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監修者のことば(一部)
立正大学名誉教授 清水多吉
 
石原ヒロアキさんの『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』は、ナポレオン戦争とクラウゼヴィッツの名著『戦争論』を漫画で詳細に再現した労作である。クラウゼヴィッツの生涯を軸に、彼が関わった戦いと出来事が正確に描かれている。
  拙訳である『戦争論』(カール・フォン・クラウゼヴィッツ著、中公文庫)は、上下巻合わせて一二〇〇頁を超える大冊であり、ここには実に多くの戦争・戦闘の記録が記述されている。そのため多くの読者にとって完読することは困難であり、どうしても肝心の戦争の理論化のところにだけ目が向いてしまうものである。
  しかし、本書は当時の戦いの様相を見事に描き出している。さらに当時の時代背景や人々の機微についてもていねいに描写されている。たとえば、ナポレオンのモスクワ遠征失敗のあと、クラウゼヴィッツはロシア軍連絡将校の身分のまま祖国プロイセン軍に復帰する。しかし、プロイセン王は、彼をロシアの連絡将校としての扱いしかしてくれなかった。当然、クラウゼヴィッツは思い悩む。石原さんは、その原因をクラウゼヴィッツの愛妻マリーがかつてプロイセン王国に反抗したザクセン王国宰相ブリュール家の出身であったからではないのかと推察し、エピソードとして取り上げている。本編の162頁をご覧いただきたい。これは、石原さんの推察の通りである。漫画でここまで描いて見せるとは実に驚きである。
  さらに、最後の決戦である「ワーテルロー(ラ・ベル・アリアンス)の戦い」において、プロイセン軍第3軍団参謀長のクラウゼヴィッツ大佐は主戦場への参加を許されず、遠く離れたワーブルで苦戦し、辛勝を得ただけであった。しかし、フランスのグルーシー軍をワーブルに引きつけたことが連合軍の勝利を決定づけたことは、歴史が証明している。戦後の公式報告書では、クラウゼヴィッツの業績は極めて低い評価しか与えられず、プロイセン軍の最下級勲章である「鉄十字二等章」しか授与されなかった。これらの事情については206頁を参照していただきたい。(中略)
  綿密な時代考証によって描かれた登場人物たちのドラマと戦闘シーンで構成された本作品は、漫画ながら数ある「ナポレオン戦争」の解説書のレベルを超えている。高校あるいは大学で西洋史、なかんずく「近代西洋史」を学ぶ人たちの副読本として、ぜひ活用していただきたいと切に願っている。

目次
  ナポレオン時代の各国軍装 2
  監修者のことば(清水多吉) 6
第1部 戦争の本質 9
第2部 攻撃と防禦 79
第3部 戦略と戦争計画 145
  脚 注 210
  作者ノート 215
  主な引用・参考文献 218



作者ノート(一部)石原ヒロアキ

本書は、クラウゼヴィッツの『戦争論』と、クラウゼヴィッツの生涯を漫画で描いたものです。資料集めとその精査に1年、制作に1年ほどかけて完成することができました。
監修は、『戦争論』の翻訳者として知られる、立正大学名誉教授の清水多吉先生が引き受けてくださいました。清水先生からは何度も貴重なアドバイスをいただき、作者にとってこれほど心強いことはありませんでした。
今までの多くの解説書と違って、『戦争論』そのものではなく、クラウゼヴィッツの体験した戦争を通じて、彼の『戦争論』というアイデアがいかにして生まれたかに焦点をあててストーリー化しました。
そのため『戦争論』のすべてをカバーしているものではなく、いわゆる入門書的なものです。さらに興味がある方は、監修者の清水先生が翻訳された『戦争論(上下)』(中公文庫)を読まれることをお勧めします。

 クラウゼヴィッツの生きた時代は、彼の言葉を借りれば、今までの「戦争はその本質において、時間と偶然とによって運命が定まるカルタ遊びそのまま」であり、「どんなに野心に燃えた者でも、講和締結に備えて、幾分敵より優位に立つという以外の目標を立てはしなかった」。そして「戦争が再び国民の、しかも、公民をもって自任する国民の事業」となり、「ナポレオンによってそれら一切が完成されるに及んで、全国民の力に立脚したこの戦闘力は破壊的な力をもって着実にヨーロッパを席巻」した歴史的転換点にあったと述べています。
クラウゼヴィッツは、戦争は「その真の性質に、絶対的な完全性に近づいた」と考え、「用いられる手段には確たる限界はなくなり」「軍事行動の目標はただひたすら敵の倒滅におかれることとなった」と『戦争論』(第八部第三章)で記しています。
そのような時代の息吹を感じながらクラウゼヴィッツは、「第一部第一章だけが私の完全であると認める唯一のものである」(『戦争論』覚え書)としながらも、「戦争の体系的理論を、活気に満ち、内容あるように記述」(『戦争論』著者の序言)しようと努めて、『戦争論』を完成させたのです。
『戦争論』は古典と言われながらも、今も戦争を論ずる名著としてさまざまな場面で用いられています。日本の安全保障の環境が厳しさを増し、国防のあり方がこれまでになく問われる昨今、本書を通して一人でも多くの読者に『戦争論』を身近に感じていただけたらと思います。


カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)
1780年、マグデブルク近郊に生まれる。12歳で陸軍に入隊。士官学校でシャルンホルストの薫陶を受ける。卒業後、プロイセン皇太子の副官に任官。1806年、イエナ、アウエルシュテットの戦いでナポレオン軍に敗れ、捕虜となる。帰国後、プロイセン国王に離反し、参謀中佐としてロシア軍に投ず。1814年プロイセン軍に復帰。ワーテルローの戦いで参謀長として参戦。1818年、ベルリン一般兵学校長。「戦争の本質」を研究し著述活動を行なう。1831年、コレラにて死去。享年51。最終階級は陸軍少将。のちに妻マリーの手で発表された『戦争論』は高い評価を受け、今も読み継がれている。

清水多吉(しみず・たきち)
1933年、会津若松生まれ。東京大学大学院修了。東京大学、名古屋大学、静岡大学、早稲田大学、法政大学、立教大学、東洋大学、神奈川大学などの講師、ニューヨーク・ホフストラ大学の客員教授を歴任。立正大学文学部哲学科名誉教授。著書に『ヴァーグナー家の人々』『ベンヤミンの憂鬱』、訳書にマルクーゼ『ユートピアの終焉』、ホルクハイマー『道具的理性批判』、クラウゼヴィッツ『戦争論(上下)』(中公文庫)などがある。

石原ヒロアキ(本名:米倉宏晃)
1958年、宮城県石巻市生まれ。青山学院大学卒業後、1982年陸上自衛隊入隊。化学科職種幹部として勤務。第7化学防護隊長、第101化学防護隊長を歴任。地下鉄サリン事件(1995年)、福島第1原発事故(2011年)で災害派遣活動に従事。2014年退官(1等陸佐)。学生時代赤塚賞準入選の経験を活かし、戦争シミュレーション漫画『ブラックプリンセス魔鬼』および自衛官の日常を描いた『日の丸父さん』(電子書籍で発売中)、2018年『日米中激突!南沙戦争』(並木書房)を発表。現在、海洋戦略家のアルフレッド・マハンを題材に執筆中。クラウゼヴィッツ学会会員。