立ち読み   戻る  


目 次

 

はじめに 1
彦根城と女城主「井伊直虎」女を捨て男として生きる 11
吉田郡山城と毛利元就の正室「妙玖」一族を支えた内助の功 15
躑躅ケ崎館と信玄の正室「三条夫人」時代に翻弄された京の姫様 18
駿府城と徳川家康の母「お大の方」一六年ぶりに親子再会 21
仙台城と伊達政宗の母「義姫」毒を盛った子に看取らて 25
岡崎城と家康の正室「築山殿」嫁姑の対立が招いた悲劇 29
岩村城と遠山景任の正室「岩村御前」信長に翻弄され非業の死を遂げる 33
小谷城・北ノ庄城と「お市の方」小豆の袋で信長救う 37
岐阜城と信長の正室「濃姫」歴史の舞台から消えた天下人の妻 41
長浜城と秀吉の正室「寧々」夫の留守中は“女城主”に 44
立花山城と立花宗茂の正室「ァ千代」気の強い若妻 48
上田城と真田昌幸の正室「山之手殿」九度山に同行せず剃髪 52
三春城と伊達政宗の正室「愛姫」政宗を支え続けた人質人生 56
末森城と前田利家の正室「まつ」加賀一〇〇万石の礎を築く 60
弘前城と「阿保良」「満天姫」津軽氏の基礎を築いた二人の正室 64
新府城と武田勝頼の正室「北条夫人」織田軍侵攻でも夫のもとを離れず 68
安土城と信長の側室「お鍋の方」息子を救った信長に尽くした生涯 72
中津城と黒田官兵衛の正室「光」関ヶ原の合戦では大坂から脱出 76
米沢城と直江兼続の正室「お船」時に夫を叱り、夫の死後も藩に尽くす 80
熊本城と加藤清正の母「伊都」入城後剃髪、武運を祈る 84
勝龍寺城と「細川ガラシャ」父光秀を裏切った細川忠興への想い 88
鶴ケ城と蒲生氏郷の正室「冬姫」秀吉が目を付けた「美貌の未亡人」92
沼田城と真田信之の正室「小松姫」義父の訪問拒絶、そのうらに機智と優しさ 96
掛川城と山内一豊の正室「千代」内助の功で二〇万石の大名へ 100
大坂城と秀吉の側室「淀殿」正室と側室の代理戦争でもあった関ヶ原の合戦 104
江戸城と徳川秀忠の正室「お江」子を産むごとに増す威光 108
姫路城と池田輝政の正室「督姫」相次ぐ不幸のなかで願った子の家門継承 112
松本城と戸田康長の正室「松姫」家運傾き、祟りの噂 116
坂本城と明智光秀の正室「熙子」信長も羨む天下一の美女 119
尾張大野城と信長の妹「犬姫」本能寺の変後に急逝 121
有岡城と荒木村重の正室「だし」今楊貴妃と呼ばれた自慢の妻 123
山形城と最上義光の娘「駒姫」理不尽な運命に散った姫 125
浜松城と家康の側室「阿茶局」武術に優れ戦場に同行 127
伏見城と秀吉の側室「松の丸殿」秀吉の杯めぐり淀殿と争い 129
聚楽第と豊臣秀次の正室「一の台」秀吉の側室だったが秀次の正室に 131
佐和山城と石田三成の正室「宇多の方」「関ケ原」で敗れ落城 133
丸亀城と山崎家盛の正室「天球院」兄嫁だけ救った夫と離縁 135
金沢城と宇喜多秀家の正室「豪姫」八丈島に流された夫と息子を支援 138
福岡城と黒田長政の正室「栄姫」「関ケ原」前に大坂脱出 141
大津城と京極高次の正室「お初」「籠城」を評価され八万五千石 143
松江城と堀尾吉晴の正室「堀尾夫人」子供三人に先立たれる悲運 145
大館城と伊達晴宗の正室「久保姫」輿入れ中に拉致された奥州一の美女 148
春日山城と長尾為景の正室「虎御前」謙信に授けた信仰心 150
常山城と上野隆徳の正室「鶴姫」善戦むなしく自害 152
犬山城と信長の乳母「養徳院」戦国見届けた信長の乳母 154
佐賀城と鍋島清房の後妻「慶ァ尼」お家のため押しかけ女房として家臣に嫁ぐ 156
岡山城と宇喜多直家の正室「お福」悪名高い夫と仲睦まじく寄り添う 158
越前敦賀城と真田幸村の正室「竹林院」「打倒徳川」父娘で運命に翻弄される 161
城井谷城と宇都宮鎮房の娘「お鶴」秀吉に降伏一三歳で人質に 164
忍城と成田氏長の長女「甲斐姫」武術・兵法に長け、城を守り抜く 166
宇和島城と富田信高の正室(氏名不詳)家康を感動させた妻の武勇 169
白石城と鬼の小十郎の後妻「阿梅姫」家臣も知らなかった幸村の娘 172
宇都宮城と家康の長女「加納殿」国替えに納得せず「本多氏謀反」を密告 174
国分城と島津家久の正室「亀寿」夫を許せず養子に家宝を譲る 177
高遠城と徳川秀忠の子を産んだ「お志津の方」将軍の子として大名家の養子に 179
黒井城と斎藤利三の娘「春日局」「大奥」の基礎を築く 181
小田原城と今川氏真の正室「早川殿」盛大な嫁入り行列 183
和歌山城と徳川義直の正室「春姫」石垣に豊臣、浅野、徳川の面影 186
主な引用・参考文献 189
おわりに──熊本地震で被害を受けた熊本城への思いを込めて 190

