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謝 辞

 わたしは一九八五年、フォート・ブラッグのジョン・F・ケネディ特殊戦センター付きの大尉だったとき、ジェドバラ部隊の戦友会のホスト役を手伝ってくれないかとたのまれた。陸軍特殊部隊の訓練中に受けた講義でジェドバラ計画がどういうものかは知っていた。しかし、元隊員たちとじかに会って話を聞いてみると、彼らの体験への関心が強まり、わたしは結局、二年にもわたる調査に乗りだすことになった。
  一九八八年、元ジェドバラ隊員のウィリアム・E・コルビー元CIA長官がわたしに手紙をくれ、その年の夏にワシントンで開催が予定されているジェドバラ部隊の戦友会に足を運んではどうかとすすめてくれた。もっと多くの元隊員と知り合いになる絶好の機会だと考えたのである。数日後、彼が電話をかけてきて、くるかとたずねたとき、わたしはもちろんですと答え、鞄に荷物をつめた。こうしてわたしはジェドバラ隊員とさらに数日をすごし、彼らの家族の幾人かとも知り合うことができた。いつの日か彼らについて書くことができたらと願ったが、軍から退役するまで待たねばならないことはわかっていた。そのときにはその計画に全時間と全精力を捧げることができる。さしあたり、わたしは多くのジェドバラ隊員に手紙を書いたり、機会ができるたびに彼らから話を聞いたりしはじめた。最終的に、米英仏の六十人以上の元ジェドバラ隊員と話をしたり、文通をしたりすることになった。
  わたしはなんらかの形でこの本を実現させるのを手伝ってくれた多くの方々に感謝したい。アメリカ陸軍指揮幕僚大学の戦闘研究所のサミュエル・J・ルイス博士は、わたしが一九九〇年から九一年にかけて彼のもとで学んでいたとき、時間とジェドバラ部隊の専門知識をおしみなく分け与えてくれた。その援助は学術上の指導にかぎられず、多くの記録文書や写真のコピーを提供してくれた。
  アメリカ国立公文書館戦史部(この調査をはじめたときにはワシントンDCのダウンタウンにあったが、のちにメリーランド州カレッジ・パークに移った)のジョン・テイラーとウィル・マホーニーは、文書や写真を探しだすうえで計りしれない力添えをしてくれた。アメリカ陸軍ジョン・F・ケネディ特殊戦センター兼学校のマーカット記念文庫のフレッド・フラーは、わたしが一九八〇年代にそこで勤務していたとき、ジェドバラ部隊の戦闘後報告をはじめとする文書を見せてくれ、大いに力になってくれた。
  わたしが短い期間カンザス大学で学んだとき指導教官だったジョン・スウィーツ博士は、調査方法を指導し、フランス・レジスタンスについての専門知識をさずけてくれた。フロリダ大学の元歴史学教授アーサー・レイトン・ファンク博士は、時間を割いてわたしの質問に答え、フランスにおけるレジスタンスと連合軍特殊部隊の活動にかんする知識を分け与えてくれた。そして、友人で元上司のブライアン・マクミラン大佐は、OSS訓練マニュアルのコピーを気前よく提供してくれた。
  わたしはまた、草稿の一部に目を通し、貴重な意見と提案をしてくれた以下の方々にも感謝したい。ゴードン・アチスン大佐、ジョン・ハント、リック・ブラウン、ロバート・E・キーオウ、そして、ヘンリー・D・マッキントッシュ博士。
  カンザス州フォート・レヴンワースのアメリカ陸軍指揮幕僚大学の諸兵連合部隊研究図書館や、カンザス大学ワトスン図書館、スタンフォード大学フーヴァー研究所、ドイツのハイデルベルクにある在欧アメリカ陸軍図書館研究センター、ペンシルヴェニア州カーライル駐屯地のアメリカ陸軍戦史研究所公文書館、カリフォルニア州サンタモニカのランド図書館、フロリダ州マックディル空軍基地のアメリカ特殊作戦軍図書館、そしてカリフォルニア州レドンドビーチとフロリダ州タンパの公立図書館のスタッフにも感謝する。これらの機関の職員は、特筆すべき忍耐力をもってわたしが原資料を探しだすのを手伝ってくれ、わたしが図書の返却期限を守らなくても驚くほど辛抱してくれた。
  ドナ・J・シア、ヴィオレット・A・デマレ、リチャード・C・フロイド、ロバート・E・キーオウ、マイクル・G・リームヒュイスと〈コングレッショナル・カントリー・クラブ〉、ヘンリー・D・マッキントッシュ博士、キャサリン・B・ストロングとセアラ・ドレイク、そしてタイム・ワーナー・ブック・グループが提供してくれた写真に謝意を表する。
  ジョン・ボンサルとロジェ・コートの家族に引き合わせてくれたジェドバラ隊員の妻ジョーン・ヘネリーと、フランスでの任務後のフランス人ジェドバラ隊員の活動について情報を提供してくれた元OSS局員シーザー・チビテッラ、わたしが利用したフランス語の文書の多くを翻訳してくれたキャスリーン・プライスにお礼申し上げる。
  もちろん、インタビューや手紙のやりとりに惜しみなく時間を割いてくれ、じつにたくさんの原資料や写真を提供してくれた多くの元ジェドバラ隊員とその家族には、当然ながらなによりも深い感謝を捧げねばならない。
  わたしの著作権代理人ジョン・A・ウェアとパブリック・アフェアズ社の担当編集者クライヴ・プリドルには特別の感謝を。いうまでもなく、彼らがいなければこの原稿が日の目を見ることはなかっただろう。二人はわたしをたえずはげまし、ひどく荒っぽい草稿をなんとか読めるようなものにするためにたくさんのことを教えてくれた。
  最後になったが、多くの犠牲を払い、ゆるぎない支援をあたえてくれた妻のアンジーと息子のドノヴァン、トーマス、ウィリアムに感謝したい。

