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  プロローグ(一部)

 二〇二〇年一月三日、年明け早々に衝撃的なニュースが世界を駆けめぐった。
  イラクのバグダッド国際空港で、イラン革命防衛隊(IRGC)の対外特殊工作機関「コッズ部隊」のカーセム・ソレイマニ司令官が米軍の無人機攻撃で爆殺されたことが報じられたのである。
  ソレイマニ司令官は、イランにおいて最も人気の高い軍人であり、保守派に限らず幅広い層の国民から尊敬を集める国民的英雄である。米国とイランの対立が強まるなかでのこのような人物の暗殺は、イランからすれば米国による宣戦布告≠ノ等しい行為である。
  イランのハメネイ最高指導者は「ソレイマニ司令官を殺害した犯罪者には厳しい報復が待っている」と述べて復讐を宣言。イランによる軍事的な報復の危険が高まった。
  一方トランプ大統領も、もしイランが報復攻撃をした場合、「イランの五二か所を標的として攻撃する」「大規模な報復が待っている」などと述べて軍事攻撃を宣言したことから、戦争のエスカレーションが止められなくなる可能性が強まった。
  米政権は、イランの報復攻撃に備え、中東地域での米軍の態勢強化を加速し、米軍が基地を置くインド洋のディエゴガルシア島にB‐52戦略爆撃機六機を派遣するほか、中東に約四五〇〇人増派する準備にも着手、にわかに「戦争ムード」が高まった。
  中東の緊張が高まるなか、一月八日未明にイランが一〇発以上の弾道ミサイルを、米軍が駐留するイラク国内のアサド空軍基地とアルビルの計二か所の基地に発射。これを受けて米国がイラン攻撃に踏み切れば、米国とイランの全面戦争に発展する危険があった。
  結局、トランプ米大統領は九日の声明で、米軍に被害が出なかったことから、イランへの軍事攻撃を行なわないと発表し、全面戦争の危機は回避された。
  トランプ大統領の登場以来続いてきたイランと米国の対立は、ソレイマニ司令官の殺害を受けて全面戦争直前の危機的な状況にまで突き進んだ。ひとまず現時点での戦争の危機は回避されたものの、対立の構造は残り、その後も一触即発の緊迫した状態が続いている。
  イランの核開発をめぐる緊張も高まっている。イランは米国が「核合意」から離脱したことに反発し、合意義務の履行を停止し、少しずつ核開発を再開させた。合意の当事国である英仏独三か国は、合意維持のためにイラン救済策を模索したが、二〇二〇年一月一四日、イランの合意違反を非難し、国連の対イラン制裁復活に道を開く手続きを開始した。
  核合意が完全に崩壊し、イランが核開発を加速させれば、イランの核保有を防ぐ≠スめに米国がイランの核施設を攻撃する可能性も高まる。
  米国とイランは、一九八〇年に断交して以来、四〇年間にわたって対立を続けてきたが、二〇二〇年に入りその対立はピークを迎え、全面的な軍事衝突に史上最も近い危険な状態に突入している。
  万が一、米・イランの「全面戦争」という最悪のシナリオになった場合、その影響はイランだけにとどまらず、サウジアラビアやイスラエルまで巻き込む地域紛争に発展するリアルなリスクがある。当然そうなれば、中東原油に依存する日本経済を直撃することになる。
 
  なぜ米国とイランはここまで激しく憎しみあい、対立するのか? 米国はイランの何を問題視し、イランはなぜ抵抗を続けるのか? 過去四〇年間の抗争の歴史を振り返り、オバマ政権時の関係改善からトランプ政権下で一気に関係が悪化した経緯を丹念にたどっていくと、トランプ政権がもはや取り返しのつかないところまでイランを追い込み、イランが生存をかけた危険な勝負に出ている≠ニいう現在の危機の構図を理解することができる。
  現在、米国とイランは極めて危険な「衝突コース」を突き進んでいる。なぜ、どのようにして両国がこの道を選ぶことに至ったのか。そのディープな背景を知る旅に読者をお連れしよう。

目 次

プロローグ 1

第1章 米・イラン相互不信の歴史 13

イラン対米不信の根─CIAのクーデター事件/反政府派の急先鋒ホメイニ師の台頭/イラン革命と「米国大使館占拠人質事件」/イランによる「革命の輸出」と対米テロ/イラン・イラク戦争が決定づけたイランの軍事戦略/負の経験を積み重ねた米・イラン関係/ブッシュのイラク戦争で影響力強めたイラン/スンニ派の国からシーア派の国へ/深刻化するイラン核開発問題

