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まえがき

 さむらいの作法の基本にあるものは臨戦態勢、要は常在戦場である。家の中でくつろいでいるときも脇指(脇差)は差している。江戸時代の天下泰平の世でも常在戦場を建前としてきた。
  武士の家の夫婦が同伴で外出するとき、夫人は三歩下がって歩かなければいけない。この作法は男尊女卑の象徴とも思われているが、実は違う。
  時代劇のシーンを思い出していただこう。前を歩く夫のあとから風呂敷包みを抱いた夫人が従う。男が荷物を持つべきだと、いまのご婦人たちなら苦情を呈するにちがいない。さて、ここで平素も常在戦場であることを思い出していただこう。
  突然、夫が何者かに斬りつけられたとする。夫がサッと身をかわすとき、夫人が寄りそっていたら、夫人にぶつかりふたりとも転んでしまう。この三歩は身をかわす間合の距離である。
  夫が身をかわしたとき、夫人は手に持った風呂敷包みを目の前の敵に投げつける。夫が反撃する時間をつくるための風呂敷包みである。おわかりいただけたかな。荷物がない折も何かしらのものを包んだ風呂敷包みを持参していた。
  武士の子女の躾は、良妻賢母だけでなく夫と共に戦うことも教育された。ゆえに武家の子女の躾は厳しかった。深夜、路上で暴漢に襲われたら、まず、お前に隙があったと家人に叱られた。この躾は戦前まで残っていた。

 浅田又左衛門大輔なるさむらいを舞台回し役として登場させる。さむらいの名前は三つある。浅野は家名(苗字)。又左衛門は自らが名乗る名であり、人からの呼び名である。元は官位名であったことから出世などすると別名になる。要は通称の名である。大輔は諱。「忌み名」の意味で、死後になって呼ばれる生前の実名。ゆえに、この世で呼ぶのは失礼にあたる。
  本書での「武士」と「さむらい」の使い分けもはじめに述べておこう。「武士」とは上級武士をいい、「さむらい」は下級武士をいうとの通説もあるが、さむらいを身分制度の総称として述べるときは「武士」とし、ほかは「さむらい」とする。「拙者、武士にて」とはいわず「拙者、さむらいにて」といっていたようだ。現代の「さむらい」たらんと願う「拙者」が、ご同輩に向け、述べることから「さむらい」を多用する。
  武士の作法も、鎌倉武士から江戸の武士まで幾多の変遷を経た。本書が舞台の江戸時代とて、二百七十年の長きにわたる中で異なる点が多々ある。同じ武士でも高禄、小禄の違いからも、それはいえる。実は、先のさむらい夫婦の「三歩下がって」は女性同伴御法度の建前もゆらいできた時期であろう。
  鞘の下緒の結び方、刀の差し方なども藩によって異なるし、藩の中でも指南所(道場)の流儀によって異なった。近代化による全国一律観念の弊害で、現代の古流武術家も自流の下緒の結び方が正しいと思い込んでしまう。逐一、その差異を述べていたらきりがない。本書は時代考証本ではない。その点はご容赦願う。武士の作法を通して、「武士とは何者であったか?」を探る書である。
  いまは武士の世ではない。しかし、日常生活でも臨戦体制、常在戦場の心がけをしておくことは、自己責任の意識を高め、盗難、事故、自然災害を未然に防ぐこととなる。本書は、武士の世に戻り、武士の作法のいくつかを紹介する。何ほどかお役に立てれば幸いである。
  次頁に資料として武士の姿見、刀の絵図を入れた。まずは先立ち、江戸のさむらいを彷彿していただくために



目 次

まえがき 7

第一章 急な呼び出しで屋敷を出る  13

一、刀は婦女子に直にさわらせない 13
二、刀の二本差しが定番になったのは江戸時代から 16
三、武士は袴を絶対に穿かなくてはならない 19
四、刀の差し方でひとつで一命を落とす 22

