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目次
プロローグ 5
1「死の三角地帯」10
2 犬との固い絆 25
3 初の戦闘任務 45
4 レックスとの約束 59
5 軍用犬訓練学校 74
6 さすらいの軍用犬チーム 86
7 炎天下の爆弾探知 101
8 海兵隊の人気者 113
9 スナイパーの標的 126
10 僕たちは生き延びた 138
11 海兵隊に入隊 150
12 軍犬兵になることがすべてだった 164
13 激戦のファルージャ 179
14 百戦錬磨の軍用犬チーム 193
15 不条理な死 208
16 海軍犯罪捜査局 221
17 軍用犬部隊の立て直し 236
18 早く家に帰りたい 250
19 戦場で学んだこと 262
エピローグ 271
訳者あとがき 275

 



 

 

訳者あとがき

 本書『レックス 戦場をかける犬』(原題:SERGEANT REX)は、イラク戦争を舞台にしたノンフィクションだ。
  ベトナム戦争以来初めて実戦参加した米海兵隊軍用犬チームの一員、軍犬兵マイク・ダウリング軍曹とパートナーのレックスの体験を通じ、ヒトと犬の間に芽生える友情と忠誠、そして過酷な爆発物探知任務を遂行する勇気が紡ぎだされていく様子が簡潔な語り口で描かれている。その息を呑むリアルさに、読者自身、簡易爆弾(IED)が仕掛けられ、敵の狙撃兵が潜む通りに一歩一歩足を踏み入れていく錯覚にとらわれるだろう。
  しかし、本書の魅力は戦記読物としての迫力だけではない。戦友や儚い恋心を抱いたイラク人女性通訳が殺されていく無慈悲な現実の中、著者が味わう怒り、悲しみ、絶望、そして、それを乗り越える過程で気づく、生きることへの洞察も読者の心を捉えるはずだ。

 原書は二〇一一年の出版直後から大手新聞などの読書欄でとりあげられた。数例を挙げると、
「最高のノンフィクション。読み始めたらやめられない」(サンフランシスコ・クロニクル紙)
「性別と種を超えた戦友たちの絆。歯切れよい文章が感動を誘う」(ワシントン・ポスト紙)
「困難に立ち向かう強靭な精神の記録。カラフルな登場人物と劇的な出来事に彩られたストーリーは、厳格なリアリズムときめ細かい描写が見事に溶け込み心を打つ」(シアトル・ケネルクラブ)
  などと好評を博した。

 出版の翌年、レックスをめぐるあるエピソードが全米メディアに溢れた。
  ミーガン・レヴィー伍長はダウリング軍曹のあとを引き継いだ二人目の軍犬兵だった。二〇〇六年九月、イラクのラマディ郊外で任務遂行中、簡易爆弾が炸裂し、レックスとともに負傷。伍長とレックスは米国に帰還し、ともにリハビリに励んだ。一年後、レックスは任務復帰を果たしたが、聴覚をやられたレヴィー伍長は退役せざるを得なかった。
  それから五年。本書が出版されて間もなく、彼女はレックスが老齢のため軍務を解かれることを知り、海兵隊に引き取りを申し出た。しかし、民間引き渡し後の法的責任を厭う軍は許可を下ろそうとしない。生死をともにしたパートナーが安楽死させられてしまうのではないか。そう危惧した彼女は、地元ニューヨーク州選出の有力上院議員に支援を訴える。議員の働きかけで二万人以上の嘆願書がたちまち集まり、ついに軍も折れ、引き取りを認めた。
  このニュースにニューヨーク・ヤンキーズのオーナーが粋な計らいを申し出た。レックスを譲り受けるためカリフォルニア州ペンドルトン基地まで飛ぶ往復の旅費を肩代わりしたうえ、二〇一二年五月の対シアトル・マリナーズ戦の際、元伍長と退役したレックスを球場に招き、国のために尽くし負傷した英雄たちの勇気と栄誉を称賛したのだ。
  ヤンキー・スタジアムを埋める満員の観客は歓喜し、その場は異様な熱気と荘厳な雰囲気に包まれた。全米に流されたこの感動的なシーンが、犬好きで知られるアメリカ人の心を捉えないはずはなかった。「軍用犬レックス」の知名度も跳ね上がった。本書にとっても幸運な巡りあわせだった。

