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 はじめに(一部)

 私は防衛庁(現在の防衛省)内局勤務中、上司の岡崎久彦参事官(のちの駐タイ大使、故人)から「君は『三島由紀夫と最後に会った男(自衛官)』だそうだな」と問われた。自決の約一か月前の昭和四五(一九七〇)年一〇月一八日、私は三島由紀夫氏と会っている。三島氏は四五歳、私は二三歳で、任官したての「青年将校」であった。(中略)
  ところで、厳密にいうと私は三島氏と最後に会った自衛官ではなかった。資料を調べていくうちに、私のあとでお別れの意味で、山本舜勝陸将補(当時)と菊地勝夫一尉(当時)に三島氏は会っている。ただし、一〇歳以上も離れた二人との年齢差を考慮し、最後に会った「青年将校」と自任させていただく。
  とはいえ、私の場合、三島氏から、世話になったとお礼を言われるほど数多い付き合いはしていない。最後に会ったときの会食もお礼の意味という雰囲気ではなかった。だから山本氏や菊地氏と同等の意味で「最後に会った自衛官」に並べられないのである。私が試行錯誤しながら三島氏に接近していた思いを三島氏の霊にぶつけたのが、第六章の「ビッグ・イフ!(もしも、あのとき!)」である。山本氏も菊地氏もすでに鬼籍に入られた。私は自衛官最後の語り部となったのかもしれない。

目 次

目 次

 

 

はじめに 1

第一章 三島のクーデター論 13

自衛隊若手幹部に「クーデター」の働きかけ 13
単純で初歩的な三島のクーデター論 16
「すべて墓場まで持って行く」22
「自衛隊がクーデターを起こすことは決してありません」24
揺れる三島の「クーデター論」28

第二章 山本一佐と三島の複雑な関係 33

三島の祖国防衛隊構想と治安出動 33
山本の情報訓練にかける三島の意気込み 38
反革命宣言─三島の「戦略転換」40
砕け散った三島の夢 46
決起がなぜ一一月二五日だったのか 53
自衛隊に対する三島の絶望 59
山本は三島に何を教えたのか? 61
「期待はずれの教官」65

第三章 三島事件か森田事件か 71

六月以降、主導権は森田から三島へ 71
三島の決心で計画は進んだ 78

第四章 三島由紀夫との出会い 81

日本軍人にあこがれて防大受験 81
勇気づけられた祖父のひと言 85
「西村という弁の立つやつがいる」87
制服姿で大学紛争をめぐり議論を戦わす 90
三島由紀夫との初めての出会い 94
三島の防大講演 98
幹部候補生学校で同志に出会う 104
自衛隊の治安出動訓練 110
テイヤール思想と三島思想 114

第五章 自衛隊は何を守るか 117

「任務至上主義はニヒリズム」117
「少尉」任官直前に三島を訪ねる 123
「未来」という言葉を嫌った三島 127
「自衛隊は何を守るのかね」131
危惧は的中した 136

第六章 「直接会って話をしよう」140

大作家にぶつけた手紙 140
「直接会って話をしよう」148
「制服を脱いでくるように」155
痛恨の一〇月一八日 161
われわれには「焦り」がある…… 168
ビッグ・イフ(もしも、あのとき……)174

第七章 事件後の事情聴取 184

三島由紀夫、決起す 184
三島自決の衝撃 191
警視庁、警務隊の事情聴取 194
中隊員を集めて「精神教育」197
三島事件を肯定する者、否定する者 200
新隊員を引率して皇居参賀と國参拝 206
消えぬクーデターの風聞 210

第八章 三島の防衛論 214

米国「ランド研究所」で戦略を研究する 214
陸幕防衛班で対ソ抑止戦略を主導 221
現実離れした三島の「国土防衛軍」224
自衛隊はアメリカの傭兵か? 228
先進的な三島の「国連警察予備軍」構想 231
三島由紀夫の「憲法改正論」234
私の憲法改正論─国連集団安全保障 236

おわりに 244
引用文献/参考文献 246
解題にかえて─
もう一人の青年将校(森川啓二)248

二人の脇侍 248
客人としてわれわれを遇してくれた 250
今だからわかる「部下をかわいいと思う中隊長の危ういところ」251
三島氏がバルコニーから観ていた世界 255

[三島氏と筆者の面談・交流]
昭和四三年七月、防大四学年の西村学生、滝ヶ原分屯地で初めて三島氏と面談。
昭和四三年一一月二〇日、三島氏の防大講演会後、校長応接室で二回目の面談。
昭和四五年三月二日、BOC(幹部初級課程)入校中、滝ヶ原分屯地で体験入隊中の三島氏と面談。
同年三月二四日、同分屯地にて三尉任官を三島氏に報告。村上一郎著『北一輝論』を恵贈される。
同年四月一一日、三島邸に招待され、三島・森田両氏と食事。
同年五月と六月に三島氏に電話するも次回の面会は叶わず。八月下旬、三島氏に軍民会合(討論会)の参加を訴える手紙を送る。
同年九月二三日、三たび電話。三島氏から「直接会って話をしよう」「制服は脱いで来るように」と言われる。
同年一〇月一八日、決起直前の三島・森田両氏と東銀座の鍋料理屋で面談。

西村繁樹(にしむら・しげき)
1947年大阪府生まれ。防衛大学校本科第13期(電気工学専攻)卒業後、陸上自衛隊入隊(野戦特科)、第1特科連隊、陸上自衛隊調査学校、防衛庁内局、ランド研究所客員研究員、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、同副室長を務めて、平成13年(2001)自衛官(1等陸佐)から文官に転官、その後、防衛大学校において戦略教育室教授を務め、2012年3月定年退官。現在、公益財団法人「偕行社」参与。著書に『SDI 戦略防衛構想-"スターウォーズ"とは何か』(教育社)、『日米同盟と日本の戦略-アメリカを見誤ってはならない』(PHP研究所 共著)、『「戦略」の強化書』(芙蓉書房出版 編著)、『防衛戦略とは何か』(PHP研究所)。