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おわりに(一部)

 主要諸国の政府が政治・外交的リスクを冒し、時には偵察機乗員の生命の危険を顧みることなく航空偵察活動を行なうのは、それが国家戦略の進路を探る重要な手段の一つであることを深く認識しているからである。
  欧米諸国では、軍事に関する書籍が多く出版され、秘匿された活動である航空偵察について書かれた書籍も多い。しかし、日本では航空偵察に関するものはほとんど刊行されていない。
  本邦に接近してくる外国の偵察機には、自衛隊機がスクランブルして対処するのだが、外国の偵察行動に対する国民の関心は高いとはいえない。仮に自衛隊機による警戒・対領空侵犯措置が行なわれないとしたら、その結果はどうなるだろう? 偵察機は思うままに飛行し、わが国の防衛態勢はもとより、産業、通信、交通など国の骨格をなすシステムが丸裸にされ、弱点が暴露されるであろう。
  2019年度、航空自衛隊が対領空侵犯措置で外国機に対しスクランブルした回数は947回に達する。とくに中国、ロシアの偵察機は継続的かつ入念にわが国を偵察しており、その飛来機数は年々増加傾向を示している。
  偵察活動は、その国の戦略的意図のもとに行なわれるものであるから、その国の政戦略の姿と方向を示している。諸外国の偵察活動を観察・分析することにより、彼らの戦略を見通し、わが国の安全保障の諸政策に反映させることが求められる。
  その一方で、わが国も保有する偵察能力を発揮し、周辺諸国に勝る情報収集力を発揮していくことが必要である。

 自衛官現役時代の1980年ごろ、航空自衛隊が創設される以前の日本周辺の航空軍事情勢はどうだったのか、調べてみようと思い立ち、その資料を持っている米空軍に資料提供を依頼した。
  提供されたのが1950年前後の樺太と北方領土を含む地域のソ連空軍の活動状況であった。
  資料にはレーダーで探知したソ連軍戦闘機の年度別の数があり、秘密区分はなかった。その中に、米空軍のRB‐29が撃墜された時の記録も含まれており、その一部を第4章に記述した。
  1990年に航空自衛隊を退官したが、その頃から中国の軍事力強化に注目が集まり、その状況把握に努め、著者経歴に記した書籍の中国空軍の項を担当した。
  そのかたわら、冷戦時代の航空偵察に関する書籍(特に米国で刊行されたもの)を読むと、パワーズ飛行士が操縦するU‐2の撃墜事件やキューバ危機における偵察機の活躍など、自衛官現役時代になかなか知ることができなかった歴史が見えてきた。
  特に2013年にCIAがU‐2やSR‐71の活動状況を記した文書を公開したことにより、秘密のベールに覆われていた冷戦期の航空偵察の状況がかなり明らかになった。
  この資料に記述されているU‐2が日本からソ連領内へ偵察飛行をしていたことは、当時の日本人は誰も知らなかったことだ。これに注目して関連する資料を集めると、思いがけない貴重な資料も見つかった。
  かつてこのような緊迫した状況が日本周辺で生じており、そのような状況が今でも続いていることは、日本人として知っておかなければならないことだと考えた。これが本書を著すきっかけになった。
  本書は、これまで世界各地で、とくに日本周辺で行なわれてきた航空偵察の実態を紹介し、航空偵察についての知識を広めたいと願い、さらには偵察活動が国家の命運を左右する場合もあることを広く知っていただきたいとの願いをもって執筆した。

目 次

はじめに 1
略語集 12

第1部 戦略航空偵察 13

第1章 戦略航空偵察とは何か 14

戦略航空偵察の目的/各国の現用の偵察機/情報収集の手段/偵察衛星と無人機(UAV)/偵察飛行と国際法

第2章 航空偵察の歩み 19

第2次世界大戦期の偵察活動 19

各国の偵察機/信号情報の収集開始
大戦後の航空偵察 23

冷戦前期─ソ連圏の情報収集/冷戦後期─キューバ危機と中国の核開発/米海軍偵察機EC‐121の撃墜/ベトナム戦争と戦術偵察/冷戦以後─中東紛争とテロとの戦い/活発化する日本周辺の偵察活動