第二章 急ぎ市中を歩く  25

五、さむらいの左利きは御法度 25
六、両手を振り歩くのは、さむらいにあらず 28
七、雨が降っても傘はささない 30
八、市中の騒ぎは避けて通る 33
九、漁民が消えた日本の「士農工商」 35
十、真剣白刃取りは講釈師の創作 38
十一、外出時の持ち物 41

第三章 上役の屋敷を訪問する  43

十二、武家屋敷に表札はない 43
十三、刀は右膝の脇に置いて座る 45
十四、暗闇には伏兵が潜んでいる 49
十五、厠の中で敵に襲われたら 52
十六、花を活けた竹筒、小枝も武器となる 55

第四章 旅に出て旅籠に泊まる  58

十七、柄袋は一瞬に外せないと命取り 58
十八、旅先の旅籠に刺客が襲う 63
十九、暗闇剣法、秘伝「座さぐり」 65
二十、下緒で槍をからめ取る秘伝「槍止め」 67
二十一、家柄の格式厳守は武士のさだめ 70
二十二、忘れられた「下緒」の使い方 74
二十三、さむらいは右胸を下にして眠る 76

第五章 刀の話を総領に聞かせる  79

二十四、刀の手入れ。最大の敵は錆 79
二十五、打粉は油を完全に取り除くため 82
二十六、太刀から打刀の時代へ 84
二十七、いまも使われる日本刀が生んだ言葉 90

第六章 戦国の世に思いを馳せる  97

二十八、「正座」は五感を研ぎ澄ます 97
二十九、さむらいの髪型はなぜ「月代」なのか 100
三十、甲冑の不自由さが日本の武術を生んだ 104

第七章 武芸十八般に挑む  109

三十一、表舞台から去っても弓術は武士の表芸 109
三十二、竹刀剣道で剣術は遠くなりにけり 113
三十三、頬当ての火縄銃が伝来した幸運さ 115
三十四、日本の武士だからこそ生まれた槍 118
三十五、騎乗武者は敵の顔と喉元を狙った 122
三十六、柔の極意は殺活法にあり 126
三十七、救急法ができないなら武道家失格 128

第八章 研師に総領を連れていく  133

三十八、日本刀はなぜに武士の魂となったか 133
三十九、刃文も拵えも粋を極めた日本刀 138
四十、天下人が愛でた名刀伝説 142
四十一、日本刀、その切れ味の真実 146

九章 謎の浪人と出会う  151

四十二、将軍直々に密命を受ける御庭番 151
四十三、据物斬りと真剣勝負は別 155
四十四、さむらいの妻は家門繁栄を担う柱 161
四十五、さむらいは出された物は黙って食べる 165
四十六、鷹狩で軍気分を懐かしむ 170
四十七、さむらいの子弟教育は文武両道 172

第十章 切腹の検使役になる  176

四十八、斬る者と斬られる者、切腹の作法 176
四十九、作法どおり、お見事なご最期 181
五十、さむらいはどこへ行くのか 186

〈補遺〉
五十一、さむらいの妻とは何者であったか 191

あとがき 191

杉山頴男(すぎやま・ひでお)
昭和21年生まれ。ベースボール・マガジン社入社。『週刊プロレス』創刊編集長。移民国家アメリカの典型的格差社会ならいざしらず、当時、世界一級の教育レベルを持つ日本の青少年が、なぜにプロレスに夢中になるのか。この設問を説いた証として『格闘技通信』を編集長として創刊。日本の格闘技の根源に古流武術があり、武士の心と躰の在り処があったと知った。退社し、杉山頴男事務所を設立、『武道通信』を創刊。『武道通信』電子本、兵頭二十八絶版本などのオンライン読本も発信する。まぐまぐ有料メルマガ『武士の女の品格−武士の妻女からみた武士道』と『編集とは時代の精神との格闘だ!−週刊プロレス・格闘技・武道通信への軌跡』を杉山頴男New私塾として月2回配信する。著書に『サムライと日本刀−土方歳三からの言伝て』(並木書房)がある。
『武道通信』http://www.budotusin.net