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 あとがき(一部)

 西欧ではマッチロック(火縄式)、ホイールロック(歯輪式)、フリントロック(燧石式)から最後のパーカッション(打撃式)ロックという進化に三〇〇年あまりを要した。
  わが国では火縄式の時代が長く、およそ二〇〇年続いた。フリントロックは、鶏頭(コック)に燧石をくわえさせて、当たり金(フリズン)に勢いよくぶつけて火花を飛ばす。その荒っぽい仕組みが嫌われたのだろう。点火の瞬間にぶれることが何より難点とされた。狙撃が好きだった日本人には受け入れられなかった。
  一九世紀初めに雷汞がつくられ、雷管(プライマー)が実用化された。銃尾の右側面に付けられた凸部(ニップル)にかぶせて撃鉄(ハンマー)で打つ。湿気や風に強く、発火は確実性を増し、すぐに薬莢が発明された。その素材も紙から金属へ、とうとう弾頭・装薬・雷管が一体化された完結型実包(カートリッジ)が生まれる。わが国では幕末・維新の頃である。
  村田経芳(一八三八〜一九二一年)は、「同胞相撃つ戦争で、我々は学んだ」と、日本人の銃への知識、用兵術の進歩の速さに驚いた欧州人にそう答えた。村田は旧薩摩藩士、自ら西洋式小銃の開発を行なった造兵将校である。日清戦争を戦いぬいた村田銃の設計者だった。明治の初めには欧州各国を歴訪し、その優秀な射撃技術で有名になった。
  欧州では二五〇年かけて発達した技術をわが先人たちはわずか二〇年で駆け抜けた。さらに二〇年、世界的水準に追いついた三十年式歩兵銃、騎銃で大敵ロシア帝国を打ち負かし、機関銃の採用にも熱心に取り組んだ。村田の後継者の有坂成章(一八五二〜一九一五年)、南部麒次郎(一八六九〜一九四九年)も忘れてはならない。彼らの名前は多くの日本人に忘れられたが、欧米の識者や造兵専門家の間では、いまも評価は高い。
  日本人は戦国時代からずっと銃が大好きだった。江戸時代の日本には火縄銃がどこにでもあった。進歩がなかったのは戦場で使われることがなかったからである。幕末になって海防の重要性が認識され始めると、とたんに熱心に洋式銃を輸入し、すぐに模造品をつくり始めた。戊辰戦争、西南戦争では、敵味方ともに銃撃戦、砲撃戦をもっぱらにした。
  日清・日露の両戦役も火力重視で戦った。辛くも勝てた日露戦後、白兵戦闘に弱かった兵士の士気を高めるために白兵戦闘を重視すると宣言した。(『歩兵操典』一九〇八年)
  しかし、実際のところは決して小銃火力を軽視していたわけではない。歩兵は射撃、銃剣術、行軍力を鍛えることとされていた。
  第一次世界大戦の戦場から遠く離れ、その実態を体験することは少なかったが、その情報収集への熱意は高かった。多くの前途有為な将校たちが派遣され、貴重な考察が蓄積された。将来の戦争は「国家総力戦」であること、戦場の主役は「機関銃」だということをしっかり理解した。それは世界水準をねらった軽機関銃の採用を始め、重機関銃、平射砲(機関銃陣地狙撃砲)、曲射砲(迫撃砲)、擲弾筒など歩兵用装備の開発に熱心だったことに現われている。
  いっとき第一次世界大戦による好況に沸いた国内経済は、またまた停滞する。ロシア革命へのシベリア出兵(一九一八〜二二年)も貴重な予算を浪費したといっていい。三回にわたる軍備縮小(二二年、二三年、二五年)も行なった。国家の財政窮乏には関東大震災(二三年)がさらに追い打ちをかけた。そのうえ、海軍はアメリカを仮想敵にし、巨大艦隊を建設しようとしていた。世論の多くは海軍に味方し、陸軍は装備改善もままならなかった。航空や機甲、火砲といった近代装備に向けられる予算もひどく少なかったのである。
  事態を大きく変えたのは満洲事変(一九三一年)だった。満洲帝国は成立したものの、軍備増強を着実に実行してきたソビエト連邦軍への備えを重視しなくてはならなくなった。一九三六(昭和一一)年には『帝国国防方針』の第三次改訂が勅裁された。想定敵国は米・ソ・中国、それに加えて英国も挙げられた。陸軍はソ連を、海軍はアメリカを主目標として軍備を整えようというものだった。
  翌一九三七(昭和一二)年から始まった中国との戦いは、ますます陸軍を疲弊させた。拡大する一方の戦火、陸軍の動員につぐ動員、部隊増設、大陸での戦いは、ますます装備改善に注ぐ予算を減らした。そうして、満洲でソ連軍を相手に戦うはずの陸軍は、大東亜戦争に突き進んでいくことになった。
  用兵思想と装備、訓練、教育は密接に結びついている。そして装備は、その国の資源、技術、教育と深く関わる。歴史、とりわけ近・現代史を学ぶには軍事史、技術史を知ることが重要である。どうか読者には先人の努力と、報われなかった勇戦敢闘を知ってもらいたい。

 

