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まえがき

 二〇一一年三月一一日、その日、私はたまたま防衛省での所用のため市ヶ谷の本省に出向いていた。一四時四〇分頃に正門受付で入門の手続きを行なっていると、突然に足元が大きく揺れ始め、生まれてからの六〇年間で最大の地震だと感じた。窓の外では大きなビルの壁が波のようにうねっているのが見え、よく窓ガラスが壊れないなと呆然と立ったままで眺めていた。何も考えることができず、動くこともできなかった。
  それが、未曾有の被害をもたらした東日本大震災と知ったのは後のことで、この対応に一〇万人規模の自衛隊員が災害派遣に出動したのは皆さまの記憶されている通りである。
  私は、震災発生時すでに自衛隊を退職しており、この災害派遣活動に直接何ら貢献することができず、何か自衛隊員の皆さまのお力になることができないだろうかと考えていた。そして、彼らの活躍をできるだけ多くの国民に紹介しようと思い、彼らの「生の声」を伝えることが、私にできる唯一の使命と信ずるに至った。
  あれから三年が経ち、記憶も曖昧になってきているが、実際に災害派遣に赴いた隊員の方々は、その時の感情を心のどこかに忘れずに刻んでいる。沈黙の中にいつか誰かに聞いてほしい声を抱き続けてきた。今だから話せる、彼らの証言を一人ひとりインタビューして聞き取ったのが、この記録である。
  本書は、災害派遣の正確な記録や問題点を詳細に明らかにすることを主題にしたものではない。話し手の記憶違いや不正確な点があるかもしれないが、それよりも当時の感情をありのままに証言していただいた。そういった面では、歴史よりも実体験の伝承として、人々の間に伝えていってほしい、汗をかいた人々の「肉声」である。
  なお、インタビューにお答えくださった方々の職位などは、災害派遣実施時のものを使わせていただいた。
  彼らの証言を聞いて、その本当の活躍を知っていただくことができれば筆者の望むところであり、この本が、予想するのは辛いことだが、もし、将来災害が起こった時の何らかの参考となれば幸いである。



 

 

目 次

まえがき 1

序 史上最大の災害派遣の始まり 11

自衛隊の活動 12
米軍などの活動 15

1 自らも被災しながら…――航空自衛隊松島基地 17

全隊員が一つの方向を向いて行動した 第四航空団司令兼松島基地司令 空将補 杉山政樹 18
食事作りで隊員と地域住民を支援 第四航空団基地業務群業務隊給養小隊 二等空曹 大橋啓智 31
手探りで困難に立ち向かった新任女性幹部 第四航空団基地業務群施設隊 幹部候補生 菅原由里香 37
国民のためには技官も自衛官もない 第四航空団基地業務群施設隊 技官 豊宮一哲 43
平素から応援してくれる地域住民のために 第四航空団広報室長 三等空佐 大泉裕人 48
人を大切にすることを第一に災害復旧部隊を指揮第四航空団基地業務群司令兼ねて災害復旧支援隊司令 一等空佐 時藤和夫 53
部隊行動の命脈の回復に全力を尽くす 第四航空団基地業務群通信隊 一等空曹 金尾貴之 72
被災住民の期待と感謝に支えられて 第四航空団基地業務群通信隊 三等空曹 庄司あゆ美 77
混乱の中で間に合わせた給与支払い業務 第四航空団基地業務群会計隊 一等空曹 星野剛一郎 82
困難な状況下、続行した契約業務 第四航空団基地業務群会計隊 事務官 柴田直飛 88

2 EODたちの苦闘と矜持――海上自衛隊掃海部隊 93

初めて接したご遺体は眠っているようだった 第四一掃海隊「のとじま」処分士 二等海尉 高橋潤 94
水中捜索でふだんの訓練の成果が発揮された 掃海隊群「ぶんご」水中処分員長 二等海曹 小山彰 104
「また行け」と言われれば、いつでも行く 舞鶴警備隊水中処分員 二等海曹 小北順一 113
悔いなしEOD人生 第四一掃海隊「のとじま」水中処分員 二等海曹 姉崎健也 117
我々は特別なことをやったのではない 自衛艦隊 掃海隊群司令 海将補 福本出 123

3 遺体検視――陸上自衛隊歯科医官 134

ご遺体の歯から個人を特定する 防衛省人事教育局衛生官付医務室歯科医長兼中央病院付 二等陸佐 糸賀裕 135
原点に戻れば正しい道は見えてくる 自衛隊中央病院第一歯科部長 陸将補 片山幸太郎 147

4 今こそ翼の真価を発揮――航空自衛隊航空輸送部隊 155

現場の判断を優先せよ 航空支援集団司令部 防衛部運用第一課長 一等空佐 赤峯千代裕 156
すべてが限界ぎりぎりで続けた輸送フライト 第四〇二飛行隊(飛行幹部)三等空佐 岡安弾 167
励みになったガソリンスタンド店員のひと言 第四〇二飛行隊教育飛行班 (空中輸送員)一等空曹 桑原裕則 174