 




おわりに──熊本地震で被害を受けた熊本城への思いを込めて

 平成二八(二〇一六)年四月一四日(マグニチュード六・五)、一六日(マグニチュード七・三)と二度にわたり震度七の地震が熊本地方を襲った。
  熊本のシンボルである熊本城(熊本県熊本市)も天守や重要文化財の櫓や石垣に大きな被害がでたことは記憶に新しいところだ。熊本城総合事務所によると、熊本城の被害額は六三四億円。熊本出身の私は、変わり果てた熊本城の姿にすごくショックを受けている。とくに天守の姿は、見るに堪えない状態だ。
  熊本城が地震によって被害を受けたのは、今回だけではない。一二七年前の明治二二(一八八九)年七月二八日に起きたマグニチュード六・三(震度不明)の「明治の熊本地震」のときにも、石垣などに大きな被害がでた。
  熊本市は一一月一日、「明治熊本地震」で石垣などが崩壊した熊本城の被災状況を旧日本陸軍が明治天皇に報告した史料の一部を公開した。今回の地震で被害が確認された箇所と七七・一パーセントが重複しているという。史料は破損した場所と被害面積を記した毛筆の文書と、カラーの絵図で、宮内庁書陵部宮内公文書館(東京)に保管されていた(「西日本新聞」平成二八年一一月一日付夕刊)。
  地震が起きるまでは、最近の歴史ブームや城ガールの登場もあり、多くの観光客が熊本城を訪れていた。私も小さいときに両親に連れられて行ったり、学校の遠足やスケッチ大会などでも行ったものだ。
  熊本城は築城の名手とうたわれた加藤清正によって築かれた難攻不落の堅固な城だった。日本全国には数多くの城が築かれたが、熊本城は一大名の築いた城のなかでは最大規模の城であり、熊本城の外周を歩いてみると、堅固な城であったことを実感することができる。また、清正は熊本ではいまだに「清正公」という呼び名で愛されている。
  明治一〇(一八七七)年の西南戦争では、西郷(隆盛)軍は一万三〇〇〇人の兵力と六〇門の大砲を持って熊本城を攻めた。一方の熊本城を守る官軍(明治政府軍)は、谷干城率いる三四〇〇人の鎮台兵で、大砲の数も西郷軍の半分以下であった。
  西郷軍は五〇日余にわたって城を攻めたが、城はびくともせず、誰一人として城内に侵入することができず、撤退を余儀なくされる。
  本文でも説明した「武者返し」が実戦で如何なく発揮されたのは、意外にも築城から二七〇年を過ぎた西南戦争のときだった。
  西郷は終焉の地である鹿児島の城山で「私は官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」という言葉をつぶやいたともいわれている。
  ただ、西郷軍が総攻撃を仕掛ける三日前、原因不明の出火によって、熊本城の大天守と小天守など本丸部分のほとんどを焼失した。今回の熊本地震で被害を受けた天守は、昭和三五(一九六〇)年に外観復元されたものだ。
  熊本城は地震によって天守が被害を受けたが、大東亜戦争では、名古屋城(愛知県名古屋市)、岡山城(岡山県岡山市)、福山城(広島県福山市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)などが、米軍の空襲により天守を焼失した。広島城(広島県広島市)にいたっては、原爆投下により焼失している。これらの天守も、昭和三〇年代から四〇年代にかけて再建されている。