 



目 次

謝 辞 5
プロローグ 9
1 戦闘準備 23
2 虎穴に入る 41
3 べつな形の戦争 62
4「状況は切迫している」112
5 サバイバル 122
6 サフレのマキ 145
7 ブルターニュ地方の解放 163
8「そんなものは無視しろ!」185
9 ピカルディーの雨の夜 214
10 リヴィエラに戦争がやってきた 241
11 フランス国内軍のウクライナ兵 260
12 第三帝国の戸口で 279
エピローグ 299
訳者あとがき 327

 

訳者あとがき

 本書は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で連合軍戦闘部隊とレジスタンス組織の連絡役をつとめた極秘の多国籍特殊部隊「ジェドバラ」の実態を、はじめて元隊員に取材して紹介したノンフィクションである。
ドイツ軍が一九四〇年、電撃戦でヨーロッパ大陸を席巻すると、イギリスは占領されたヨーロッパ諸国で破壊工作やレジスタンス運動の支援を行なうため、特殊作戦執行部(SOE)を創設した。
アメリカもドイツの脅威に対抗するため一九四一年に秘密情報収集と特殊作戦を担当する情報調整官事務所を設立、これが翌年、戦略事務局(OSS)に発展する。
SOEは特殊作戦がヨーロッパの解放にはたす役割を軍首脳部と話し合い、被占領国のレジスタンスに協力する軍服姿の特殊部隊の構想を提案した。
高度の訓練を受けた三人組の特殊部隊チームを敵戦線の後方に降下させて、レジスタンスのゲリラ集団の組織と訓練を手伝わせ、ヨーロッパ反攻作戦が実施された暁には、連合軍の地上部隊とレジスタンスの活動を連携させるための連絡役をつとめさせようというものだ。
こうして誕生したのがジェドバラ部隊である。敵戦線の後方でゲリラ部隊を組織・訓練して、これを正規軍と連携させるための機動的な部隊が正式に編成されたのは、史上はじめてだった。
隊員たちは、SOEとOSSによって英米と被占領国の三カ国の軍隊から徹底的に選抜され、きびしい訓練を受けたのち、三人一組のチームに編成された。各チームには、かならず被占領国の軍人一人と通信係が一人必要とされたが、誰と組むかは本人たちにまかされた。
一九四四年六月五日、ノルマンディー上陸作戦前夜、最初のジェドバラ・チームが特殊作戦用に改造されたリビレーター爆撃機で密かにフランスに降下、レジスタンスと合流する。しかし、敵戦線後方での活動はけっしてたやすいものではなかった。
ドイツ軍の追撃を受けて原野を逃げまわったり、無線機をなくして司令部と連絡がつかなくなったりするのはめずらしいことではなかったし、ドイツ軍に見つからないように、しばしば着のみ着のまま屋外で寝泊りしなければならなかった。
また、受け入れるレジスタンスのほうも、規律がゆるんでいたり、ドイツのスパイがまぎれこんでいたりして油断ができなかった。思想的にも左派から右派までさまざまなグループがあり、その地域の有力なリーダーの協力を取りつけることがなによりも重要だった。
連合軍がフランスに上陸して、戦闘が本格化すると、各地に送りこまれるジェドバラ・チームの数も増え、武器や補給品を投下するための飛行機が不足して、思うようにレジスタンスに武器を供給できないチームもでてきた。退却するドイツ軍の位置を連合軍の先鋒につたえようとして敵軍のなかに迷いこみ、命を落としたチームもある。
