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プロローグ
  それは筆者が初めて知ることだった。前著『蘇る翼F‐2B』の取材で、東日本大震災当時、松島基地司令だった杉山政樹元空将補にインタビューした時である。
  震災時、杉山氏は基地のトップとして災害対処の陣頭指揮にあたっていたが、つねに補佐役に同期か部下を選び、その表情や声のトーンを観察しながら、意見を聞いて決断していたという。
「実は震災時の松島基地の装備部長が防衛大学校の同期生で、昔から気心の知れた、信頼のおける男だったのです。だから、彼に相談や提案をした時、彼が無理と言ったら、だめなんだと判断していました」(杉山氏)
  戦闘機のパイロットは、単座機か複座機かで二種類に分けることができる。F‐15イーグル戦闘機など単座機のパイロットは基本「寡黙」。それに比べて複座のF‐4ファントム戦闘機のパイロット出身者はよくしゃべる。この複座機の経験が震災時に役に立ったという。
  複座機のパイロット特有の気質や思考方式があるというのは思いもよらなかった。いつか、F‐4戦闘機のパイロットたちの現場を見てみたいと思った。
『蘇る翼F‐2B』が刊行されて間もなくの2017年夏、取材時にお世話になった方々を招いた宴席で杉山氏と再会した。筆者(小峯隆生)はすぐに思いを伝えた。
「航空自衛隊のF‐4ファントムが、間もなく退役しますね、そこで次はF‐4に関する本を書いてみたいんです」
  杉山氏は筆者の提案には答えず、携帯電話を取り出し、どこかと連絡を取り始めた。
「いま兄貴にメールを送りました。返事を待ちましょう」
  意味不明の言葉だった。しばらくして杉山氏がメールの返信を確認すると言った。
「あっ、やれますよ」
「なんですか?」
「F‐4ファントムの件です。兄貴がお手伝いしようとのことでした」
「その兄貴って、どなたですか?」
「私の先代の第302飛行隊長で、今は空自のトップの杉山空幕長ですよ」
  なんとも素早い対応に驚き、筆者はあんぐりと口を開け、そこにビールを燃料のように流し込んだ。
  こうして本書の制作が開始された。
  F‐4EJ戦闘機──それを大空で自在に操縦する者たちを「ファントムライダー」と呼ぶ。消えゆくF‐4ファントムは、これに関わった人々に何をもたらしたのか? かつて単座戦闘機で戦った搭乗員たちは「大空のサムライ」と呼ばれた。ファントムの搭乗員たちは大空のなんであったのか……

目 次

はじめに 17
1 F‐4だから長く活躍できた──杉山良行前空幕長 23
2 F‐4の戦力を使い切る 29
3 航空自衛隊とF‐4ファントム 47
4 最後のファントムライダー 77
5 ファントム発進! 110
6 複座戦闘機乗りの心得 136
7 最強の飛行隊を目指して 151
8 空の守りの最前線 157
9 ファントムOBライダーズ 165
10 最後のドクター──列線整備小隊 200
11 F‐4を支えるメカニック集団 227

12 劇画『ファントム無頼』に込めた思い 261
13 今だから語れる非常事態 277
14 RF‐4偵察機──偵察航空隊の使命 301
15 写真を読み解く──偵察情報処理隊 328
16 創意工夫でやりくり──偵察航空整備隊 353
17 日本の空を支えて半世紀──丸茂吉成空幕長 371
18 永遠の翼「F‐4ファントム」380
おわりに 399

増補「それからのファントムラーダー」404
(1)ファントム飛行隊のその後 404
(2)ファントムライダーのその後 407
(3)資料 2019年以降の各部隊動向と展示機 420

小峯隆生(こみね・たかお)
1959年神戸市生まれ。2001年9月から週刊「プレイボーイ」の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。著書は『蘇る翼 F-2B』『鷲の翼 F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤の翼 アグレッサー部隊(近刊)』『軍事のプロが見たウクライナ戦争(編著)』(並木書房)ほか多数。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。筑波大学非常勤講師、同志社大学嘱託講師。

柿谷哲也(かきたに・てつや)
1966年横浜市生まれ。1990年から航空機使用事業で航空写真担当。1997年から各国軍を取材するフリーランスの写真記者・航空写真家。撮影飛行時間約3000時間。著書は『知られざる空母の秘密』(SBクリエイティブ)ほか多数。日本写真家協会(JPS)会員、日本航空写真家協会(JAAP)会員。日本航空ジャーナリスト協会