偵察手段の進歩と情報の使用 30

スタンドオフ・テクニック/映像情報の収集と活用/データベース化される電子情報/狙われるデータ通信

偵察機に対する妨害行為 33

米軍偵察機に対する危険な接近飛行/威嚇する中国戦闘機

第2部 冷戦期の航空偵察 35

第3章 朝鮮戦争前後の偵察活動 36

朝鮮戦争と航空偵察 36

朝鮮戦争の勃発/奇襲された米軍/米軍の戦争介入と航空偵察の開始/MiG‐15の戦闘加入/RF‐86F偵察機の活躍/戦術偵察/電子戦の攻防/撃墜された情報将校搭乗の偵察機/核戦争への備え/朝鮮戦争の性格

日本周辺の航空偵察と撃墜事件 47

朝鮮戦争時の日本周辺の情勢/北海道周辺の米ソ航空戦力の対立/日本海でのP2V撃墜事件/ウラジオストク沖でのRB‐29撃墜事件/根室東沖でのRB‐29撃墜事件/日本海で撃墜されたRB‐50偵察機/その後のRB‐50搭乗員の消息/日本海でのP2V不時着事件/根室沖でのRB‐29撃墜事件/新偵察機RB‐47の配備とカムチャツカ沖での撃墜/あいつぐ偵察機の喪失/偵察機多数喪失の原因/VP‐22飛行隊の日本派遣/北朝鮮軍機の米軍機攻撃/米偵察機のソ連領侵入飛行停止/日本はなにも知らなかった……

第4章 冷戦初期の対ソ連偵察飛行 68

鉄のカーテン/ソ連偵察飛行の開始/バルト海で米偵察機撃墜/ソ連核戦力に対する恐怖/米軍偵察機の能力の実態/ホームラン作戦/RB‐47のコラ半島偵察/ソ連の焦りとフルシチョフの脅し

第5章 U‐2偵察機の登場と活躍 82

U‐2の開発/パイロットにも過酷な環境/U‐2の性能・機能の向上/U‐2偵察飛行の開始/U‐2の本格運用─西独ウィスバーデンから発進/M‐4バイソン爆撃機/ソ連の激しい抗議と米大統領の対応/トルコ領アダナからの2回の偵察飛行/毒入りカプセルの誤飲でU‐2墜落/ソ連ICBM弾着地の偵察/ソフトタッチ作戦/ミサイル・ギャップはなかった/U‐2のソ連領内飛行に対するソ連の反応/黒いジェット機事件/偵察飛行への強い危惧/U‐2の飛行を脅かす地対空ミサイル

第6章 U‐2撃墜事件 104

ソ連、戦略ミサイル軍を創設/新型ICBM SS‐6の脅威/「スクエア・ディール作戦」/NSAによるソ連の防空通信の傍受/米英選抜のU‐2パイロット/「グランドスラム作戦」/パワーズ飛行士が操縦するU‐2の撃墜/モスクワの対応/U‐2撃墜の衝撃/パワーズ飛行士のその後

第7章 キューバ危機と航空偵察 120

U‐2の偵察情報で始まったキューバ危機/カストロ政権のソ連接近と米国の警戒/キューバへのミサイル配備と米国の偵察強化/米軍は大規模偵察活動を開始/U‐2の運用はCIAからSACへ/U‐2による弾道ミサイル配備確認と米国の対処/チュコット半島領空侵犯事件/大統領の決断/キューバ偵察飛行の信頼性の限界/ル・メイ将軍

第8章 台湾政府の中国大陸偵察 135

CIAと台湾政府の協力/ブラック・キャット飛行隊の新設と活動/U‐2と中国地対空ミサイル部隊の虚々実々の戦い/警報装置システム12/警報装置システム13/中国内陸飛行の終わりとその後

第9章 ベトナム戦争と航空偵察 146

ベトナム戦争に空軍投入/偵察機の損失/CIAの偵察活動/「ブラック・シールド作戦」/A‐12のベトナム偵察飛行の計画概要/A‐12に地対空ミサイル発射/U‐2の運用、CIAからSACに移行/U‐2の偵察活動/SR‐71の偵察活動/最初のSR‐71の任務飛行/ドローン(無人機)の偵察活動/ドローンの運用/有人機に代わって困難な任務を実施/横田から発進するRB‐47の活動/横田から嘉手納への移動/RB‐47Hとドローンの共同運用/RC‐135偵察機の活躍/RC‐135に対するMiGの攻撃/ホーチミン・ルート偵察/KC‐135の用途/進化するRC‐135偵察機/通信中継機器搭載機/ベトナム戦争における航空偵察の成果

