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〈監訳者のことば〉
  大戦を生き抜いた若者の記録(大木 毅)

 戦略的に重要な地点や施設を急襲、あるいは敵の重要人物の拉致や暗殺をはかるといった、コマンドやレンジャーによる特殊作戦は、戦後ながらく、米英を中心とする西側連合軍の専売特許のように思われてきた。それは日本のみならず、欧米においても同様であって、そうした特殊部隊のイメージは、ノンフィクションや映画、小説によって、広く流布されたのである。
  しかしながら、少数精鋭の将兵により、敵の急所に痛打を与え、作戦的・戦略的な効果を上げることを目的とする特殊部隊は、ドイツ側にも存在していた。
  ブランデンブルク部隊だ。
  この部隊の起源や編制については、本書の付録5ならびに6に詳しく記されているので、ここでは屋上屋を架すことを避けて、同部隊の歴史のあらましだけを述べることにしよう。ブランデンブルク部隊は、一九三九年九月の対ポーランド戦を見据えて、国防軍最高司令部外国・防諜局によって創設された。「ブランデンブルク(Brandenburg)」の秘匿名称は、基幹要員がブランデンブルク/ハーフェル(ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル。ハーフェル河畔のブランデンブルクの意)市に集められたことに由来するといわれる。
  私服、さらには対手の軍服を着用、主力に先んじて敵地深く潜行し、橋梁やトンネルなど、作戦・戦術上の要点を押さえるという戦法がポーランド侵攻で功を奏したことから、ブランデンブルク部隊は、大隊規模から連隊に拡大され、一九四二年末から四三年初頭になると、師団規模の兵力を擁するまでになった。
  けれども、戦勢がドイツにとって不利な方向に傾き、特殊作戦の余地が少なくなるにつれ、ブランデンブルク部隊も通常戦闘を行なう野戦師団となり、一九四四年には装甲擲弾兵師団に改編された。ただし、特殊作戦要員およそ八〇〇ないし一〇〇〇名が、オットー・スコルツェニー親衛隊中佐が統轄する「SS遊撃隊(ヤークトフェアベンデ)」(SS-Jagdverbande)に転属している。また、特殊作戦の教育訓練要員は「選帝侯(クーアフュルスト)」連隊にまとめられ、こちらは敗戦まで存続した。
  このような変遷をたどってきたブランデンブルク部隊が、いかなる作戦を実施したかについては、特殊部隊という性格からか、必ずしもあきらかにされてはこなかったが、最初はドイツ、ついで冷戦期の西側諸国において研究が進んだ。以後、「ドイツ版コマンド部隊」への冒険小説的興味も手伝って、ブランデンブルク部隊の歴史や戦例は急速に解明されるに至った。あいにく、そうした文献の多くは日本には紹介されていなかったが、最近ニュージーランドのノンフィクション作家によるものが翻訳出版され、貴重な一書となっている。
  だが、そうした華々しいエピソードとは裏腹に、大戦中盤、とくに独ソ開戦以降のブランデンブルク部隊の任務が、いわゆる「前線捜索」(Frontaufklarung)、敵戦線背後での破壊活動を主体とするものになっていったことは否めない。当然のことながら、かかる作戦は「決死隊」の性格を帯びており、ブランデンブルク隊員の平均死傷率は、通常部隊のそれをはるかに超えていたという。
  ここに訳出された『ブランデンブルク隊員の手記──出征・戦争・捕虜生活』は、ブランデンブルク隊員として、その「前線捜索」をたびたび経験したばかりか、敗戦後にはソ連に抑留され、虜囚の辛酸をなめた著者の回想記である。
  著者ヒンリヒ=ボーイ・クリスティアンゼンの生い立ちや経歴については、本書の記述を参照していただきたいが、実際にブランデンブルク部隊の特殊作戦を体験した人物による手記であり、貴重な史料となっていることは敢えて強調するまでもなかろう。加えて、ソ連の収容所や監獄、脱走の試みなどの描写は、やはり得がたい証言と評価できる。
  さりながら、著者クリスティアンゼンには、自身の数奇な前半生を世間に公開する気はなく、当初は家族のために伝え残すという目的で、この手記をしたためたという。それが、軍事史研究に携わり、多くの元国防軍将兵の手記や回想録を刊行していた編者ルドルフ・キンツィンガー(元連邦国防軍〔ブンデスヴェーア〕将校で、本職は技師である)の眼にとまり、オンデマンドの限られたかたちながら、出版されることになったのである。
  ところが、そうした、いわばマイナーな形態で公表されたにもかかわらず、二〇一〇年に上梓されるや、本書は大きな評判となり、軍人や戦史の専門家のみならず、一般読者にまで注目された。たとえば、ドイツ・アマゾンで本書のページをみると、実に四一もの評価がついており、そのほとんどが五つ星を与えている(二〇二一年一二月一九日閲覧)。
  監訳者も数年前に本書の原書を一読、深い感銘を受けた。単にブランデンブルク隊員による手記であるというだけでなく、ナチズムと戦争の時代を生きた「普通の」若者の率直な心の動きが活写されていると思われたからである。
  昨今の歴史研究では、日記や手紙、手記といった「エゴ・ドキュメント」を活用した分析が脚光を浴びている。その意味では、本書も重要な「エゴ・ドキュメント」とみなすことができよう。
  以後、本書を出版できないかと考えていたが、すでに多数の「筆債」を抱えた身であり、自分で訳すことは難しい。そこに、並木均氏という訳者を得、また並木書房編集部の賛同を得て、ようやく刊行にこぎつけた。
  もしも、本書に接した読者が、監訳者同様の感銘を覚え、戦争と人間を考える一助としてくださるのであれば、これ以上の歓びはない。

