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まえがき

 

  2010年代前後から、日米両国間の安全保障協力(日米安保協力)は拡大・強化の一途を辿っている。自衛隊が、日米安保条約及びその他の安全保障関連諸法規を根拠として、自国の防衛のみならず米国さらには他国の軍隊と共に日本の近隣地域さらには全世界の安全を守るための体制を整備するなど、今から70年ほど前に米国との戦争に敗れた時期からは想像もつかなかったことであろう。  その一方で、こうした日米安保協力の進展に対し、賛否いずれの側も、少なからず戸惑いの念を抱いているのではなかろうか。日本には安全保障関連諸法規がある一方で、憲法第9条が「戦争と戦力の放棄」、すなわち文言どおりに読むと「日本は戦争をせず、軍隊のようなものを持たない」と規定しているからである。

 

  このような憲法第9条と安全保障関連諸法規との併存に問題はないのか――この疑問に答えるため、日本政府の掲げる憲法・法律等の解釈を担当する組織が、内閣法制局(及びその前身である法制局等)である。そして、こうした解釈の担当者(法制官僚)は、安全保障関連諸法規に対して、如何なる立場から解釈に臨んだのか。そして、その解釈は、日米安保協力にどのような影響を及ぼしているのであろうか。

 

  こうした疑問に答えを見出すため、内閣法制局長官等の法制官僚が日米安保協力に関して残した国会での発言や政府の見解等に基づいて検討してみたい。

 

  第1章では憲法第9条の制定(1946年)から旧安保条約の締結(1951年)を経て自衛隊の発足(1954年)、第2章では改定安保条約の締結(1960年)、第3章ではベトナム戦争(1964−75年を対象とする)及び沖縄返還協定の締結(1971年)、第4章では1970年代後半から1980年代における日米防衛協力の進展、第5章では冷戦の終結(1989年)からイラク特措法の成立(2003年)、第6章では二度の政権交代(2009年、2012年)を経て集団的自衛権の行使容認(2014年)及び法制官僚が日米安保協力に臨んだ姿勢を考察する。さらに追補として、安倍内閣による安全保障関連法の成立(2015年)をめぐる法制官僚の対応に触れたい。  なお、文中での引用やコメントは、法制官僚を含めて、特定の個人・団体への誹謗・中傷を意図していない。新たな安全保障政策の枠組み作りへと一進一退の歩みを続ける日本―その一助となれば幸いである。

 



まえがき 1

第1章 「軍隊」でない「軍隊」 5
――旧安保条約と再軍備政策

1、憲法第9条の成立をめぐる日米関係 5
2、旧安保条約の成立と再軍備政策の開始 11
3、再軍備政策の進展 22

第2章 「対等」でない「対等」 31
――改定安保条約と自主防衛政策

1、自主防衛政策の模索 31
2、改定安保条約の成立 39
3、自主防衛政策の転換 49

第3章 「極東」でない「極東」 57
――ベトナム戦争と沖縄返還問題

1、ベトナム戦争時の日米安保協力 57
2、非核三原則と沖縄返還の実現 66
3、沖縄返還後の日米安保協力 75

第4章 「同盟」でない「同盟」 83
――対米便宜供与と集団的自衛権論

1、自衛力をめぐる動向 83
2、対米便宜供与の拡充 90
3、集団的自衛権をめぐる議論 99

第5章 「戦争」でない「戦争」 109
――有事対応と平和復興支援活動

1、湾岸危機とPKO法 109
2、極東危機と周辺事態法 115
3、中東危機と有事・平和復興支援関連法 125

第6章 「変更」でない「変更」 135
――対米配慮と集団的自衛権行使容認

1、政権交代前後の安全保障政策 135
2、法制局による日米安保協力への姿勢 142
3、結論―集団的自衛権行使容認への途 152

追補 法制局と安全保障関連法の成立 161

あとがき 169

水野均(みずの・ひとし)
1959年、北海道生まれ。
1984年、北海道大学法学部卒業。
1989年、上智大学大学院修了。
専攻:安全保障政策、日本政治外交史
現在、千葉商科大学講師として教壇に立つ他、各種の研究会で日本の外交・安全保障政策に関する立案・提言に参加する。
<著書>
『海外非派兵の論理―日本人の独善的平和観を問う』(新評論、1997年)
『検証 日本社会党はなぜ敗北したか―五五年体制下の安全保障論争を問う』(並木書房、2000年)
『朝日新聞は日米安保条約に反対していたのか?―戦後マスコミの防衛論を検証する』(同上、2006年)
『「世界」は日米同盟に反対していたのか?―総合雑誌の安全保障論を検証する』(同上、2012年)他、論文等多数。