第2章 オバマ「核合意」の失敗 43

イランとの対話を進め、イスラエルに圧力/頓挫した「オバマ提案」/対イラン経済制裁を強化したオバマ政権/二〇一一年七月までにイスラエルがイランを空爆?/米・イスラエルが仕掛けた「サイバー攻撃」/イラン核開発進展と欧米による制裁の強化/ロウハニ新大統領の登場で再開された核交渉/相互不信を乗り越えて辿り着いた核合意/動揺するサウジと激化する中東パワーゲーム/シリア内戦を通じて勢力を拡大させるイラン/トランプ政権が目論むイラン包囲網の構築

第3章 トランプ政権の対イラン戦略 80

トランプの『国家安全保障戦略』/優先課題は「現状変更勢力」への対応/強硬姿勢一辺倒の対イラン戦略/トランプの「最後通告」/トランプを支える反イラン最強硬派/トランプ大統領の核合意破棄宣言/イランを徹底的に締め上げる/国家主権を無視した「一二カ条要求」/高まるイランとイスラエルの軍事衝突リスク/ポンペオ国務長官が発表した「トランプ・ドクトリン」

第4章 限界近づくイランの「戦略的忍耐」116

ロウハニ政権は米国抜きの核合意維持を目指した/不満を募らせるイランの指導部/核合意維持で結束固めるEUとイラン/トランプ政権支えるネオコン・ネットワーク /動き出したイラン「革命防衛隊」/イランの対外戦略と軍事能力/「外国勢力によるテロ」に激怒するイラン/伝統的なイランの「前線防衛」構想

第5章 イランを締め上げるトランプ 151

米軍「シリア撤退」を表明したトランプ大統領/トランプ大統領の突然の決断の背景/「条件付き撤退」へ方向転換/「中東戦略同盟」構築に奔走するポンペオ国務長官/ペンス副大統領の反イラン演説/深まる大西洋同盟の亀裂/イランを締めつける米主導の経済制裁/隣国との関係強化で生き残りを図るイラン/イラン革命防衛隊を「テロ組織」に指定

第6章 イランの「最大限の抵抗」戦略 191

「戦略的忍耐」政策をやめたイラン/二〇一九年五月のペルシャ湾危機/安倍首相の訪問後、再び高まった米・イラン間の緊張/イランの「最大限の抵抗」に苦しめられるトランプ/核合意の枠内で「抵抗」を続けるイラン/タンカー護衛有志連合の発足/オバマ政権時代の国防長官が語るイランの脅威/戦争に巻き込まれたくない─中東諸国の新たな動き/エスカレートする革命防衛隊の挑発/より大胆な行動をとるイラン強硬派/ペンタゴン元イラン分析官の戦争シナリオ/軍事衝突は瞬く間に地域紛争に拡大/少しずつ増える有志連合の参加国/激化する米・イラン「代理勢力」間の衝突/再び高まる米・イラン間の緊張

第7章 軍事衝突に向かう米国とイラン 233

フランスが仕掛けた米・イラン首脳会談/制裁を強化し続けたトランプ政権/サウジの石油施設を無人機攻撃/幻の米・イラン首脳電話会談/軟化姿勢を見せ始めたムハンマド皇太子/デモ・暴動拡大で対外強硬姿勢強めたイラン/イラン「核合意履行停止」第四弾を発表/バグダッドの米国大使館襲撃事件/革命防衛隊ソレイマニ司令官の殺害/報復攻撃に踏み切ったイラン

エピローグ 267

抑制されたイラン・ミサイル攻撃/「全面戦争」は回避されたが緊張は続く/最終フェーズに突入する米・イラン危機

主要参考文献 274

菅原 出(すがわら・いずる)
国際政治アナリスト・危機管理コンサルタント
1969年生まれ、東京都出身。中央大学法学部政治学科卒業後、オランダ・アムステルダム大学に留学、国際関係学修士課程卒。東京財団リサーチフェロー、英危機管理会社役員などを経て現職。合同会社グローバルリスク・アドバイザリー代表、NPO法人「海外安全・危機管理の会(OSCMA)」代表理事も務める。著書に『外注される戦争』(草思社)、『戦争詐欺師』(講談社)、『秘密戦争の司令官オバマ』(並木書房)、『「イスラム国」と「恐怖の輸出」』(講談社現代新書)などがある。