  熊本城の完全な修復には、崩れ落ちた石や木材を再利用して進めなければならず、二〇年以上かかるといわれているが、天守は城のシンボルであり、まずは天守の再建が待ち遠しい。熊本の人たちも、私の気持ちと同じだと思う。
  一方、明治の廃城令や戦災等を免れ、築城当時の姿を残している現存天守が聳える城は日本全国に一二カ所ある。
  弘前城(青森県弘前市)・松本城(長野県松本市)・丸岡城(福井県坂井市)・犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)・姫路城(兵庫県姫路市)・備中松山城(岡山県高梁市)・松江城(島根県松江市)・伊予松山城(愛媛県松山市)宇和島城(愛媛県宇和島市)・高知城(高知県高知市)・丸亀城(香川県丸亀市)だ。
  これらの現存天守は、日本を代表する歴史遺産だと私は思う。とくに私は松本城と伊予松山城の現存天守が大好きだ。

 ところで、名城の定義というものはあるのだろうか。当然、私は地震で大きな被害を受けた熊本城も名城だと思っているが、人それぞれ好みによって名城の定義は違ってくるだろう。他人に自分の好みを強制するつもりはないし、自分が名城と思う城が名城なのではないだろうか。
  私は夕刊フジに「名城と女」を連載する前は、「探訪 日本の名城」を同紙に連載していた。この連載も『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅』(青林堂)というタイトルで上下巻に分けてすでに出版している。本書を読んだ後、この二冊もあわせて読んでもらえれば、より一層、城をめぐるときの楽しみが増してくると思う。
  また現在も、夕刊フジに「名城と事件」を連載中だ。
  本書は歴史学者が書いた城の本ではない。子供のころから城が大好きで、カメラ片手に日本全国の城に出かけて行く城郭研究家が書いた一冊であることを、ご理解いただきながら最後まで読んでもらえれば大変光栄である。
                                      濱口和久

濱口 和久(はまぐち・かずひさ)
昭和43年10月14日、熊本県菊池市生まれ。熊本県立菊池高校卒。防衛大学校(37期)材料物性工学科卒。防衛庁陸上自衛隊第3施設群、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監、國學院栃木短大講師、拓殖大学日本文化研究所客員教授などを経て、現在は防災・危機管理教育アドバイザー、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター副センター長(客員教授)、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長を務める。平成17年には領土問題への取り組みが評価され、日本青年会議所第19回人間力大賞「会頭特別賞」を受賞。主な著書として『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、『思城居(おもしろい)男はなぜ城を築くのか』(東京コラボ)、『だれが日本の領土を守るのか?』(たちばな出版)、『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)、『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』(育鵬社)などがある。夕刊フジに「名城と事件」を連載中。