目 次

はじめに 1

第1章 幕末・維新の小銃 15

画期的な雷管式ゲベール銃/前装式滑腔銃の限界/施条(ライフリング)の発見/球形から椎の実型の弾丸へ/長州藩に「ミニエー銃」を売った英国商人グラバー/福澤諭吉の「雷銃操法」/銃隊操練はまず姿勢の矯正から/銃を持って行動するのは特異技能だった/エンピール銃(エンフィールド・ライフル)/ミニエー銃の射撃訓練/連発式の後装ライフル「スペンサー銃」/余剰武器の購入/ボルトアクションの登場─プロイセンのドライゼ銃/フランスのシャスポー・ライフル/金属製薬莢の登場

第2章 日本兵は国産小銃で戦った 49

村田銃 49

西南戦争─弾薬の消耗と銃器の損傷/フランス製シャスポー銃の改造/最初の国産小銃「十三年式村田銃」/日本兵に合うよう軽量化された「十八年式村田銃」/近代国民国家と村田銃/複雑な小銃の設計/無煙火薬の誕生/小口径連発小銃の採用/短期間で開発された「二十二年式村田連発銃」/村田連発銃の複雑な装?システム

有坂「三十年式歩兵銃」75

日露戦争を戦い抜いた「三十年式歩兵銃」/三十年式は「不殺銃」という批判/欠かせない小銃の手入れ/銃剣と着剣時の全長/白兵戦のために長くしたという嘘

三八式歩兵銃 88

日本軍の兵器は後れていたか?/大東亜戦争を戦い抜いた名銃「三八式歩兵銃」/弾倉の改良/ボルト・アクションの操作と連発/外貨を稼いだ三八式歩兵銃/諸外国にも送られた三八式歩兵銃/蛋形弾から尖頭弾へ

日本騎兵─三八式・四四式騎銃 106

軍馬と騎乗する軍人/三八式騎銃/四四式騎銃/素晴らしい銃と騎兵の黄昏

九九式小銃 116

六・五ミリから七・七ミリ口径へ/強い反動に悩んだ九九式小銃/互換性のない同口径弾/戦時生産品

第3章 戦場の主役となった機関銃 127

空冷ホチキス機関砲と三八式機関銃 127

空冷式か水冷式か?/うまく動かなかった水冷「馬式機関砲」/空冷「保式機関砲」の採用/機関砲の初陣─日露戦争南山の戦い/射撃姿勢が高かった悲劇/三八式機関銃

三年式重機関銃の開発 138

機関銃は戦場で頼りになった/大きく外観も変わった三年式/連発できる狙撃銃/「貧国弱兵」/輸出もされた機関銃

独自性が光る十一年式軽機関銃 151

携帯容易な軽い機関銃/ドイツ軍も大急ぎで軽機関銃を開発/第一次世界大戦から日本陸軍は何を学んだか?/日露射撃成績の比は四一九対一〇三七/浸透戦術と分隊戦闘という新しい流れ/十一年式軽機関銃の最初の教育は「故障排除」/同じように混乱した列国

傑作といわれた九六式軽機関銃 167

軽機関銃の完成品「チェコ製ZB30」/軽機関銃が火力戦闘の中心になる/新しい『歩兵操典草案』/九六式軽機関銃の特徴/射撃と弾薬運搬

活躍した九二式重機関銃 181

機関銃と専用実包を同時に開発/弾薬の互換性がなかった/都会師団の兵士は弱兵か?/戦場の九二式重機関銃

七・七ミリの九九式軽機関銃 190

軽機関銃手はエリートだった/拡大する支那事変と国力を超えた動員/「国防の台所観」/開戦一年半後の実態/戦う日本兵の実像/硫黄島の戦い(一九四五年二月〜三月)/沖縄の戦い(一九四五年三月〜六月)

第4章 不足する国産軍用拳銃 207

戦闘のわき役 207

熊本城の焼け跡から出土した拳銃/拳銃の基礎知識/日本陸海軍が採用した「S&W拳銃」

騎兵装備用の国産第一号拳銃 214

無煙火薬を使ったリボルバー「二六年式拳銃」/口径九ミリの実包/兵器工業の端境期

輸出を考えた拳銃 220

将校は自前で拳銃を用意した/自動拳銃の仕組み/南部がつくった軍用自動拳銃/南部式自動拳銃の構造と特徴/南部の願い/南部式大型拳銃実包の評価/七ミリ実包の南部式小型拳銃

十四年式・九四式拳銃 230

リボルバーかセミ・オートか?/大きかった十四年式拳銃/打撃力不足の弾薬/拳銃は主武装ではなかった/米軍に酷評された「九四式拳銃」/廉価な国産拳銃開発の内幕/優れた九四式拳銃のメカニズム/偏見に満ちた米軍の悪評価/足りない国産拳銃

第5章 手榴弾・擲弾筒 244

十年式擲弾筒と手榴弾 244

ドイツに宣戦布告/陸軍技術本部と陸軍科学研究所の発足/陸軍技術本部の兵器研究方針/日露戦争型手榴弾/手榴弾の使い方と教育法/擲弾銃の挫折/十年式擲弾筒と十年式手榴弾/十年式擲弾筒の発射の手順と運搬

小さな迫撃砲「八九式重擲弾筒」259

曲射歩兵砲を小型化せよ/八八式榴弾を撃つ八九式重擲弾筒/八九式重擲弾筒の要目/八九式重擲弾筒のつるべ撃ち/戦場の八九式重擲弾筒

おわりに 268
主な参考・引用文献 272
資料 陸上自衛隊駐屯地資料館 275

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか−安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『あなたの習った日本史はもう古い!』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。