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プロローグ 家族が壊れていく

 高校生になった娘が泣きながら叫んでいる。
「友達にお父さんの仕事を聞かれたら、ジャーナリストって答えると、すごいねって言われるけど、私にはちっとも嬉しくない。それよりお父さんが病気だってことを知られたくない。もし、知られたら、きっと同情される。でも、同情されたくないの!
  うつだから、大変だよねとか、そんな風に言われたくないの!
  私は、本とか書かなくていいから、お金なんて稼がなくてもいいから、穏やかなお父さんであって欲しい。うつがつらいのは、子供の頃からずっと知ってる。だけど、そのつらさを家族にぶつけないで。みんな、お父さんが病気だからって、見たいテレビも見ないし、調子の悪い時は騒がないし、家族は我慢しているんだよ。なのにどうしてお父さんのうつはよくならないの?

  どうして治そうとしないの?

  もう限界だよ。お父さんはつらい、つらいって言っていればいいかもしれないけど、それを聞かされている家族はもう、耐えられない。もうお父さんのうつにはつきあいきれない!」

  涙を流しながら立ちつくしている娘の横で、妻がすすり泣いている。二階では、長男と次男が息を殺して、様子を伺っているに違いない。
  私は言葉を失って、無意識のうちに自分も涙を流していた。

  修羅場――まさにこれは家族の修羅場だ。

  きっかけは些細なことだった。娘が妻に生意気な口答えをして、それを妻が叱った。その時、妻がこう言った。
「あんたは不機嫌をすぐに振りまく。それはお父さんと同じ。性格が遺伝しているんだ」
  私はうつの調子が悪く、おとなしくしていたのだが、思わず妻に怒鳴ってしまった。
「俺を引き合いに出すことはないだろう!」
  すると、妻が怒った顔で矛先を私に向けてきた。
「怒鳴らないで! うつだからって、自分だけが被害者で可哀相な存在だと思っているでしょ。自分だけが世間や家族から虐げられていると思っている。でも、それは病気がそう思わせているんだと、ずっと我慢してきたけど、もう私も我慢できない。子供たちもあなたにはうんざりしている。甘えるのもいい加減にして。いい歳なんだから、自分のうつぐらい、自分でなんとかしてよ!」

  胃の底に鉛のようなものが沈んでいく感覚がした。
  こうした諍いは今に始まったことではない。最近になって、何度となく繰り返されてきたことだ。
  どうしてうつが治らない? 抗うつ薬を飲んでいるし、医者にも通っている。それでもどうして私のうつは治らないのか?
  その答えは自分でも見つけられずにいる。

  私がみずからのうつ体験を書いた『図解うつ克服マニュアル』(同文書院)を上梓したのは、二〇〇〇年のことだ(二〇〇五年には光文社知恵の森文庫に収録して『僕のうつうつ生活』と改題)。その原稿を書いたのは、三五歳でうつを発症してから、まだ間もない時期である。
  うつの発症から一〇年以上が経った。

  今、私は四六歳。小学生だった娘は高校生になり、長男は中学生、『図解うつ克服マニュアル』の中で生まれたばかりと書いた次男も小学生になっている。
  娘と長男は思春期に入り、自分の世界を作りつつある。まだ、次男は親を頼りにしているが、もはや赤ん坊ではない。背が伸びるのと同じくらいの速度で、自我を形成している。
  つまり、『図解うつ克服マニュアル』を書いた時とは、家族のあり方が違ってきているのだ。
『図解うつ克服マニュアル』(そして文庫化した『僕のうつうつ生活』)を読んだ読者から、よくこんなことを言われる。

「上野さんの家族は、みんなうつに理解があって、羨ましい。こんな家族なら、きっとうつも治るんでしょうね」
  確かに、私の家族はうつについて理解を示してくれている。特に妻の献身ぶりは、今でも頭が下がる思いだ。
  その一方で、読者の反応に戸惑う自分がいる。
  それは、時間がたつにつれて、『図解うつ克服マニュアル』で書いた環境が変化しているのを感じているからだ。

  この一〇年間の間に、いろいろなことが起きた。
  まず、父が癌で死んだ。その後、ささやかながら父が残した遺産を巡って、父が晩年に再婚した女性と争う、という煩わしさに巻き込まれた。

