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 はじめに

 本書は、拙著『戦略的インテリジェンス入門』(2016年)をもとに、社会人向けに書き下ろした「情報分析マニュアル」です。
  本書の執筆に至った経緯は次のとおりです。
  2017年秋、社会人を対象に各種講座を主宰する「麹町アカデミア」の秋山進さんから、「ビジネスパーソン向けに情報分析の手法を講義してくれませんか」という依頼がありました。
  筆者は約15年間、防衛省情報分析官などとして国家安全保障分野における情報分析業務に携わっていた身であり、退官後もビジネスの企画や経営などに従事した経験はありません。ですから、いったんはお誘いを断ろうと思いましたが、結局、以下の理由で引き受けることにしました。
● 地政学・地経学リスクが高まり、ビジネス市場がグローバルに拡大するなか、ビジネスパーソンにとって国際情勢を分析する目を養うことは重要である。
● 国際情勢の分析、ビジネスにおける環境分析、個人の問題解決など、いずれも情報を収集して、インテリジェンスを作成するといった情報分析の本質は変わらない。国際情勢の情報分析からビジネスパーソンがそれぞれ教訓を得て、ビジネス界で活用することは可能である。
  そこで、2018年1月に「戦略的インテリジェンス入門─正しい判断をするために情報をいかに集め、読み解くか」と題して、2時間ほどの講演を行ないました。続いて同年4月に3回シリーズで計10時間の情報分析の実技講座を実施しました。
  この講座では「北朝鮮情勢」をテーマとして取り上げました。なにより北朝鮮情勢は、わが国にとって最大関心事の一つです。2017年には7回目の核実験が実施され、その前後には核搭載可能とされる弾道ミサイルの実射試験が頻発しました。ところが2018年以降は、韓国での冬季オリンピックを契機に、一転して緊張緩和が演出されるようになりました。
  そして本講座のさなかの4月には、米朝首脳会談(この時点では5月開催が取りざたされ、6月に実施)の開催が見込まれるなど、朝鮮半島をめぐる情勢は刻一刻と変化していました。
  つまり、喫緊の国際問題の発信源である北朝鮮を取り上げることは、生きた題材を活用して情報分析の醍醐味を学ぶ、またとない機会であると判断したからです。
  本講座において、ビジネスパーソンをはじめとする参加者との知的交流は実に新鮮なものでした。また、社会で経験を積んだ受講者の分析作業のレベルは、筆者が教官をしていた防衛省や陸上自衛隊の学生たちに「優るとも劣らない」という印象を受けました。
  おそらく受講者には、一般報道を鵜呑みにするのではなく自分自身で体系的・論理的に考えることの重要性や、国際情勢に関する知識が不十分であったとしても、しっかりとした手順を踏むことで相当程度の分析ができることを認識していただけたのではないかと思っています。
  しかしながら、事前のテキスト配布や予習を含めても、実習時間の不足から、筆者の解説は急ぎ足にならざるをえませんでした。したがって受講者の方々には消化不良の印象を持たれたのではないかと思われます。そこで、その反省を込めて、本講座を通じて得た教訓や反省点をもとに、実技講座で使用した講義録やテキストを加筆修正して、一冊の本に再編集したという次第です。
  本書の内容および特徴について紹介します。
  本編では「インテリジェンスとは何か?」「情報分析とは何か?」「情報分析はなぜ誤るのか?」「バイアスとは何か?」「効率的な情報分析とはどういうものか?」「どのようにしてインテリジェンスを作成するのか?」などについて解説します。事例は国際情勢だけでなく、ビジネスや生活一般からも取り上げました。
  とくに強調しているのは情報分析の「効率化」です。情報が氾濫している今日、いきなり手当たり次第に情報の収集を始めてはいけません。それではますます情報が溢れ、効率的な分析は望めるはずがありません。
  そこで効率的な情報分析の手順というものが極めて重要となります。
  まず「何を知るべきか?」という視点で質問を設定します。次にその質問に対する回答の方向性を定めます。それから回答を解くためのドライバー(鍵)を特定します。それがすんでから、そのドライバーの枠内に入る情報だけを集めて分析していきます。
  この情報分析の手順をできるだけ多くの方々にマスターしていただきたいと思います。これが本書の最大の狙いであると言っても過言ではありません。
  次に強調しているのは思考法の重要性です。すべての問題を解決する万能の分析手法はありません。情報分析に必要なものは、各分析手法の根底に流れている思考法を身につけることです。
  その中で重要なのが質問の設定(再設定を含む)とバイアス排除の思考法です。本書では、この二つについて相当の紙幅を割きました。
  付録「情報分析の実習」では、実技講座で行なった内容を一部修正して紹介してあります。付与した「課題」と、それに対する「指導案」および「解説」の三本立てになっています。これをお読みいただければ、実技講座の仮想体験ができると思います。
  読者の皆さまには想像力と創造力をもって本書をお読みいただきたいと思います。「インテリジェンスとは何か」「国際情勢の分析はどのように行なうのか」など、ご理解いただけるものと確信しています。
  予測不能で不確実な時代を勝ち抜くには、記憶と再生に偏重した知識ではなく、創造的な知的戦闘力≠ェ必要不可欠です。どうか本書をもとに、「武器となる情報分析力」を身につけられることを切に願います。

