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はじめに(一部)

▼「規模との戦い」と「不確実性との戦い」

 本書は、軍事作戦*を指揮する司令部の意思決定の手法を明らかにしたものです。
  軍事作戦に軸足を置いていますが、この手法は軍事のみならずビジネス界においても十分通用する考え方だと思います。なぜなら、軍事作戦を「規模との戦い」と「不確実性との戦い」という一般にも共通する2つの側面からとらえているからです。
「規模との戦い」では、作戦に参加する兵士、艦艇、航空機、大量の作戦資材を効率的に運用するために、標準化された用語、概念、手順、業務処理要領が定められ、全体を確実に把握し、指示や命令を徹底するための指揮系統や司令部の態勢が工夫されています。最新の情報処理・通信技術が貢献する分野でもあります。
  もう1つの「不確実性との戦い」では、敵との駆け引きから生じる極めて不透明で、不確実な状況のもと、使命*を達成するために正しい目標*を立て、速やかな意思決定を行なわなければなりません。この戦いで敵に打ち勝つには、多くの情報を迅速に処理する能力に加えて、偏りのない柔軟かつ批判的な思考能力が求められます。
  意思決定の速度が追求されるのはもちろんですが、質の高い分析、予測の広さや深さ、独創性が勝敗を左右することになります。このため、単なる経験や勘に頼ることなく、組織の「空気」に流されないような意思決定の手法が必要となります。これは人間の仕事です。
  また作戦司令部は、この2つの戦いから生じる相反する要求を同時に満たさなければなりません。標準化、定型化、統制の強化、迅速性の追求は比較的取り組みやすいものだけに、よほど気をつけないと発想や思考の硬直化、安直な意思決定を招きかねません。軍隊組織のように共通の行動規範をもった階級社会で、団結の強化、伝統や慣習を重んじる環境では、このような傾向が助長されやすいといえます。

▼日本海軍の『海戦要務令』と米海軍の『健全なる軍事判断』

 太平洋戦争における日米海軍の例を見てみましょう。
  そもそも日本は戦争の見通しについて、敵に大損害を与えれば、そのうち講和のきっかけがあるだろうと甘く考えていました。そのような考え方のもと、日本海軍は、緒戦のハワイ急襲作戦こそ綿密な計画と周到な訓練で成功させましたが、その後、敵が事前の予想と異なる行動をとると、効果的な対応がとれなくなり敗北しました。
  この原因の1つには、参謀の虎の巻であった『海戦要務令』がありました。すでに戦いが航空機中心の時代になっており、日本海軍自ら真珠湾攻撃でそれを証明したにもかかわらず、大艦巨砲主義下における艦隊同士の決戦を最高の戦法として、日本海軍の戦略*、作戦思想を画一的にしばっていたのです。『海戦要務令』は、さまざまな作戦のうち艦隊決戦だけに「ヤマ」を張り、それが大外れしたともいえるでしょう。
  一方の米海軍は、さまざまなウォーゲーム*により、「神風戦術を唯一の例外として、戦争中驚くことは何もなかった」というほどの見通しを立て、的確に日本軍を敗北に追い詰めました。
  さらに開戦前の1934年(1940年改正)には、意思決定の手法である『健全なる軍事判断(Sound Militaly Decision)』も完成させています。これは、収集した情報に基づいて検討したいくつかの行動方針*案を、@作戦目的と適合しているか? A実行は可能か? B生じ得る結果は受容できるか?という3つの観点から客観的に評価して決定するというものです。これは本書で論じる意思決定の手法のもととなったものです。
  戦う組織は、その規模が大きくなればなるほど、組織自身が行動するために標準化や定型化を進めざるを得ません。しかし、それが状況判断や行動の意思決定にまで及んで硬直化を引き起こすと、変化した状況に対応できなくなり、組織自体が滅んでしまいます。
  本書は、このような事態を回避し、構想、計画、実行の各段階を通じて、迅速性、柔軟性、独創性を発揮できるような意思決定の手法と「レッドチーム*」による批判的思考法を提示します。これが本書の第1の目的です。

