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推薦の辞――『二つの祖国を生きた台湾少年工』
この事実を多くの日本人に知ってもらいたい

(元台湾総統) 李 登 輝

 先の大戦中、働きながら学んで上級学校卒業の資格を得、さらに航空機技師になることを夢見て、八千四百人余の「台湾少年工」と呼ばれた台湾の少年たちが日本本土へ渡った。その来日から七十年の歳月が流れ、「台湾高座会留日七十周年歓迎大会」が開催されるこの時期に、彼らのドキュメントが出版されることは、極めて時宜を得たものである。

  本書を読むと、平均十四、五歳のまだ幼ささえ残る台湾の少年たちが、日本本土の寒さに耐え、戦時下の食糧不足に耐え、航空機製造という敵国の主要な爆撃対象となった高座海軍工廠などで、恐怖に耐えつつ極めて誠実に勇敢に戦ったことが分かる。

  そして戦後は故国台湾で、戒厳令下という台湾の最も厳しい時代に耐えつつ力を養い、経済成長と民主化に偉大なる貢献をしたことも知ることができる。

  本書は、二つの祖国の最も困難な時代を生きた、しかも立派に生き抜いた者たちの証言録である。私は台湾人の偉大な記録として、この事実を多くの日本人に知ってもらいたい。


  本書はまた、登場人物に人を得たと思う。私は、李雪峰、宋定國、方錫義、洪坤山、黄茂己、何春樹という本書に登場する六人の人物をよく知っている。みな、二つの祖国を立派に誠実に生き抜いた人物である。戦時中の試練も厳しかったが、帰国してからの苦難もたいへんなものだった。

  台湾では、長い戒厳令の時代が続いたせいで、多くの人が自分のことをあまり語りたがらない。今回、彼らが語ったその半生は、台湾人がこの時代をいかに生きたかを裏づける貴重な資料であり、歴史に刻まれるべきものである。

  彼らは台湾で戒厳令が解除されると、いち早く各地区に台湾高座会を結成し、毎年、全国規模の総会を開催してきた。二〇一二年で第二十五回と聞いているが、それは台湾が自由な国になってから、二十五年を迎えたことを意味する。台湾高座会は、台湾の民主化とともに歩んできた。

  また、台湾高座会の大規模な日本との交流は、戦後の日本と台湾を結ぶ重要な絆であり、ここに登場する六人の人物は、その面でも重要な役割を果たしている。


  さらに本書は、執筆者にこれ以上ない人物を得た。著者の石川公弘氏は、父親が寄宿舎の舎監をしていたことから、年少ながら台湾少年工と一緒に生活し、今も彼らの寄宿舎のあった土地に住み、戦後の日台交流にも大きな役割を果たしてきた。同じ時代を生き、思いを共有する人物の手で描かれるのは、状況を正確に伝えるうえで大切なことである。

  著者は、台湾少年工の記録を書くにあたって貴重な経験をしたと述べている。それは台湾少年工が一九四五年八月十五日を境として、敗戦国民と戦勝国民の両方を体験した稀有の存在であり、その体験から得た結論が、自信を失った敗戦後の日本人の歴史観に、転換を迫るというのだ。

  戦後の歴史は勝者の作ったものであり、勝者に都合のいいものであることを、台湾人は命懸けで知ったという。私が本書を多くの日本人に勧めるのは、そこにも理由がある。

 

 



目 次

推薦の辞――『二つの祖国を生きた台湾少年工』
この事実を多くの日本人に知ってもらいたい 1
李 登 輝
(元台湾総統)

第一章 期待に応えた台湾少年工  11

   台湾少年工が日本本土へ向かった頃の戦況 11
    厳しい選抜試験に合格して日本に向かった少年工 15
    台湾少年工は見事に期待に応えた 20
    最後まで勇敢に戦った台湾少年工 23