 

目 次

はじめに 1

第1章 情報からインテリジェンスへ 13

1 インテリジェンスとは何か? 13

インフォメーションとインテリジェンスの違い/インテリジェンスとインフォメーションを混同しない/インテリジェンスの三つの要件

2 インテリジェンスとはいかなる知識か? 19
「敵」「我」「戦場」の三つを知る/敵を知ることは「戦わずして勝つ」ための一つ/我を知ることは敵を知るよりも重要/「アウトサイド・イン」思考が重要

3 インテリジェンスと戦略・戦術の関係 24

わが国のインテリジェンス軽視の風潮/戦略と戦術の違い/戦略とインテリジェンスの関係

4 カスタマーとインテリジェンス担当者との関係 29

インテリジェンスはカスタマーのもの/組織の目的や基本戦略を理解する/遠すぎても近すぎてもいけない

5 インテリジェンスの究極的な目標 33

インテリジェンスの三つの種類/インテリジェンスの究極目標は未来予測/未来予測とは不確実性の低減にほかならない/不確実性に対処する二つの手法/起こりえる複数の事象とその確度を明示する/シナリオ・プランニングの活用

第2章 情報分析力を身につける 44

1「インテリジェンス・サイクル」44

2「計画・指示」の段階 47

情報要求とは何か?/目標指向の弊害/「鶏と卵」の問題

3「収集」の段階 49

オシントで90パーセント以上のことがわかる/第一次情報と第二次情報

4「処理」の段階 52

情報はデータベースとして蓄積/情報は「劣化」する/情報の評価と情報源の評価は異なる

5「分析・作成」の段階 56

情報分析とは何か?/分析とは事象を分類して特徴を見ること/統合と解釈がインテリジェンスの価値を生む/サイエンス派とアート派/プロダクトに必要な要件/作成するプロダクトの種類は?