 追記。二〇二二年二月二四日、ロシアがウクライナに侵攻し、本書の舞台となったキエフ(キーウ)北方の地は再び戦場と化した。不幸なことではあるが、本書におけるプリピャチ湿地の戦闘やウクライナ人のロシア人に対する感情などの描写はアクチュアルな意味を持つことになってしまった。
  本書が一日も早く「歴史書」に戻ることを祈りつつ、後世のために、この邦訳が刊行された時期の状況を付記しておく。

目 次

〈監訳者のことば〉
大戦を生き抜いた若者の記録(大木 毅)1

はじめに 9
1 運命の決断 11
2 対パルチザン作戦 20
3 ヴィテプスクをめぐる戦い 34
4 泥濘の主陣地の中で 58
5 湿地帯からイタリアへ 82
6 将校選抜課程 92
7 ヴィシャウでの士官教育 96
8 少尉として部隊に復帰 101
9 降伏の混乱 104
10 ソ連の捕虜に 108
11 ソ連の収容所 113
12 矯正労働二五年の有罪判決 131
13 脱走の準備 147
14 脱 走 153
15 再逮捕 161
16 二度目の有罪判決 172
17 ノヴォ=チェルカスクの刑務所へ 187
18 帰 郷 204
編集者による結び 213
付録1 参考・推奨文献 215
付録2 著者履歴 216
付録3 本書に登場する場所について(時系列順)218
付録4 第90歩兵補充大隊(自動車化)228
付録5 特殊部隊「ブランデンブルク」(1939年から)「ブランデンブルク」師団(1943年4月1日から)230
付録6 特殊部隊「ブランデンブルク」装甲擲弾兵師団 234
付録7 「シル」部隊(遊撃隊)237
訳者あとがき(並木 均)240

 訳者あとがき(並木 均)

 第二次世界大戦中のドイツ軍人による手記は、本邦においてもこれまで多数が翻訳出版されてきたが、本書は具体的な活動がほとんど知られることのなかった特殊部隊「ブランデンブルク」の元隊員による回想録であり、その意味においても極めて稀有なものである。
  本書の構成は二つに大別される。前半はブランデンブルク隊員としての記述であり、同部隊の特性やソ連における対パルチザン活動、不快極まる湿地帯での作戦行動、イタリア山岳地帯での活動などが本人の戦時中の日記などを基に活写されている。
  一方、後半においては、ブランデンブルク隊員であったことから「戦犯」として一〇年の長きにわたってソ連各地の労働収容所や刑務所に収監された体験が記されている。その中には、収容所からの脱走の試みや「エース」戦闘機パイロットのエーリヒ・ハルトマンとの交流、収容所で出会った日本人捕虜についての描写などもあり、実に興味深い。
  戦後もすでに七六年が経過し、当時の兵士たちの最後の生存者も次々と鬼籍に入る現状からすれば、彼らの肉声を聞ける機会は今が最後となろうし、本書がそうした当事者の証言をまとめた貴重な一冊であることに間違いはなかろう。
  ちなみに、著者ヒンリヒ=ボーイ・クリスティアンゼンは無名の人物だが、晩年にインタビューを受けた折の映像がYouTubeで視聴可能なので、ご興味のある方はご覧いただきたい(Hinrich-Boy Christiansenで検索のこと)。(以下略)

Hinrich-Boy Christiansen(ヒンリヒ=ボーイ・クリスティアンゼン)
1924年ドイツ/キール生まれ。1942年に「ブランデンブルク」特殊部隊に入隊、ソ連およびイタリアにて特殊作戦に従事。敗戦後は捕虜および「戦犯」としてソ連に抑留され、その間に脱走を試みるも、1955年まで労働収容所や刑務所で服役。帰国後は大学教育を経て国家公務員として西ドイツ政府に奉職。1992年および1998年にロシア連邦政府により名誉を回復。2014年リューベックにて没。

大木 毅(おおき・たけし)
現代史家。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』『「太平洋の巨鷲」山本五十六』『日独伊三国同盟』(以上、角川新書)、『ドイツ軍事史』(作品社)、訳書に『戦車に注目せよ』『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』『ドイツ国防軍冬季戦必携教本』(以上、作品社)など多数。

並木 均(なみき・ひとし)
1963年新潟県生まれ。中央大学法学部卒。訳書に『大西洋の脅威U99』『Uボート、西へ!』(以上、潮書房光人新社)、『Uボート戦士列伝』(早川書房)、『Uボート部隊の全貌』(学研パブリッシング)、『戦略インテリジェンス論』(共訳・原書房)、『情報と戦争』『ナチスが恐れた義足の女スパイ』(以上、中央公論新社)、『始まりと終わり』『急降下爆撃』(以上、ホビージャパン)など多数。