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はじめに(一部)

日本人の正しい歴史と魂を取り戻す

 安倍晋三政権の誕生と、その後の力強い日本外交、経済の急回復により「失われた二〇年」の暗い時代が終わろうとしている。平成二四(二〇一二)年暮れの衆議院議員選挙と翌二五年夏の参議院議員選挙で自民党が圧勝し、日本の前途に明るさが見えてきた。安倍政権は自民党の保守本流が主導する。
  しかし、いまなお日本人の多くに名状しがたい不安が残り、政治に「何かが欠けている」と多くの人が指摘する。二〇二〇年夏の東京オリンピックが決定し、明るい展望がひらけ、「三本の矢」を掲げて驀進するアベノミクスの成長戦略の根幹にある「強靭化プログラム」は良いとしても、いったい、何が欠けているのか?
  すなわち、日本の深い根に生れ育った、思想的な、あるいは哲学的主張がほとんど見あたらないことである。日本はこれからどのような国家百年の大計(長期的戦略)のもとに進んでいくのか、アジアとそして世界といかに向き合い、最大の脅威となった中国との関係にどう自立的に対応するのかという世界史的な大目標が、まだ曖昧として見えて来ないのである。
  西尾幹二は『憂国のリアリズム』(ビジネス社)のなかで米中の狭間に立たされる日本が「頼りにしていたアメリカがあまりアテにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろう」と予測した。事態はその通りになりつつある。
  米国は「核の傘は機能している」(ライス元国務長官)と言いつつも、「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいることを承知しているが、尖閣諸島の帰属に関して米国は関与しない」(ジョン・ケリー国務長官)と逃げをうった。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、米国は日本のために血を流さないと示唆していることになる(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。
  しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか?
  西尾幹二は前掲書のなかで言う。
「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないか」
  言葉を換えれば、自立性を回復せよということであり、日本の正気を蘇生させよと主張されているのである。
「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に陥ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである」
  西尾の言う「上位の概念」とは、日本の伝統的思想、その宗教観と歴史観の再構築である。

 さて「安倍晋三は、今や、日本の国力そのものである」「安倍は一度、地獄をみてきた男である」と書き出す小川榮太郎『国家の命運――安倍政権、奇跡のドキュメント』(幻冬舎)は安倍政治の愛国的姿勢に深い共鳴を表し、こう言う。
「日本の底なし井戸は、世界でもたぐいまれなほど深く、重層的だ。世界で唯一有色人種として近代化に成功した明治維新も、大東亜戦争での驚異の闘いぶりも、奇跡の戦後復興も、全てこの深さそのものに由来する。我々は何としてもその深さを取り戻さねばならない。その第一歩は、歴史認識であり、靖國参拝であり、それを通じて、日本人の正しい歴史と魂とを取り戻すことだ」
  ここで指摘された歴史認識というのは大和魂の回復である。武士道の復興である。内閣参与の藤井聡京都大学教授が唱える「強靭化」なる標語も「精神の強靭化」が筆頭になければならない。しかし、アベノミクスというのは経済の強靭化であり、精神の強靭化のプログラムはまだ概念的にしか提示されていない。それが問題なのである。
  経済優先を掲げた安倍政権は「三本の矢」を標榜した。すなわち金融、財政、そして成長戦略である。
  同時並行的に安倍首相は「皇位継承の男系男子原則を明確化し」教育再生を掲げた。小泉元首相の女系天皇容認路線を明確に否定したのだ。まして憲法九六条改正を正面に据えた点も注目しておくべきだろう。
  また外交路線を静かに変更し、「防衛白書」では自立的防衛力整備を謳い、したたかに中国包囲網外交を展開して、アジアの信頼をかちとった。小川榮太郎が続けたように「安倍は南シナ海が北京の海になりつつあることを警告し、尖閣への中国の圧力に、日本は屈しない」と強い姿勢を内外に示した。だから国民は安倍を支持した。
  平成二四(二〇一二)年九月の段階で、自民党総裁選での安倍晋三は「泡沫候補」だった。誰もが石破茂か石原伸晃だろうと予測していた。谷垣総裁(当時)では自民党は総選挙に勝てないから誰が総裁に就くか、自民党総裁選は、それなりに注目されていた。
  舞台裏では安倍擁立、安倍政権実現に三宅久之、渡部昇一らが動いた。だが、その時点での安倍激励集会は、その場にいた金美齢女史の証言によっても「じつに寂しい集会」だった。
  だが、奇跡が起きた。
  日本の政治評論家が誰も書かないから、ここでも指摘しておくが、安倍の奇跡のカムバックは「中国」という強圧的な暴風が吹いたこと、あたかも元寇のごとき、このチャイナ・ファクターが第一義である。
  もし平成二四年九月一一日に野田内閣が尖閣諸島の国有化宣言をしなかったら、直後の反日暴動は起きなかっただろう。
  中国各地での理不尽な反日暴力は、親中派企業のパナソニック、イオン、平和堂を襲撃・放火し、そして選挙民はこれほどの屈辱を前に中国に何も言えない民主党を完全に見限った。日本には強いリーダーが必要である。それには当面、安倍晋三しかいないではないか、と判断した。民意の発露は選挙結果を見ればよい。平成二五年の総選挙で民主党は壊滅に近い大敗北を喫した。
  安倍晋三は岸信介の嫡孫という毛並みの良さだけではない。彼に流れる熱い血は吉田松陰、高杉晋作、三島由紀夫の伝統を引き継ぐ熱血である。そこに潜む「正気」に国民は期待したのだ。
  安倍の奇跡のカムバック劇と自民党の大勝、アベノミクスの発動、円安、株価急上昇という明るさが戻り、逆に中国はシャドーバンキングと不良債権の爆発を誘発して経済が真っ暗になった。韓国経済も沈没寸前となった。
  これは奇跡というより、「神風」ではなかったのか。