▼作戦幕僚の視点で現実を分析する

 第2の目的は、抽象度の高い戦略論や個々の兵器レベルではない作戦レベルで、軍事作戦がどのような考え方や手順で計画・実施されているかを提示することです。これは軍事情勢を見るときに役立ちます。
  北朝鮮をめぐる情勢が緊張してかなり経ちます。北朝鮮は、核実験や弾道ミサイル発射といった挑発を繰り返し、経済制裁を受けながらも、2018年の平昌冬季五輪を利用した「微笑外交」や「対話攻勢」を展開し、制裁網の切り崩しや日米韓の同盟分断を図りつつ、米朝首脳会談に漕ぎつけました。
  当時、このような北朝鮮の挑発に対して、すでに米国の「レッドライン」を越えており「戦争前夜」だという人もいれば、日韓両国に予想される被害を考えると戦争は「想像できない」という人もいました。
  確かに激しい言葉の応酬とエスカレートする北朝鮮の挑発や米軍の空母機動部隊の展開、爆撃機の飛行などを見れば、「戦争前夜」をイメージします。当然、米軍もそれなりの「攻撃」は可能だったと思われます。また、北朝鮮が無傷のまま見境なく反撃に出るとすれば、韓国や日本に大きな被害が出ることもまた容易に想像できました。
  しかし、このような時こそ「平和を欲するなら戦争を理解せよ」です。軍事作戦を計画・実行する「作戦幕僚」のような観点から現実に即して冷徹に考えることが必要です。
  前述の「レッドライン」は、「エンドステート*」(作戦によって最終的に実現される状況)が明らかにならなければ、決められないものです。戦争を始めるだけなら「レッドライン」の議論だけでよいかもしれませんが、戦争を始める前には終わらせ方を決めておかなければなりません。そのためには「エンドステート」の議論が出発点になります。
  また、軍事作戦にノーリスクはあり得ません。根拠の曖昧な被害想定に振り回されて、「想像できない」と思考停止に陥るのではなく、目指す「エンドステート」のレベルごとに戦い方を検討し、それぞれの被害見積りをできるだけ小さくする工夫を軍事以外の取り組みも含めて作戦面から追求するのがあるべき作戦幕僚の役割です。
  本書は、このような視点で、やや専門的な部分に触れつつも、軍事作戦がどのような考え方や手順で計画・実行されているかを紹介して、軍事情勢を見るリテラシー向上の一助にしていただければと思います。

▼実戦を通じて磨き上げた「統合ドクトリン」

 本書の説明は、米軍の統合ドクトリンのひとつである『Joint Planning(統合作戦計画)(Joint Publication 5-0)』(2017年6月に改訂)をはじめとする公開された資料に基づくもので、国内外のさまざまな司令部の実例を踏まえています。
  米軍の「統合ドクトリン」にいう計画手順について簡単に説明すれば、@計画作成の指示を受け、A自己に与えられた使命*(目的*と任務*)を明らかにし、Bいくつかの行動方針*を案出し、Cそれぞれの行動方針を分析し、D比較検討し、E最善のものを選んで承認を得て、F計画書・命令を起案する、という一連の流れになります。当然、「統合ドクトリン」の示す計画手順は、非常に論理的で、高度に体系化されたものです。
  なぜなら「統合ドクトリン」は、「イラクの自由作戦」やアフガニスタンなどでの「不朽の自由作戦」など、米戦域軍司令官やその指揮下の統合部隊*指揮官が行なう大規模で複雑な統合作戦を念頭に置いて作られているからです。
  このようなグローバルな危機では、軍事作戦の勝利は国家レベルの戦略目標達成の一部に過ぎません。軍事行動はその他の国家的手段と連携・調和させる必要があり、政治・軍事を含めた「統合ドクトリン」の概念が生まれました。
  この「統合ドクトリン」により、現場部隊から上級部隊まで、さらには関係省庁・組織がともに対処すべき問題を明確に認識でき、作戦につきものの不確実性を減少させることができます。危機的状況時には各部隊が主動*的に対処しやすくなります。
  異なる戦術*思想、兵器体系、組織文化を持つ複数の軍種を束ねるために生まれた「統合ドクトリン」は、多国籍部隊、有志連合(コアリション)との共同作戦も視野に入れています。NATO諸国用の「連合統合ドクトリン(Allied Joint Doctrine)」や多国籍部隊用の「多国籍部隊SOP(MNF SOP:Multinational Force Standing Operating Procedures)」などがそれにあたります。
  米軍は、これらドクトリンの大半をJEL(Joint Electronic Library: http://www.jcs.mil/Doctrine/)として一般公開しています。JELは、1995年にその原型が整備され、現在、60あまりの関連ドクトリンが公開され、継続的に改定されています。まさに日々進化を続けるドクトリン体系といえます。
  統合部隊のパイオニアである米軍が熾烈な実戦を通じて磨き上げてきた「統合ドクトリン」は、複雑な統合作戦を立案・実行するうえで不可欠なものとして世界の政軍関係者が認識しています。

目 次

はじめに 1
事例としての「イラク戦争とフォークランド戦争」10

第1章 作戦、作戦術とは何か 15

1)戦いの階層と「戦略」「作戦」「戦術」16
2)統合部隊と統合作戦 20
3)6フェーズ作戦モデル 22
4)柔軟抑止選択肢 26
5)「作戦術」「作戦設計」「JOPP」30

第2章 初期的な作戦アプローチを導く 39

1)計画作業を開始する 40
2)使命を分析する 45
3)作戦環境を把握して問題を定義する 53
4)目標系列を確認して使命達成クライテリアを設定 57
5)重心を特定し戦い方を決める 63
6)暫定的な決勝点と作戦系列を決める 70