しかし、ブルターニュ地方の戦闘では、レジスタンスが突進する連合軍部隊の後方を守る役目を引き受けたおかげで、連合軍は目の前の敵と戦うことだけに専念できた。パリへ進撃するパットン将軍は、レジスタンス部隊のおかげで、側面の防衛を気にせずにすんだ。
また、レジスタンスはノルマンディー上陸に先立ち、連合軍の爆撃と呼応して、鉄道網に徹底した破壊工作をおこない、ドイツ軍の輸送能力をいちじるしく削いだ。おかげでドイツが誇る精鋭戦車師団は、連合軍の上陸部隊を迅速に迎え撃つことができず、やむなく自走して戦場へ向かった戦車は、故障したり、連合軍の戦闘爆撃機にやられたりして、つぎつぎに脱落していった。
一方、フランスの南部ではレジスタンスの活動がさらに盛んだった。リビエラ海岸に上陸した連合軍に先んじて、大都市がいくつもレジスタンスの手に明け渡され、ドイツ軍守備隊は遅れて到着した連合軍に降伏することになった。ジェドバラ・チームはこうしたレジスタンスに大量の武器を投下する手配をしたり、連合軍部隊との連絡役をつとめたりしたのである。
連合軍最高司令官アイゼンハワーは、のちにこう書いている。「過去のいかなる戦争でも、今大戦時のほかの戦域でも、レジスタンス部隊が軍主力の作戦にこれほど密接に結びついていたことはない」
それを実際に可能にしたのはジェドバラ部隊だった。いいかえれば、彼らはヨーロッパ解放の陰の立役者なのである。

 映画や小説の影響で、アメリカ軍の特殊部隊員というと、銃をやたらとぶっ放し、敵をなぎ倒すスーパーソルジャーと思われがちだ。たしかに彼らの戦闘能力は通常の兵士より高いかもしれないが、身につけられるだけの武器と弾薬しか持たない特殊部隊は、正規軍の歩兵部隊と正面から対決すれば圧倒的に不利なのだ。彼らの本来のもっとも重要な任務は不正規戦、つまりゲリラ戦の組織化と指導である。
現在、グリーンベレーは公式には、第二次世界大戦中に〈悪魔の旅団〉と呼ばれて恐れられた米加混成の精鋭戦闘部隊、第一特殊作戦部隊(1SSF)の伝統を受け継いでいる。しかし、1SSFはレインジャー部隊やコマンドー部隊のような精鋭打撃部隊であり、創設当時の任務を考えれば、むしろジェドバラ部隊のほうがグリーンベレーの直系の先祖といえる。
実際、〈グリーンベレーの父〉といわれるアーロン・バンク大佐は大戦中、ジェドバラ・チームを指揮していたし、創設当時のグリーンベレーには1SSFだけでなくジェドバラ部隊の元隊員も多く加わっていた。
ジェドバラ部隊については、これまでにもグリーンベレーや第二次世界大戦の特殊部隊をあつかった書物のなかで断片的に取り上げられることはあったが、同部隊だけを題材にした本は不思議なことになかった。いっしょに活動することも多かった特殊空挺隊(SAS)にかんする書籍が山のように出版されているのとは対照的である。
その理由は部隊が戦争終結とともに解隊されたせいもあるが、最大の理由は、本書でものべられているように、隊員たちに機密保持の義務が課せられていたことである。CIAが該当する記録の機密扱いを解除しはじめる一九八五年まで、元隊員の家族さえ、自分の夫や父が戦時中なにをしていたか知らなかったのである。