第10章 EC‐121撃墜事件 178

ソ連・北朝鮮間の通信傍受/北朝鮮空軍のMiG‐21/EC‐121撃墜される/ソ連艦艇が浮遊物を回収/米政府は「核報復」も考えた/北朝鮮の挑発の意図/北朝鮮の「勝利の理論」/国際法を無視する北朝鮮

第11章 ソ連機による偵察活動 188

ソ連偵察機/民航機の偵察器材搭載/偵察機の活動範囲拡大と海外基地取得/ベトナム・カムラン基地に航空兵力展開/米空母上空を偵察飛行/偵察飛行中の事故/冷戦終結と偵察活動の変化

第12章 A‐12とSR‐71 194

A‐12(OXCART)の開発/A‐12をどう使うか?/幻のA‐12とU‐2の共同作戦/ブラック・シールド作戦/プエブロ号拿捕事件/A‐12の退役/A‐12とSR‐71/SR‐71ブラックバードへの移行/SR‐71の開発経緯/SR‐71の運用開始/ムルマンスク海軍基地の偵察/駐イラン大使館人質事件/ペトロパブロフスク軍港偵察/SR‐71の北朝鮮偵察/中近東でのSR‐71の偵察活動/ソ連のSR‐71対抗策

第3部 冷戦後の航空偵察 219

第13章 湾岸戦争での航空偵察 220

偵察部隊の緊急派遣/デザート・ストーム作戦と情報活動/情報活動と大量データ処理/スカッドミサイル発射サイトの捜索/U‐2用航空燃料の輸送の困難さ/湾岸戦争におけるU‐2の偵察活動の総括

第14章 EP‐3衝突事件 226

米海空軍の対中国偵察活動/海南島沖EP‐3とJ‐8の衝突事件/台湾海峡の緊張/その後の米空軍の航空偵察/偵察態勢の刷新

第15章 ロシア軍機の対日偵察活動 241
活発化するロシア軍機の偵察活動/新偵察機Tu‐214R/最近のロシア偵察機の行動/北朝鮮のミサイル発射に関連する対日偵察

第16章 北朝鮮の核・ミサイル監視 246

北朝鮮の弾道ミサイルと核兵器開発/衛星による監視態勢/米空軍による監視態勢/米陸軍による監視態勢/米海軍による監視態勢/韓国と北朝鮮間の軍事合意書/韓国軍の監視態勢/軍事合意後のDMZ沿いの偵察活動/強化される米軍の監視態勢

第17章 中ロの軍事協力と航空偵察 260

中国の最近の偵察活動/中国・ロシアの爆撃機が編隊飛行/中ロ両国の事前偵察飛行/韓国をめぐる日米対中ロの対立/中ロ合同演習の経緯/深化する中ロの軍事協力

第4部 航空偵察の価値と将来 271

第18章 中国軍の演習と米軍の偵察活動 272

中国軍の演習/黄海に設定された飛行禁止区域へU‐2侵入/米中間の取り決め/米軍の反論/南シナ海に4発の弾道ミサイル発射/米軍偵察機の尖閣諸島周辺飛行/米陸軍の新型偵察機登場

第19章 偵察衛星と無人偵察機 278

進化する偵察衛星

米国の初期の偵察衛星/核軍縮の検証に寄与/湾岸戦争と作戦情報/偵察衛星の機能強化の趨勢/ロシアの偵察衛星/中国の偵察衛星

UAV(無人航空機)の開発

米国のUAV/イスラエルのUAV/中国のUAV/ロシアのUAV

第20章 有人偵察機は使い続けられるか? 297

万能ではない偵察衛星やUAVの情報活動/有人偵察機を使い続ける米国/ロシア─新たな偵察機の配備/活発化する中国の偵察活動/自衛隊の有人偵察機

終章 航空偵察と日本の立ち位置 302

米軍偵察機の基地としての日本/中国、ロシアの偵察行動と日本/日本の戦略的航空偵察活動/日中間の信頼醸成措置の構築/偵察飛行は「国の戦略を映す鏡」
[コラム]
UFOに間違えられたU‐2偵察機 87
ソ連戦闘機はU‐2を撃墜できない 103
中国空軍によるF‐104の撃墜 175
オープン・スカイ条約 239

おわりに 308
主な参考文献 314

西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、航空自衛隊幹部学校主任教官。最終階級は空将補。著書に『肥大化する中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとインド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』『チベットにおける中国の軍事態勢整備』などがある。