第3章 作戦アプローチを完成させる 75

1)作戦をアレンジする 76
2)作戦の流れを組み立てる 87
3)「作戦アプローチ」の完成 91
4)リスクを評価する 96
5)「仮定」を決め「制限」を明確にする 98
6)「作戦評価」や情報収集の準備をする 105
7)計画作業の包括的指針を示す 109

第4章 作戦計画を完成させる 111

1)行動方針(COA)案を作る 112
2)「ウォーゲーム」でCOAを分析・比較する 121
3)COAを比較して決定する 130
4)計画と命令を作成する 136
5)実行段階へ移行する 140

第5章 作戦を実行する 143

1)戦争指導と作戦指導 144
2)「作戦水平線」サイクルの発動 148
3)ハイブリッド編成の司令部 152
4)「バトルリズム」を構築する 160
5)作戦指導のための「意思決定サイクル」166
6)「作戦指導」に求められるポイント 175

第6章 意思決定を阻害する「落とし穴」181

1)個人に起因する要因 182
2)組織に起因する要因 189
3)「レッドチーム」で意思決定を支援する 193
4)「レッドチーム」による批判的検討 199
5)「レッドチーム」による敵の模擬 206
6)効果的な「レッドチーム」活動の条件 207

おわりに 210

付録1 平時と危機発生時の計画作業 214
付録2 統合作戦における命令の種類 217
付録3 統合作戦の原則 218
付録4 統合作戦計画標準様式 220
付録5 一般的な論理上の誤り 224
付録6 悪魔の代弁者 227
付録7 用語・略語集 228
付録8 作戦計画作成のためのJOPPステップと意思決定サイクル(折込図)

主要参考文献 235

コラム?「独創的な発想」とは? 33
コラム? 目標の堅持と柔軟性について 61
コラム?「行動の自由」とは? 104
コラム? 作戦のための文章 138

図1 戦いの階層:戦略・作戦・戦術レベル 18
図2 統合任務部隊の構成例 21
図3 6フェーズ作戦モデル 23
図4 作戦術、作戦設計、JOPPの関係 32
図5 問題の定義 56
図6 目標系列:エンドステート・目標・効果・任務の関係 58
図7 PMESII分析による重心の分析イメージ 64
図8 重心に対する防護と撃破の検討例 66
図9 直接アプローチと間接アプローチ 67
図10 作戦系列の例 71
図11 分野別非軍事活動系列の例 72
図12 初期的な作戦アプローチの導出 73
図13 作戦資材補給の概念 80
図14 縦深性の概念と活用例 83
図15 フェーズ区分 89
図16 フェーズ区分:分岐策、事後策、決心点 90
図17 大規模、長期作戦アプローチの完成 92
図18 分野別非軍事活動系列と支援目標の関係例 93
図19 時系列的な活動系列と相互関係の例 94
図20 「イラクの自由作戦」における作戦系列とスライスの関係(推測)95
図21 作戦評価の考え方 106
図22 「イラクの自由作戦」の作戦概念における全体線表(推測)121
図23-1 ウォーゲーム成果物:COAスケッチ 127
図23-2 ウォーゲーム成果物:決心支援マトリックス 128
図23-3 ウォーゲーム成果物:同期化マトリックス 129
図24-1 COA比較:加重数値比較法の例 131
図24-2 COA比較:ナラティブまたは箇条書き比較法(NEOの例)132
図24-3 COA比較:プラスマイナス比較法(医療支援の例)132
図25 3つの作戦水平線 149
図26 異なる階層の司令部間の垂直的統合 151
図27 Jコード編成の例 152
図28 機能/ミッション志向型ハイブリッド司令部編成の例 153
図29 PMBでの調整マトリックスの例 157
図30 作戦/計画同期化マトリックスの例 159
図31 タッチポイントの例 161
図32 週間および日々バトルリズムの例 162
図33 クリティカルパスの例 166
図34 指揮官の意思決定サイクル 167
図35-1 作戦環境:エスカレーション評価の例 170
図35-2 任務評価マトリックスの例 171
図36 作戦設計と作戦計画作業のバランス 173
図37 DUBスライド構成の例 174
図38 個人と組織に起因する「落とし穴」193
図39 利害関係者のマインドマッピングの例 197
図40 レッドチームの役割・手法と主な適用場面 198
図41 競合仮説分析の例 200
図42 SWOT分析の例 203

堂下哲郎(どうした・てつろう)
1982年防衛大学校卒業。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸上勤務として内閣危機管理室出向、米中央軍司令部先任連絡官、海幕運用2班長、統幕防衛課長、幹部候補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。米ジョージタウン大学公共政策論修士。現在、日本生命保険相互会社顧問。