 著者のウィル・アーウィンはアメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーの元中佐。ジェドバラ部隊の戦友会を手伝ったのをきっかけに、機密扱いを解かれた公文書や手紙に丹念に目を通し、部隊の生存者に話を聞いて、この戦争終結とともに姿を消した特殊部隊の実態を、フランスで活動したいくつかのチームにスポットをあてて、生き生きと描きだしている。
本書のなかで取り上げられているチームの活動地域はフランス全域におよび、活動時期もノルマンディー上陸からドイツ国境到達までの時期が選ばれているので、これ一冊でフランスにおけるジェドバラ・チームの活動の全容がわかるようになっている。
わずか三名で敵戦線の後方に送りこまれ、連合軍の進攻作戦の成否を左右するような任務をあたえられた隊員たちの体験談は、かならずしも手に汗握るようなものばかりではない。ときにはじりじりするような歯がゆいエピソードも、悲劇もある。それが作り物ではないリアリティーを本書にあたえている。
また、いっしょに活動したフランスSASの〈ディングスン〉隊についても紙幅を割いて、ドイツの降下猟兵との激戦を描いている。同隊の奮戦は一九九四年に Un jour avant l'aube というタイトルでテレビ映画化されている。(日本では〈ザ・ロンゲスト・デイ〉というタイトルでビデオ発売)
情報戦や特殊部隊に関心のある方には、特殊部隊史の穴を埋める貴重な一冊として、またノルマンディー上陸からフランス解放にいたる連合軍の戦いぶりも描かれているので、歴史全般に興味をお持ちの方にもぜひ読んでいただきたい作品である。
なお、原書 The Jedburghs - The Secret History of the Allied Special Forces, France 1944(Will Irwin 〔Lt. Col. ret.〕, PublicAffairs, 2005)の巻末には、フランスで活動したジェドバラ部隊全チームの隊員名と活動地域、活動期間の一覧表と、三十数ページにわたる脚注、参考資料、情報源が掲載されている。訳書では紙幅の関係でやむなく割愛したが、興味を持たれた方には、目を通されることをお薦めする。
本書の翻訳にあたっては、フランス語の表記についてフランス文学翻訳家の平岡敦氏に多大なるご教示をいただいた。記してお礼を申し上げたい。ただし、訳文に誤りがあれば、それはもちろん訳者一人の責任である。
二〇一一年三月

ウィル・アーウィン(WILL IRWIN)
元アメリカ陸軍特殊部隊中佐。フォート・ブラッグのジョン・F・ケネディ特殊戦センター付きの大尉だった1985年、ジェドバラ部隊の戦友会を手伝ったことをきっかけに、部隊の調査をはじめる。最終的に米英仏の60人以上の元ジェドバラ隊員から聞き取りと手紙による調査をおこなった。28年以上の軍歴の半分を特殊部隊で勤務したのち、2000年1月に除隊。その後、長年の調査の結果を本書にまとめる。本書出版の時点ではフロリダ州で国防関連の仕事をしていた。

村上和久(むらかみ・かずひさ)
1962年札幌生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社編集部勤務をへて翻訳者に。訳書に『カストロ謀殺指令』『砂漠の狐を狩れ』(新潮文庫)、『ピラミッド 封印された数列』『ピラミッド ロゼッタの鍵』(文藝春秋)、『SBS特殊部隊員』『SAS特殊任務』(並木書房)、北島護名義で『SAS戦闘マニュアル』『第2次大戦各国軍装全ガイド』(いずれも並木書房)などがある。