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はじめに(一部)

 2022(令和4)年2月24日、ロシア軍はウクライナに侵攻した。その突然の開戦から3年を過ぎた。
  当初、首都キーウの早期占領に失敗したロシア軍は戦線を縮小し、兵力を再編しなければならなくなった。次には東部ドンバス地域に圧倒的な戦力を集中するが、ウクライナ軍の防禦陣地を突破できなかった。作戦目的を達成できずに、ロシア軍は膨大な装備と兵員を失うことになった。
  一方でウクライナ軍は西側装備の供与と各種支援を受けた。2023年6月以降、南部地域でウクライナ軍も攻勢を開始したが、今度はロシア軍の強固な防禦陣地に前進できず、戦線は膠着状態に陥ってしまった。
  この間に、戦場についての報道が続いた。当初では「ジャベリン」や「NLAW」を中心とした携帯式対戦車ミサイルが戦果を上げた。「バイラクタルTB2」などの「UAV(無人航空機)」が南進するロシア軍部隊に大きな損害を与えた。
  そこですぐさまわが国の報道では「戦車不要論」などが声高に発せられた。安価なドローンさえあればいい、高価な重装備は意味を持たなくなったと言う人までいた。
  しかし、砲兵の活躍については一般向けにほとんど語られなかった。ところが、ウクライナ軍の砲兵の射撃は大きな戦果を挙げていた。
  元自衛隊富士学校長・陸将の井上武氏によれば、英国王立防衛安全研究所(RUSI)は、その報告書で砲兵の活躍にも注目していた。
  この地域に投入されたウクライナ軍の2個砲兵旅団は、その遠距離火力を発揮して、短期間でキーウ占領を企図するロシア軍を混乱させ、侵攻速度を遅らせ、部隊行動を妨害し、撃破するなどでウクライナ軍の作戦を密接に支えたのである。
  続いて東部ドンバス地域でのロシア軍の攻勢作戦は砲兵戦を重視した。ロシア軍は圧倒的な砲兵火力でウクライナ軍を圧倒する。ウクライナ軍は備蓄してきた弾薬(6週間分)も枯渇してきてしまった。ロシア軍は2022年6月末には、戦略的要衝であるセベロドネツク市の占領も含めて、支配地域を拡大した。
  その頃には西側諸国から供与された火砲や弾薬も前線に到着し、逐次戦闘に加入したが、それも十分な火力とはいえなかった(井上武「露宇戦争における砲兵戦の実体と教訓(前段)」陸修偕行社機関誌『偕行』令和6年5・6月号)。
  そんな頃に「野戦特科(砲兵)を取り上げて、世間にあまり知られていない実態を書いたらどうか」と元陸上自衛隊研究本部長・陸将の松尾幸弘氏が勧めてくれた。松尾氏が防衛大学校から久留米の幹部候補生学校へ進み、3等陸尉に任官したのは富士教導団特科教導隊である。若き日々に松尾氏が富士山麓で訓練に励んだのは当時最新鋭の75式自走155ミリ榴弾砲だった。その後、第8特科連隊長(北熊本)、富士学校特科部長を務めた野戦砲兵のエキスパートである。

 第1部では、砲兵とは何か、陸上自衛隊砲兵の戦い方や砲兵の真骨頂とは何か、どのような装備があるか、現場に立つ自衛官はどのような戦い方を訓練しているのかを紹介することにした。
「砲兵は耕し、歩兵は占領する」といった古くからの言葉は、現在も真理だった。「戦場の女神」といわれた砲兵は、今でも勝利を左右する決定的な兵科であることは、ロシア・ウクライナ戦争からもわかる確かな事実である。砲兵の仕事、陣地を築き、測量し、射撃するシステムをわかりやすくイラストなども交えて解説した。富士学校特科部の各位による貴重な教示を受けることができた。

 第2部では、現用の火砲、155ミリ榴弾砲FH70や99式自走155ミリ榴弾砲、19式装輪自走155ミリ榴弾砲、12式地対艦ミサイルについて説明した。ここの内容はまさに火砲を扱い、整備し、訓練を重ねている現職特科隊員でしか知らないことも含んでいる。また、現在では退役した特科装備もその概要を紹介した。

 第3部では、陸上自衛隊発足以来の野戦特科の歴史の一部をふり返ってみた。参考になったのは陸上自衛隊富士学校特科部編の『日本砲兵史』(原書房、1980年)である。この第3部の記述内容については、防衛研究所戦史研究室の有志にご指導をいただいた。
  また、「領域横断作戦」についても解説し、そこでの砲兵の期待される役割についてふれてみた。2023(令和5)年に発表された防衛力整備計画(安全保障関連3文書の一つ)に基づいた今後の装備開発の概要や、装備の最適化などの概要についても調べてみた。