  その後、一時的に家計が豊かになり、穏やかな日々が約一年ほど続いた。
  だが、ある小さな広告代理店の誘いに乗ってしまい、本業であるジャーナリスト活動を休止して、うつの啓発講演会を行なうために一年間を費やす。

  その後半、資金的なバックボーンだった広告代理店が逃げ出す。それでも、すでに予定を入れていた講演会は続けなければいけない。わずかに残っていた父の遺産をすべて投げだし、その上に銀行から借金までして、四国や九州で講演会を行なった。
  その最中、心労がたたって、二度目の自殺未遂を起こす。

  金も精力も使い果たした講演会が終わり、また本業に復帰するが、一年間のブランクは大きく、仕事量が激減する。
  経済的にも苦しくなり、とうとうサラ金にまで手を出すようになった。

  それでもここ一年ばかりは、仕事も復調しつつある。あいかわらず経済的にはぎりぎりの自転車操業だが、自己破産にまでは至っていない。
  こんな調子なので、うつは一向によくならず、むしろ悪化傾向にある。
  ちょっとしたことで落ち込み、そしてイライラが高じて、声を荒げることが多くなった。ささくれだった感情は家族に向けられる。家の中にギスギスとした空気が漂うようになってきたのも、当然かもしれない。

  そのくせ、保健所などの招聘を受けて講演をする時は、あたかもうつを楽々、乗りこなしているかのような話をしている。その自分に対する違和感。

  どこかで歯車が狂ってしまったのか? それともこれは予測できた状況なのか?
  少なくとも、今のままでは自分も、家族も壊れてしまう。

  私は自著でうつの克服法を説いてきた。しかし、それを書いている本人が、うつに負けそうになっている。
  これではいけない。

『図解うつ克服マニュアル』や文庫化した『僕のうつうつ生活』、それにその他の著書を読んでくれた読者にとっては、背信行為なのかもしれないが、私は再び、うつの暗闇に落ち込んでいる。
  その軌跡をもう一度、振り返りながら、明日への希望を紡いでいきたい。
  それがこの『僕のうつうつ生活、それから』を書こうと思った理由である。
  妻、子供たちにつらい思いをさせたくない。そして私自身も、うつで苦しむ境遇から脱したい。
  これから書いていくことは、ある意味で露悪的かもしれないが、差し障りのない範囲で、赤裸々な事実を吐露していこうと思う。

  私はうつを侮っていた。これまで講演や著書で、何回も主張してきたように、うつを克服するのは、自分自身でしかできない。

  その試みをもう一度、私はしたい。

  うつで家族を失わないために──。



 目 次

プロローグ 家族が壊れていく  9

 

第一章 母のこと  17

 

家庭の温かさを知らなかった父 18
母と父の出会い 19
狂乱する母 23
母の精神疾患 27
血のつながり 33
サラリーマンにならなかった理由 35
ライターとしての出発 37
母の自殺 40

第二章 父の死  45

 

新しい生活 46
周囲の反対を押し切って 52
衰弱していく父 58
父の死 60
父の骨 67

第三章 マイバブル  75

 

金の切れ目が縁の切れ目 76
育った家を手放す 82
新しい生活と思わぬ体験 89
家族旅行三昧 97
ソウルへ、そして最後の温泉旅行 108

第四章 転落のはじまり  113

 

落とし穴 114
順調な滑り出し 120
忍び寄る崩壊 124
死のロード 130
我慢の限界から自殺未遂 133
幕引き、そしてすべて終わった 140

第五章 笑顔が消えた家庭  145

 

事務所の処分 146
NPO成立の裏側 149
ブランク後の仕事復帰 154
家族との不協和音 158
離婚の危機 165

第六章 無意味な存在  173

 

私は死ねない 174
冬の朝 179
直前の死 185

それから 189

エピローグ 私からの詫び状  193


上野 玲(うえの・れい)
1962年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学在学中より記事を書き始め、医療や福祉の取材を主に手がけ、現在に至る。35歳の時にうつを発症。以来、通院・治療を続けている。NPO「うつコミュニティ」代表。主な著書に『日本人だからうつになる』(中公新書ラクレ)、『僕のうつうつ生活』『アカルイうつうつ生活』(共に光文社知恵の森文庫)、『デキるヤツほどウツになる』(小学館文庫)などがある。