第二章 宿命のリーダー――李雪峰物語  31

   日本人指導工員のいじめに反撃 31
    歯痛で命拾いした派遣先の名古屋 34
    台湾少年工を執拗に追いかけるB29爆撃機 39
    死を覚悟した大音響の瞬間 42
    敗戦の混乱の中から立ち上げた台湾省民自治会 43
    一変していた故郷台湾 47
    危機一髪で敵の懐「上海」へ逃れる 50
    密告が奨励された白色テロの時代 52
    戦没少年工慰霊碑建立に一筋の光を見た 53
    偶然が重なって始まった第二の故郷との交流 56
    台湾民主化と日台交流をライフワークに 62

第三章 最後まで欠かさなかった恩師の墓参り――宋定國物語  64
                             

   成田空港から墓苑に直行 64
   「先生、授業料が払えません」 67
    働きながら通った夜間中学 69
    向学心に燃え日本本土へ 72
    期待されて「紫電改」整備員に 75
    B29爆撃機による甲府大空襲 77
    猛火から守った甲府市役所のトラック 79
    変わり果てた故郷台湾 81
    教師として再出発 85
    日本の近現代史を正しく理解する教材として 88

第四章 健気に戦う少年工に日本人は優しかった――方錫義物語  91
                              

   航空技師を夢見て渡った日本本土 91
    東洋一の第二一空廠へ派遣される 93
    半日の爆撃で壊滅した東洋一の工廠 96
    蒲田で再び大空襲に遭遇 99
    悪魔のような米軍の戦術 103
    黒煙の中、犬に助けられた 104
    帰郷した台湾で見た国民党政府の腐敗 107
    愛河に飛び込んで助かった命 108
    豊かで平和な国になった台湾と第一空廠殉職者慰霊祭 111
    親切にしてくれた日本本土の人たち 112
    永年抱いていた謎が解けた 116

第五章 日本を愛した台湾万葉歌人――洪坤山物語  119

  「大和村なる少年期の日」 119
    航空機技師への夢 121
    銃爆撃下必死の部品調達 122
    二・二八事件で進学を断念 124
「中華社会」での悪戦苦闘 126
    大陸進出と引き換えに得た難病 128
    二つの祖国への思い 130

第六章 来世はぜひ日本人として生まれたい――黄茂己物語  138

   日本の統治を高く評価していた父親 138
    少年工の兄貴分として日本へ 142
    昼は中隊長、夜は寮長 144
    終戦の日直前の悲しい犠牲 147
    敗戦の日の複雑な思い 151
    白色テロの恐怖と重なった教職時代 153
    私利私欲でなく公共に尽くす教育を実践 157
    日本から舞い込んだ講演依頼 159
    遠い台湾から呼んでミスキャスト呼ばわり 163
    中国韓国は自虐史観に悪乗りするが台湾は逆 164

第七章 ビジネスと政治の世界で成功した少年工――何春樹物語 169
                              
    故郷とのつらい別れ 169
    爆撃の恐怖 174
    敗戦、そして帰国へ 178
    進学を断念し実業の世界で成功 179
「党外の人間」として政治の世界へ 183

第八章 心洗われる台湾日本語世代の考え方  191

   偶然が重なった半世紀ぶりの再会 191
    私たちだけ苦労したなら恨みもしますが 194
    餓死者も出さなかった日本がなぜ北朝鮮に謝罪するのか 199
    大和正也大尉への四〇年ぶりの礼状 202

第九章 台湾少年工よ、永遠なれ――「台湾高座会留日七〇周年歓迎大会」への取り組み 209
         
    訪日要請を快諾してくれた李登輝元台湾総統 210
    歓迎大会会長は森喜朗元総理と決定 214
    多士済々の台湾高座会 221
    若い世代も参加する全国的な歓迎体制 224

石川公弘(いしかわ・きみひろ)
昭和9年生れ。昭和18年小学校長から海軍工廠寄宿舎舎監に転じた父と大和へ。早大大学院商学研究科修士課程卒、経営教育に従事、東経大講師、日本ビジネスペンスクール取締役を兼務しながら、大和市議会議員を28年務める。市議会議長時代に元台湾少年工と再会、台湾高座会留日50年、60年、70年歓迎実行委員長。高座日台交流の会会長、日本李登輝友の会常務理事、日台稲門会顧問、著書に『過密の中の軍事基地』、共著に『台湾少年工と第二の故郷』がある。