 翻訳を始めて間もない二〇一二年一二月、著者のマイク・ダウリング氏からメールが届いた。レヴィー元伍長から連絡があり、「レックスが死んだ」という。肺と心臓に水がたまり癌も患っていたそうだ。退役してから七カ月間、戦友と一緒に過ごせたことが救いだった。
  彼女の庇護のもと、レックスは普通の犬に戻ることができた。毎晩、居心地の良いベッドで休み、近くの川で泳ぎ、近所の犬と戯れ、鹿を追い、生まれて初めて雪の中を走り回ったそうだ。最期は戦友の腕に抱かれ、優しく話しかけられながら安らかに逝ったという。
  レヴィー元伍長に誰よりも熱心にレックスの引き取りを勧めたのはダウリング氏自身だった。切っても切れない絆でつながれたレックスを自分の家族にしたい気持ちは当然あった。実際、海兵隊はレックスの最初の軍犬兵であるダウリング元軍曹の功績に鑑み、引き取りの優先権を与えていた。しかし彼は潔く辞退した。負傷したマリーンを一番よく理解し、癒すことができるのは、同じく負傷したマリーンだと信じたからだ。ダウリング、レックス、レヴィー――このマリーンたちはお互いに対する真の忠誠と愛でつながれていたのだ。翻訳を通じてレックスに情が移っていたのか不覚にも目頭が熱くなった。

『レックス 戦場をかける犬』の翻訳で犬に対する見方が変わった。東京に住んでいた頃、犬は外で飼うものだった。しかし、マイク・ダウリング軍曹や大方のアメリカ人にとって、犬は文字通り家族の一員であり、最良の伴侶なのだ。座敷犬だけでなく、大型犬も家の中を自由に歩き回っている。くたびれたトラックからポルシェまで、助手席に陣取った犬たちが窓から顔を出し、風の中で気持ちよさそうに髪をなびかせているのも連日見かける。
  僕のパートナーの中型犬も家の中で暮らしているが、彼女の愛犬と四六時中いっしょに過ごすようになって、犬も夢を見て鳴いたり、日によって行動パターンが微妙に違ったり、仕事を終えて帰ってくるとドアのところで待っていて絆を確かめるかのようにじゃれついてくることを知った。レックスの行動と相通じるところが多く翻訳の一助になった。

 著者のマイク・ダウリング氏は現在、南カリフォルニアのロサンゼルスを根拠に講演や俳優業で活躍している。映画・テレビに出演する退役軍人の支援グループ(VFT:Veterans in Film and Television)の創設者の一人であり、戦傷復員軍人をサポートする非営利団体の顧問も務めている。日本語版出版にあたっては、海兵隊特有の表現などが日本の読者によりよく伝わるようにと当初から頻繁に協力をいただいた。米陸軍体験を持つ自分が翻訳を担当することになったのも、あるいは人生のカラクリかも知れない。

                             カリフォルニア州モントレーにて
                                          加藤 喬

マイク・ダウリング(Mike Dowling)
2001年海兵隊に入隊。憲兵学校を主席で卒業後、軍犬兵コースに進む。訓練終了とともにペンドルトン基地の軍用犬部隊に配属。2004年のイラク派遣ではレックスとの功績に対し海軍・海兵隊功労賞を授与されている。退役時の階級は軍曹。ロサンゼルス在住。戦傷復員軍人を支援する非営利団体の顧問を務める。

加藤 喬(かとう・たかし)
米国防総省外国語学校日本語学部准教授。元米陸軍大尉。都立新宿高校卒業後、1979年に渡米。カリフォルニア州立短大ラッセン・カレッジ、アラスカ州立大学フェアバンクス校で学ぶ。88年空挺学校を卒業。91年湾岸戦争「砂漠の嵐」作戦に参加。カリフォルニア陸軍州兵部隊第223語学情報大隊中隊長をへて、現職。著書に第3回開高健賞奨励賞受賞作の『LT?ある“日本製”米軍将校の青春』(TBSブリタニカ)、『名誉除隊』『加藤大尉の英語ブートキャンプ』(いずれも並木書房)がある。現在メルマガ「軍隊式英会話術」を配信中。