6「配布」の段階 65

第3章 情報分析はなぜ失敗するか? 67

1 情報分析を失敗させる外的要因 67

情報の氾濫/情報の操作/組織の縦割り「ストーブ・パイプス」/インテリジェンスの政治化/組織の硬直化と集団浅慮/兆候と警告─オオカミ少年症候群

2 情報分析を失敗させる内的要因 80

想像力の欠如/意図分析への傾斜/妥当性の判断尺度を過信/さまざまなバイアスの存在/結果オーライ≠アそ失敗の本質

3 さまざまなバイアス 93

(1)一つの仮説にとらわれるバイアス 93
サンプリングバイアス/生存バイアス/利用可能バイアス/確証バイアス
(2)誤った仮説を立てるバイアス 100
希望的観測/猜疑心バイアスと敵意帰属バイアス/因果関係バイアス/ハロー(後光)効果/フレーミング効果/ミラー・イメージング/クライアンティズム(顧客迎合主義)/過大評価・過小評価/平均回帰バイアス/多数派(集団)同調バイアス
(3)一度立てた仮説や結論を修正できないバイアス 114
アンカーリング・バイアス/レイヤーイング(多層化バイアス)/正常性バイアス/現状維持バイアス/後知恵バイアス
第4章 情報分析力を高める 120

1 効率的な情報分析のための着眼 120

ニーズを明確にする/「知らなければならないこと」は千差万別/「逆から考える技術」を学ぶ

2 質問を設定する 126
(1)最初の質問を設定する 126
回答を意識する/質問は四つに分類できる/現在の質問と未来の質問の違い/よい質問の条件/クローズドクエスチョンからオープンクエスチョンへ/「5W1H」の概念で整理する/未来予測ではオープンクエスチョンが重要/質問は常に修正する
(2)質問を再設定する 136
再設定によって論点を明確にする/三つの「目」を活用する/ブレーンストーミングを行なう
(3)質問を分解する 141
質問をブレークダウンする/フェルミ推定を応用する/「MECE」で質問を分解する/階層ツリーを利用する

3 ドライバーを設定する 147

(1)ドライバーを案出する 147
ドライバー(鍵)とは何か?/フレームワークを活用する/関係図を作成する/ロジック・ツリーを活用する
(2)ドライバーを選択する 153
ドライバーの数を制限し優先順位を判断する/ドライバーに評価尺度を設定する

4 情報を収集し、整理する 156

(1)情報を効率的に収集する 157
キーワード検索を行なう/検索要領を工夫する/ネット情報の利点・欠点を認識して活用する/情報は積極的に取りにいく/第二次情報を活用する/秘匿記事から重要情報を入手する
(2)情報源と情報の評価をしっかり行なう 167
評価のための尺度を持つ/青、黄、赤に色分けして選別する
(3)情報を体系的に整理する 170
問題意識をもって分類する/マトリクスを活用する/クロノロジーを活用する

 

第5章 情報分析力で先を読む 178

1 前提を明らかにして仮説を立てる 178

前提を明らかにする/「隠れた前提」を見落さない/仮説を立てる/アナロジー思考を活用する/ブレーンストーミングを活用する

2 仮説を立証し検証する 185

仮説を証拠で立証する/仮説を因果関係で検証する

3 前提や仮説を見直す 190

リンチピン分析で前提を見直す/「重要な前提の見直し(KAC)」を使う/競合仮説分析(ACH)/競合仮説分析を実践する

4 未来を予測する 204

「四つの仮説立案」を使う/SWOT分析を用いる/イベント・ツリー分析を用いる/「仮説の見直し(HR)」を使う

5 シナリオを作成する 212

シナリオ・プランニングの基本的な考え方/シナリオ作成の基本的な手順を理解する

付録 情報分析の実習 216

課題1 質問を再設定する 218
課題2 質問を細分化する 224
課題3 ドライバーを案出する 227
課題4 クロノロジーを活用する 230
課題5 仮説を立案する 241
課題6 未来仮説を立案する 244
課題7 仮説を評価する 249
課題8 イベント・ツリー分析を適用する 252
課題9 シナリオを作成する 258

おわりに 267
主要参考文献 272

上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年にかけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定年退官。現在、軍事アナリストとして活躍。メルマガ「軍事情報」で連載。ブログ「インテリジェンスの匠」運営中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社)、『戦略的インテリジェンス入門─分析手法の手引き』『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』『中国戦略“悪”の教科書─「兵法三十六計」で読み解く対日工作』『情報戦と女性スパイ』(いずれも並木書房)。