世が乱れると、正気が復活して政治を導く

 沈没寸前の日本に正気が蘇ろうとしている。
  正気は狂気の対語と考えられがちだが、そうではない。「正気」(せいき)と呼び、「しょうき」と呼ぶのは狭義である。よく「正気の沙汰か」などとあるのは二義的意味を広義に通用させて使用しているにすぎない。
「正気」の対語は「邪気」。「破邪顕正」(邪説を打ち破り、真理を広める)は、このことから生まれた日本的熟語である。
  日本は長い歴史のなかで、世が乱れると、正気が復活してまともな精神が政治を導く時代が出現する。正気は、古く中国は宋代の政治家、文天祥が謳い、幕末には藤田東湖が愛引し、吉田松陰がもっとも重視した。『坂の上の雲』にも登場する広瀬武夫も我流で「正気歌」を残している。大分県竹田市の廣瀬神社境内に廣瀬記念館があるが、筆者はそこで正気の歌の額を見た。
  信長、秀吉の狂気ともいえる独裁専制政治に対して「正気」は建国の理念を追求する清廉なまつりごとを求めた。明智光秀は狂気の主殺しをやったという秀吉以後の解釈は間違いで、天皇伝統を破壊する動きを見せた信長を誅した義挙である。教養人で読書人でもあった明智光秀はまさに狂気の独裁に堕した信長への正気の諫言、その挑戦だった。したがって勝利の打算や政権の掌握という計画性はない。政治の有効性を度外視しての行動をとったのである。

 正気はなぜ蘇ったのか?
  アイヴァン・モリスが残した古典的名著『高貴の敗北』のなかに列挙したのは、ヤマトタケル、聖徳太子、和気清麻呂、楠木正成、大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典らで、この列に三島由紀夫を加えた。
  林房雄が、あの三島諫死事件(昭和四五年一一月二五日)直後のテレビニュースにおいて、「正気の狂気」と比喩したことを思い出す。
  本書は、これら「正気」を実践した英雄たちの列伝を追っていく。その前に「正気」の「気」について考えてみたい。



目次

はじめに
アベノミクスの内なる精神 1

 日本人の正しい歴史と魂を取り戻す 1
  世が乱れると、正気が復活して政治を導く 6

第一章 日本に吹いた正気の風  17

 日本の皇統を救った和気清麻呂 17
  菅原道真の遣唐使停止が日本を救った 23
  無名の豪族、楠木正成が名乗りをあげた 28
  大楠公と小楠公の涙の別れ 33
  北朝第一代「風雅の帝」光厳院の運命 36
  中国史と比較して見えてくる日本武士道 41

第二章 明智光秀から大塩平八郎  45

 明智光秀は本能寺で「正気」を実践した 45
  天草四郎は日本の正気を体現したのか? 50
  陽明学者、大塩平八郎の乱 52
  森鴎外も大塩平八郎を書いた 58

第三章 吉田松陰と門下生  66

 維新の風を吹かせた吉田松陰 66
  幕末の大思想家、佐久間象山 72
  高杉晋作を支えた三兄弟 74
  高杉晋作の正気と狂気 78
「奇兵隊」大義に死す 83

第四章 「正気」を伝えて散った士族の乱  90

 幕末の傑人、藤田東湖の正気 90
  水戸「天狗党」の悲劇 98
  三島決起につながる神風連の乱 100
  不平士族の義挙「萩の乱」105
  わずか四日で潰えた「秋月の乱」108

第五章 西南戦争とそれから  112

 西郷討伐は正義の戦いだったのか 112
  西郷敗走ルートを辿ってみた 118
  ふたたび西郷墓地にて 131
  中国の革命家は日本の「正気」に動かされた 133
  康有為、梁啓超は過小評価されていないか? 137
  辛亥革命を駆け抜けた中国の烈女 140

第六章 正気回復への兆しが見えてきた  144

 世界が尊敬した日本人 144
  ビルマ独立戦争を戦った帝国軍人の正気 149
  英霊たちの魂の叫びが聞こえる 152
  特殊潜水艇の四勇士 156
  中央アジアに親日政権樹立工作 159
  三上卓「青年日本の歌」の正気 163
  英霊を顕彰するタイの人々 168
  大川周明と大川塾生の正気 170
  李登輝元総統の激励 173

第七章 よみがえる日本の正気  179

 日本美の奏者、保田與重郎 179
  天才数学者、岡潔が伝えたかったこと 189
  保守思想の巨像、林房雄の正気 197
  村松剛の合理主義と醒めた炎 207
  蘇る三島由紀夫と本格的保守政権の誕生 212

おわりに
グローバリズムという妖怪 220

 日本人の危機意識は高まっている 220
  天皇皇后両陛下の祈りの二重唱 222
  取り戻せ、日本の正気! 226

 

宮崎正弘(みやざき・まさひろ)
昭和21年金沢市生まれ。早稲田大学英文科中退。『日本学生新聞』編集長、月刊『浪曼』企画室長をへて、昭和57年に『もう一つの資源戦争』(講談社)で論壇へ。中国ウォッチャーとしても知られ、『中国バブル崩壊が始まった』(海竜社)、『出身地を知らなければ、中国人は分からない』(ワック)、『習近平が仕掛ける尖閣戦争』(並木書房)など多数。三島由紀夫を論じた三部作『三島由紀夫“以後”』『三島由紀夫の現場』(並木書房)、『三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか』(清流出版)など文芸評論家の顔もある。