5 縁の下の、そのまた下の力持ち――海上自衛隊横須賀基地 182

現場に行って分かった支援の意義 横須賀地方隊横須賀警備隊 横須賀港務隊長浦配船掛長 二等海尉 泉田利幸 184
直ちに艦艇を出港させなければならない 横須賀地方隊横須賀警備隊 横須賀港務隊 三等海尉 町野誠 190
入浴支援を支えた善意と笑顔 横須賀地方隊横須賀警備隊 観音崎警備所長 二等海尉 小川昌彦 198

6 空から目にした感謝の言葉――海上自衛隊第二一航空群 204

部下たちには「できる」という自信があった 第二一航空群司令 海将補 山本敏弘 205

7 初の実任務招集命令下る――陸上自衛隊即応予備自衛官 214

必要とされればいつでも出頭する 東北方面混成団第三八普通科連隊第一中隊 即応予備自衛官即応予備三等陸曹 浅黄耕司 216
鍛えられている者は違う ジェィアール東日本物流グループ東北鉄道運輸株式会社仙台商品センター所長 牛渡勇 220
上司や同僚は快く招集に送り出してくれた 第二施設団第一〇施設群第三八五施設中隊 即応予備自衛官即応予備一等陸曹 小野剛 221
即戦力になる予備自衛官の社員 第一貨物株式会社 仙台南支店 支店長 菅井勝典 228

8 非常時には前線も後方もない――航空自衛隊入間基地 229

現場の部隊のためには何をなすべきか 中部航空警戒管制団整備補給群司令 一等空佐 鎌田修一 231
皆、歯をくいしばって涙をこらえていた 中部航空警戒管制団整備補給群補給隊総括班 二等空曹 和田肇 241
それでも若い部下たちはついてきてくれた 中部航空警戒管制団整備補給群補給隊燃料小隊 一等空曹 松ア栄一 246
現場に出なければ実情は理解できない 中部航空警戒管制団整備補給群補給隊 三等空尉 黒木久嗣 254

9 日米調整――連絡幹部から見た「トモダチ作戦」260

米軍の救援活動の方針は確立していた 護衛艦隊第一護衛隊群第五護衛隊司令 一等海佐 岩ア英俊 261

10 オペレーション・アクア――原子炉冷却水海上運搬作戦の実相 274

指揮官旗、曳船に翻る 横須賀地方隊横須賀警備隊司令 一等海佐 井ノ久保雄三 275
これは我々にしかできない任務だ 横須賀地方隊横須賀警備隊 横須賀港務隊 一等海曹 川村武 286
「後方全力」―自分たちの努力が災害派遣活動に直結するのだ 大湊地方隊大湊造修補給所長 一等海佐 黒木忠広 296
やるべきことは分かっていた 横須賀地方隊横須賀造修補給所工作部武器工作科 技官 萱沼昌樹 299
試行錯誤で完了させた放射線防護工事 横須賀地方隊横須賀造修補給所工作部武器工作科 技官 三上聖 301
曳船乗員の安全は我々の手で 横須賀地方隊横須賀造修補給所工作部武器工作科 技官 三島一介 304
躊躇したならば作戦は実行できなかった 横須賀地方隊横須賀造修補給所長 一等海佐 吉田伸蔵 307

 

11 司令部・指揮官たちの決断と試練――「全隊員は本当によく期待に応えてくれた」 317

東北へ急行しろ、責任は俺が取る! 陸上幕僚長 陸将 火箱芳文 317
海上自衛隊のすべての能力を活用した 統合任務部隊海災部隊指揮官(横須賀地方総監)海将 嶋博? 334
司令部は被災者と現場のために 横須賀地方総監部防衛部長 一等海佐 内嶋修 340
任務を完遂するためには…… 統合幕僚長 陸将 折木良一 347

あとがき 359

 

大場一石(おおば・かずいし)
文学博士、元空将補。昭和27年東京都出身、都立上野高校卒業、防衛大学校19期。第83航空隊、防大指導教官、第4補給所高蔵寺支処を経て、米国空軍大学(指揮幕僚課程)入校。帰国後空幕(防衛課、会計課)、第3航空団勤務。平成7年、空幕渉外班長時、膠原病発病、第一線から退き、研究職へ。大正大学大学院進学。「太平洋戦争における兵士の死生観についての研究」で文学博士号取得。チュニジア共和国(国防学院、戦争高等学院、外交研究所)、インド共和国(国防大学)、シンガポール共和国(国防戦略研究所)、中華人民共和国(国防大学)で海外講演、意見交換を実施。主な論文として「太平洋戦争と宗教の関与−従軍僧はなぜ戦場に行ったのか−」(大正大学学内学術研究会)、「バルカン紛争に見る民族紛争と宗教の関係」(大正大学大学院修士論文)、「米国の大統領選挙制度を理解するために」(『鵬友』)、「太平洋戦争における兵士の死生観と教誨師の活動」(日本近代仏教史研究会)など多数。日本経済団体連合会防衛生産委員会特別報告「NCW(Network Centric Warfare)の現状及び動向と防衛装備への適用」、「我が国の防衛産業と装備品生産の現状と課題」、「第五世代戦闘機」、「そうりゅう型潜水艦」、「陸上・海上装備品の無人化技術」などを編纂。