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はじめに(一部)

 人はわからないことに不安を覚える。
  国内世論を二分した2015年夏の安全保障関連法をめぐる議論は、まさにその言葉通りだったのではないだろうか。ただし、読売新聞社が同法の施行に合わせて実施した16年3月の全国世論調査では、集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安保関連法を「評価する」とした人は38%、「評価しない」は47%で、15年9月の同法成立直後に比べて、その差が少しではあるが縮まってきているのは、依然として法律への漠然とした不安はあるものの、それ以上に、中国や北朝鮮という現実の脅威への不安を感じているからだと思いたい。
  とは言え、戦後70年あまりが経過するというのに、安全保障や防衛問題が議論されるたびに、この国では、常に世論が二分されてきた。敗戦からしばらくの間は、厭戦や嫌戦ムードの中で、誰もが戦争を忌み嫌った。当たり前だ。しかし、忌み嫌うだけで、戦争を自ら総括することをせず、防衛や軍事といった国の骨幹をなす安全保障政策は、「戦争反対」や「平和」といった人々の心に快くひびく言葉の中に埋もれてしまった。残念ながら、戦後生まれの日本人の多くは、日本の平和や安全、国民の生命に直結する重要な問題であるにもかかわらず、中学や高校、そして大学においても、安全保障を学ぶ機会を得ることはなかった。安保関連法の理解が進まなかった根本の理由はそこにある。
  そうした「わからないから不安になる」という心理を利用したのが、同法に強く反対する社民党が作成したポスターだった。「あの日から、パパは帰ってこなかった」――。路上にしゃがみ、うつむく少年の写真を覚えている人も多いのではないだろうか。自衛隊の存在自体を否定し、自衛隊が国際協力活動などで汗を流すたびに、批判や中傷を繰り返してきた政党が、あたかも隊員と家族に寄り添っているかのように思わせ、安保関連法と隊員の「戦死」とを巧みに結び付けた内容だ。
  国会では、社民党をはじめ多くの野党、そして一部のマスコミまでもが、「殺し、殺される」、「戦争ができる国になる」などの言葉で政府を追及し、法案には「戦争法」というレッテルまで貼った。これは戦後まもない1950年代前半、当時の社会党左派が自衛隊の創設に反対し、「夫や息子を戦場に送るな」と主張し、党勢を拡大したやり方と瓜二つだ。この結果、戦後70年を経てもなお、扇動的な表現で不安をあおられた国民は、日本を取り巻く厳しい現実と向き合う機会を失ってしまった。
  幸いなことに、法律が成立して以降、反対運動が拡大したわけではなかった。国民の多くは、2016年に入って一段と厳しさを増す北朝鮮の核実験と弾道ミサイルによる恫喝、尖閣諸島や東シナ海における中国の居丈高で挑発的な海洋進出に直面し、この法律を制定した意味を冷静に見極めようとしているのではないだろうか。本書を書き下ろすきっかけは、多くの日本人の間に、そうした揺れがあると感じたからだ。



目 次

はじめに 1

第1章 危機になす術なし──1990年代日本の現実 11

1 激震、湾岸戦争 11
「同盟漂流」への道/「人的貢献」なす術なし/「小切手外交」の限界を露呈
2 「一国平和主義」はなぜ生まれた 29
軍に対する嫌悪が戦後の原点/目に見えない分断国家/「安保ただ乗り」への批判
3 綱渡りの国際協力活動 40
海を渡った海自掃海部隊/不毛な論争再び/人権無視の「人間の盾」作戦/根拠のない
「機関銃1丁」の決定/相次ぐ緊急出動、その時自衛隊は/機会逸した憲法9条の解釈変更
▼第1章を理解するためのクロノロジー 72

第2章 激変する安保情勢と日本の無策──90年代の危うい日米同盟 79

1 目的を見失った日米同盟 79
米国で高まる対日脅威論/勃発した日米「FSX」戦争/ 露骨な対日警戒感と同盟漂
流/日米「冷戦後戦略」の応酬と波紋
2 「危機」に何もせず、何もできない日本 98
第1次北朝鮮核危機/核危機と日本の対応/朝鮮半島危機の本当の意味/無知と無策が被
害を拡げた阪神大震災
3 軸足のない冷戦後の防衛政策 118
「同盟漂流」救った北の核危機/防衛大綱に隠されたトリック/台湾海峡危機に無反応な
政府/「集団的自衛権」行使できずに批判/テポドンショック/工作船事件で海上警備行
動発令
▼第2章を理解するためのクロノロジー 143

第3章 迫る危機、追われる日本──2000年代日本の現実 151

1 「普通の国」への試行錯誤 151
ようやく有事法制に着手/現実無視の反対勢力/対テロ・ゲリラに舵を切る自衛隊
2 「9・11」テロの衝撃 166
「湾岸」の轍を踏むな/戦地への自衛隊派遣/派遣の大義をめぐって
3 核とミサイル─決断は1分 186
北朝鮮ミサイル連射と核実験/容易ではない敵基地攻撃/ミサイル防衛の現状と課題/見
過ごされた落とし穴
4 巨龍(中国)出現、東シナ海波高し 210
揺れる日米同盟/忍び寄る中国の脅威/中国軍の増強と尖閣奪取の狙い/貧弱な離島防衛
態勢/尖閣諸島で増長する中国/対中脅威をめぐる日米の連携/尖閣諸島を守る
▼第3章を理解するためのクロノロジー 243

第4章 危機の壁──問題山積の2010年代 252

1 核の脅威 253
核武装の悪夢/北朝鮮の狙い/課題@:BMD能力の向上/課題A:重要施設防護/課題
B:自国民保護の秘策
2 東シナ海攻防戦 272
常態化した挑発/日中衝突の予兆/中国の狡猾な狙い/課題@:離島警備隊の新編/ 課
題A:脆弱な輸送・機動力/課題B:危うい国民保護
3 同盟の行方 302
米国を「巻き込む」戦略の構築/米国の期待と失望/安保法制の成立/「反対と怒号」を
超えて
▼第4章を理解するためのクロノロジー 319

終章 これからの安全保障──トランプ大統領と日米同盟 324

1 最前線はいま 324
沖縄・石垣島/東シナ海/日中中間線・ガス田/警戒監視とスクランブル/空でも始まっ
た中国の挑発
2 トランプ大統領と日米同盟 338
トランプ発言と拡がる動揺/「駐留経費」は何のためか/世界の警察官ではない
3 日本の針路(あとがきにかえて)345
トランプ政権発足

 

 

勝股秀通(かつまた・ひでみち)
日本大学危機管理学部教授。専門は防衛・安全保障と危機管理。1958年千葉県生まれ。青山学院大学卒業後、83年読売新聞社に入社。北海道支社などを経て東京本社社会部勤務、93年から防衛庁・自衛隊を担当。その後、初の民間人として防衛大学校総合安全保障研究科(第1期生)で修士号取得。解説部長兼論説委員、編集委員などを経て2016年4月から現職。著書は『自衛隊、動く』(ウェッジ)など。