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あとがき(一部)
  研究を進めるなかで、愕然としたのは、司教たちの列福(福者というカトリックの称号)運動を主導するシュラーフェン財団の研究者たちが、その発表した事件概要において、何ひとつ確実な学術的証拠を挙げていないにもかかわらず、200人の婦女子を守るためにシュラーフェン司教たちが身代わりとなって殉教したという説を広め、それが世間に簡単に受け入れられたことでした。
  彼らは正定事件から2か月後に南京を攻略した第6師団をいわゆる「南京大虐殺」と関連付け、最初から「犯人」と決めてかかっています。ですから史料の分析も不完全で、中国から欧州に送られたカトリック系の手紙や報告をほとんど無批判に受け入れているのです。そのうえ中国近代史や当時の現地の情勢について何も考慮されていないようでした。
  私が本書で中華民国の歴史や共産党の活動について詳しく解説したのは、多くの日本の読者に当時の状況を正確に知ってもらうためです。現在、本書の英訳版も検討されていて、広く世界の人にも正しい状況を知ってもらいたいと思います。
  この事件の主要人物である横山彦眞の見解、つまり北支那方面軍の記録にある「支那共産匪ノ為殺害サル」という結論を私は支持します。この「共産匪賊」こそが、最も多くの動機があり、最大の受益者だからです。状況証拠や確かな目撃証言からもその可能性は高いと思われます。日本が支払った弔慰金は、その金額からいって殺害の賠償とは言えません。何より日本の軍と大使館が犯罪に関する責任を否定し、その点で教会も各在外公館も妥結したという事実を無視するわけにはいかないでしょう。
  本書は、シュラーフェン財団が主張する「根拠なき説」を論破することを主眼に企画されました。いずれにしても、まずバチカンの「列福の動き」に対し異議申し立てをすることが肝心です。沈黙することは無条件で容認することですから。これからは読者の皆様の知恵や力をお借りしながら、この歴史戦を継続して行きたいと思います。

峯崎恭輔(みねざき・きょうすけ)
1980年福岡県生まれ。県立筑紫丘高校定時制卒業。1999年陸上自衛隊入隊。2003年除隊後、フランスへ留学。帰国後、民間企業に勤める。現在放送大学学生。近現代史とくに軍事史に関心があり、研究を続ける。

 

目 次

[解題]
初めて明らかになった正定事件の全貌と真相(藤岡信勝)1

序章 「正定事件」の真相に迫る 11

第1章 よみがえる「正定事件」17

  1、拉致殺害された9人のキリスト教徒 17
   2、シュラーフェン財団の登場 28
   3、日本で認識され始めた「正定事件」30
   4、日本人として考えなければならないこと 35

第2章 「正定事件」が起きた時代と背景 37

  1、中華民国の歴史 37
   2、支那事変の始まり 64
   3、正定・コ沱河攻防戦 69
   4、中国におけるキリスト教布教 73

第3章 検証「正定事件」81

  1、事件の記録 81
   2、分かれる当時国の見解 83
   3、殺害された被害者 85
   4、殺害場所と殺害状況 87
   5、犯人像 95
   6、拉致殺害の動機 105
   7、「正定事件」の処理 117
   8、歴史に向き合い、真実を究明する 120

 

「正定事件」関連資料 123

フランス外交史料館資料
(A-1)1937年10月23日付、シャネ神父の第6師団長宛書簡 124
(A-2)1937年10月24日付、シャネ神父のフランス大使館宛書簡 126
(A-3)1937年10月26日付、シャネ神父のモンテーニュ司教宛書簡 129
(A-4)1937年10月26日付、デ・フォネック神父証言 130
(A-5)1937年11月3日付、シャネ神父のフランス大使館宛書簡(原文付き)132
(A-6)1937年11月16日付、ラコスト書記官のシャネ神父宛書簡 143
(A-7)1937年11月18日付、ラコスト書記官の駐華フランス大使宛書簡 144
(A-8)1937年11月19日付、ラマカース神父証言 147
(D)1937年11月27日付、日本軍憲兵隊事件調査報告 149
(A-9)1937年11月30日付、ド・ヴィエンヌ司教のフランス大使館宛書簡(原文付き)151
(E)1937年12月1日付、ヒル牧師証言 157
(A-10)1937年12月14日付、横山少佐のシャネ神父宛書簡 160
(A-11)1937年12月14日付、横山少佐の森島参事官宛書簡 162
(A-12)1938年1月10日付、ラコスト書記官の大使宛書簡(原文付き)164
(A-13)1938年1月26日付、シャネ神父のフランス大使館宛書簡 173
(A-14)1938年1月31日付、フランス外相の駐バチカン大使宛書簡 175
(A-15)1938年2月13日付、森島参事官のフランス大使館宛書簡(原文付き)178
(A-16)1938年5月24日付、フランス駐バチカン大使の教皇庁国務長官宛書簡 185
その他の資料
(B)1937年10月、愛徳姉妹会修道院長報告 187
(C)1937年12月5日付、トラピスト会ジェラルダン小修道院長報告 196
(F)シュラーフェン財団作成「正定の惨劇」219

「正定事件」関連年表 230
主要参考文献一覧 236
あとがき 240