目 次

はじめに 1

第1部 野戦特科部隊の火力戦闘 …………………………………………………………………11

第1章 特科部隊の役割 12

二つの特科部隊──野戦特科と高射特科 12
野戦特科部隊の任務──直協任務と全般任務 13
野戦特科部隊の特色 15
直協任務大隊と全般任務大隊 17

第2章 野戦特科部隊の火力戦闘 21

前進観測員(FO)の任務 21
進化する測量の方法 22
射撃部隊の行動 24
目標の発見と識別、標定、火力要求 27
火砲の照準 29
弾着観測と射弾修正 34
効力射と効力射の準備 41
射撃指揮所の任務 41
射撃諸元の求め方 43

第3章 射撃の目的と効果 51

射撃計画と射向束 51
射撃の方法と効果 53
射撃効果の判定 55

第2部 野戦特科部隊の装備 ………………………………………………………………………………………63

第4章 現有火砲の機能と運用 64

(1)155ミリ榴弾砲FH70 64
(2)99式自走155ミリ榴弾砲 75
(3)19式装輪自走155ミリ榴弾砲 82

第5章 野戦特科の歴代火砲 90

(1)75ミリ榴弾砲M1A1 90
(2)105ミリ榴弾砲M2A1 91
(3)155ミリ榴弾砲M1 93
(4)203ミリ榴弾砲M2 95
(5)155ミリカノン(加農砲)M2 97
(6)105ミリ自走榴弾砲M52A1 99
(7)155ミリ自走榴弾砲M44A1 101
(8)74式自走105ミリ榴弾砲 103
(9)75式自走155ミリ榴弾砲 105
(10)203ミリ自走榴弾砲 108

第6章 地対地ロケットと地対艦ミサイル 112

(1)68式30型ロケット弾/67式30型ロケット弾発射機 112
(2)75式130ミリロケット弾/75式130ミリ自走多連装ロケット弾発射機 114
(3)多連装ロケットシステム(MLRS)118
(4)88式地対艦誘導弾(SSM‐1)123
(5)12式地対艦誘導弾(12SSM)126

第7章 観測、情報処理・指揮・統制機材 131

(1)火光標定機 132
(2)位置座標標定装置(JUSQ‐S1)133
(3)音源標定装置 134
(4)対迫レーダー装置(AN/MPQ‐10・JAN/MPQ‐N1・JMPQ‐P13)136
(5)対砲レーダー装置(JMPQ‐P7・JTPS‐P16)139
(6)遠隔操縦観測システム・無人偵察機システム 142
(7)気象観測・測定装置 145
(8)多連装ロケットシステム指揮装置 149
(9)野戦特科情報処理システム 149
(10)野戦特科射撃指揮装置(JGSQ‐W3)150
(11)火力戦闘指揮統制システム 153

第3部 野戦特科部隊史 ………………………………………………………………………………………155

第8章 警察予備隊〜保安隊時代(1950〜54年)156

特科連隊≠フ創設 156
特科教育の黎明期 160
重装備の貸与と教育課程の充実 170
警察予備隊から保安隊へ 172

第9章 創設期の陸上自衛隊と特科部隊(1954年)176

陸上自衛隊の誕生 176
教範類の独自化 180
「富士学校」の開設 183
富士教導団と特科教導隊 186
特科陸曹の教育 188

第10章 陸上自衛隊の体制改革と近代化(1955〜70年)190

5個方面隊13個師団体制への移行 190
新体制下の特科部隊 193
第2次、第3次防衛力整備計画 195
教育訓練体系、制度の改革 196
安全保障環境の変化と第4次中東戦争の教訓 198

第11章 戦力基盤の充実と技術革新(1976〜86年)200

「基盤的防衛力」構想と「前方対処・早期撃破」構想 200
北方重視$略の推進 202
制約の中での質的向上 206
ハイ・ロー・ミックス≠ヨの対応 208

第12章 戦略環境の激変と陸上自衛隊の新体制(1986〜2010年代)211

冷戦終結後の防衛力整備と自衛隊の役割 211
師団の旅団化改編 213
「大綱」と「中期防」の変遷 214
即応性、機動性の向上 219
野戦特科部隊の新体制 222
後方支援体制の改革 225
野戦特科部隊の再編 229

第13章 新時代の野戦特科部隊 235

スタンド・オフ防衛能力と領域横断作戦能力 235
野戦特科部隊の機能・能力の向上 238
ウクライナにおける砲兵戦の教訓 242
面制圧からピンポイント制圧へ 245

『自衛隊砲兵』主要参考・引用文献 248

おわりに 250

【コラム@】火砲の種類と特徴 37
【コラムA】火砲の構造と仕組み 45
【コラムB】弾薬とその構成品 57
【コラムC】高射特科部隊──装備と運用の変遷 162
【コラムD】礼式と礼砲 231

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を研究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て『脚気と軍隊』、武器科も同じく『日本軍はこんな兵器で戦った』を、警務科とともに『自衛隊警務隊逮捕術』を上梓(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌『偕行』にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。