で記述されたものは皆無だった。もちろん、安全保障やサイバーなどに関連して記述したものはあった。また、スパイに関連した本の末尾に用語集らしきものは見かけたが、あまり信憑性はなかった。インテリジェンスに特化した事典がいつか出版されるだろうと思い、日々の業務に打ち込んでいたが、刊行されることはなかった。
  しびれを切らして、誰も出さないなら後輩たちのために自分たちで作ろうと上田篤盛氏と意気投合したのが、本書を出版するに至ったきっかけだった。それまでに15年以上、2人とも自衛隊でインテリジェンスに関わってきたので、お互いの知識や経験を持ち寄ればなんとかなると思っていた。しかし、いざ取りかかると簡単なことではなかった。すぐに直面した大きな問題は、次の3つである。1つ目は用語集には必要だが、秘密扱いとされている用語やトピックをどのように扱うか、2つ目は秘密の解除やインターネットの普及によって最新のデータがどんどん更新されていること、3つ目はデータの中に偽情報や誤情報が紛れ込んでいることである。
  これらの問題に対処するためには、2人だけでは、すぐに行き詰ってしまった。そこで私の大学院の恩師である拓殖大学教授の川上高司先生に相談したのが、2018年のことである。インテリジェンスに興味を示してくれた、当時中央大学法学部助教の志田淳二郎氏や同大学の大学院生などと共に「インテリジェンス研究会」と称して定期的に集まり、インテリジェンス関連の読書会やインテリジェンスに関連する用語について意見を出し合い作成を試みた。
  最初は軽易に使っている日本語の「情報」という言葉の由来もわからなかったので、研究者に教えを乞うたこともある。事典づくりに関しても素人の集まりであったが、議論を重ねるうちに何とか形になってきた。
  本書は、初めてインテリジェンス業務に関わる実務担当者やインテリジェンス研究の初学者を念頭に置いて、陰謀論的なあやふやな用語を排除して、わかりやすい説明と解説を心がけた。インテリジェンスに関する文献の中から、使用されている用語を抽出し、略語や俗語などを含めて掲載し、インテリジェンス的な意味を一義的に記述し、その解釈を加えることに尽力した。記述した内容は、すべてオープンソースに基づくものであり、できるだけ調査時点での最新の資料を盛り込むように努めた。

 さて、アメリカの歴史研究家ロベルタ・ウールステッターは、1941年の日本軍の真珠湾攻撃を研究し、多くの玉石混交の情報の中から、真に役に立つ情報を探し出すことは困難であるとして、「ノイズとシグナルの問題」を指摘している。
  その後の科学技術の進歩はすさまじく、インテリジェンス機関が収集できる情報は、幾何級数的に増加し、当時よりもはるかに膨大な情報を収集できるようになった。インターネットやSNSの発達で、人々は情報の洪水に溺れそうになり、フェイクニュースの海に漂っているといえるだろう。それはなにも一般の人だけでなく、情報関係者も同じ状況である。
  さらにインテリジェンス機関においては、情報の収集だけでなく情報の分析すらも、もはや個人の能力や経験に基づく職人的技術で何とか対応できるものではなくなっている。
「群集の英知」を発揮してこそ、良質のインテリジェンスを作成できる。その際の共通理解の促進のために、この事典を活用していただければ望外の喜びである。
  特に分析手法(中でも構造的分析技法)についての項目をできるだけ盛り込んだのは、本書の大きな特徴の1つである。構造的分析技法は、チームとして分析する際に作業が分担しやすいこと、個人では陥りやすいバイアスを回避するためにも有益であるとされ、特に9.11テロ以降、欧米のインテリジェンス機関においては、その活用が推奨されている(「分析手法」「ストラクチャード・アナリティク・テクニック〔構造的分析技法〕」の項参照)。

 本書の構成は、数字・英語・五十音順に用語を並べ、それぞれの用語には一般的な訳語や意味に続いて、簡単な解説を加え、末尾には矢印(⇒)をつけて関連用語がわかるようにした。
  本文において使用する用語については、できるだけ統一するように努めたが、原文に使われている用語、慣例的に使われている用語、文脈の中で適切と思われる用語などを使用したため、必ずしも統一されていないことをご容赦願いたい(インテリジェンス機関と情報機関、諜報機関など)。
  諸外国のインテリジェンス機関については、略語や通称を付記すると共に、できるだけ組織図を入れることとした。同じ国においてさえ組織図の書き方は、上から下、左から右へなど表現方法が異なり、詳しい組織図や編成が明らかにされていない機関、文章でのみで説明している機関など様々である。それらをできるだけピラミッド型の組織図に統一して記述し、比較しやすいように工夫した。
  本書が、インテリジェンスに関する誤解を解き、インテリジェンスをより理解していただく基礎になることを願っている。
拓殖大学大学院講師・樋口敬祐



監修者・執筆者プロフィール

川上高司(かわかみ・たかし)
1955年熊本県生まれ。拓殖大学教授、中央大学法学部兼任講師、NPO法人外交政策センター理事長。大阪大学博士(国際公共政策)。フレッチャースクール外交政策分析研究所研究員、世界平和研究所研究員、RAND研究所客員研究員、海部俊樹総理政策秘書、防衛庁防衛研究所主任研究官、北陸大学法学部教授、拓殖大学海外事情研究所所長・教授などを経て現職。著書に『トランプ後の世界秩序』(共著・東洋経済新報社)、『2021年パワーポリティクスの時代』(共著・創成社)、『無極化時代の日米同盟』(ミネルヴァ書房)、『日米同盟とは何か』(中央公論社)、『アメリカ世界を読む』(創成社)他。

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。NPO法人外交政策センター事務局長。元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析部分析官などとして勤務。その間に拓殖大学博士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定年退官。著書に『国際政治の変容と新しい国際政治学』(共著・志學社)、『2021年パワーポリティクスの時代』(共著・創成社)。

上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。株式会社ラック「ナショナルセキュリティ研究所」シニアコンサルタント。防衛大学校卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。防衛省情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定年退官。著書に『中国軍事用語事典』(共著・蒼蒼社)、『戦略的インテリジェンス入門』『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』『武器になる情報分析力』『情報分析官が見た陸軍中野学校』(並木書房)、『未来予測入門』(講談社)他。

志田淳二郎(しだ・じゅんじろう)
1991年茨城県生まれ。名桜大学(沖縄県)国際学群准教授。中央ヨーロッパ大学(ハンガリー)政治学部修士課程修了、中央大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。中央大学法学部助教、笹川平和財団米国(ワシントンDC)客員準研究員、拓殖大学大学院非常勤講師などを経て現職。専門は、米国外交史、国際政治学、安全保障論。著書に『米国の冷戦終結外交─ジョージ・H・W・ブッシュ政権とドイツ統一』(有信堂、第26回アメリカ学会清水博賞受賞)、『ハイブリッド戦争の時代』(並木書房)他。