立ち読み   戻る  

目次

1 日清戦争の平壌攻防戦と鴨緑江への追撃  9
      │日清両国には軍事力格差がありすぎた│

兵站は常に勝敗の鍵を握る/鎮台制から師団制へ。日本の軍制改革/兵器のみ西洋式に改めた清国軍/清国の将軍は日本兵を軽く圧倒できるとみていた/挟撃の脅威にさらされた大島旅団/「三路分進合撃」という理想/敗走する清国軍

朝鮮戦争と鴨緑江へのレース〈世界の陸戦1〉 25

北朝鮮の「先制攻撃」を了解した中ソ/まれに見る成功だった仁川奇襲上陸/韓国軍の統帥権を掌握した米軍/マッカーサーが無視した中国軍介入情報/経済では成功した日本統治│北朝鮮は後進国ではなかった/平壌陥落後、米軍はどうすればよかったのか?

 

2 日露戦争 得利寺の戦い  36
      │日露戦争でもっとも綺麗な勝利│

上陸戦・渡河戦を熱心に研究した帝国陸軍/ロシア軍、情報がないまま得利寺に進発/ロシア砲兵隊を沈黙させた日本軍の間接射撃/日露戦争中もっとも「奇麗」かつ「完全」な勝利

ドリナ川渡河作戦〈世界の陸戦2〉 46

戦史上、渡河作戦が失敗することはまずない/セルビア軍の穿間突撃│ヤダール渓谷の戦い/ハプスブルグ家の終焉と大セルビア帝国=ユーゴスラビア王国の誕生

 

3 旅順攻防戦  53
      │この戦いでニコライ二世は惨殺される結果になった│

「君死にたまふことなかれ」の大きな誤り/ニコライ二世の軍事のドミノ倒し理論/開戦当初からあった二〇三高地論争/乃木は旅順が欠陥要塞であると承知していた/二十世紀の戦争の実相を示した旅順攻防戦

ベルダン攻防戦〈世界の陸戦3〉 65

「攻勢に優る防禦なし」神話の崩壊/ファルケンハインのベルダン要塞攻略論/ビックバーサ(ベルタ砲)登場/ドイツの進攻を阻止したフランス

4 奉天会戦  76
      │偶然と独断専行が支配した包囲作戦│

人類史上最大の陸戦/乃木希典の独断専行/現場の決心が敵の計画を挫折させた

タンネンベルグ殲滅戦〈世界の陸戦4〉 85

史上最強の軍事同盟と謳われた露仏同盟/ロシア陸軍の前進配備/司令官の後退戦術を無視したフランソワ/緒戦のグンビネンの戦いではドイツ軍が敗北した/パリを救うにはロシア軍のベルリンへの圧力しかない/サムソノフの片翼包囲作戦/小モルトケの誤算/フランソワの再度の独断専行/「タンネンベルグ殲滅戦」に匹敵する勝利だった「奉天会戦」

 

5 支那事変の上海決戦  102
     │浸透戦術によって国府軍を殲滅した幻の決戦│

石原莞爾の失敗│上海租界全周を取り巻く陣地構築/ドイツの将軍、ファルケンハウゼンの戦争計画/中国をはるかに凌駕していた日本の国力/有効だった「傘型分隊突撃法」/日本兵一人は中国兵十人に相当する/終わるべき戦争が終わらなくなった

カポレットーの戦い〈世界の陸戦5〉 114

イタリアとオーストリア間の宿命的な戦争/第一次大戦で唯一、大突破に成功したカポレットー突破戦/上海決戦との類似点

 

6 ノモンハン事件  120
     │蒋介石支援のため鉄道敷設までしたスターリン│

軍事的に無力なモンゴルはソ連に頼るしかなかった/ソ連は二十世紀でもっとも領土拡大に成功した国家/ソ連侵略の動かぬ証拠/停止命令に従わない服部卓四郎、辻政信参謀/関東軍の独断専行を止められなかった/共産ソ連にとりノモンハン事件は初の「戦争勝利」

ブルシロフ攻勢〈世界の陸戦6〉 135

第一次大戦でロシアが生んだ最も優秀な軍人/奇襲に頼らないブルシロフの浸透戦術/ブルシロフの攻撃は大成功を収めた/帝政ロシア軍最後の大勝利

7 マレー作戦  145
     │シンガポール攻略のため中立国タイに上陸│

ヒトラーに騙された松岡洋右外相/マレー作戦を軽視していた海軍/奇襲しか考えない日本の参謀機構/防衛施設をつくらなかったイギリス軍/なぜチャーチルは要塞強化に反対したのか/人種で軍隊の強弱を論じる時代は終わった

ガリポリ上陸作戦〈世界の陸戦7〉 158

ダーダネルス海峡を突破できた艦隊は存在しない/上陸地点が自明な奇妙な上陸作戦/トルコ近代化の指導者、ケマル/精強さを実証したトルコ軍/イギリス軍はトルコ兵の闘志を軽視しすぎた

 

8 サイパン玉砕  171
     │水際防禦にも失敗、民間人保護にも失敗│

戦史上、水際防禦の成功例はまずない/東條には「マルヌ会戦」が脳裏にあった/日本軍は同じ手を何度も使って失敗する/制海権を奪われた島嶼戦は必敗である/サイパン島戦と硫黄島戦との違い

マルヌ会戦〈世界の陸戦8〉 181

片翼包囲で仏軍を追い詰める「シュリーフェンプラン」/ガリエニに託された「パリ防衛」/戦史に名を留めるクルックのターン/「貴様はフランスを信じることができないのか」

 

9 硫黄島攻防戦  192
     │玉砕しながら米軍に一・五倍の損害を与えた名将、栗林忠道│

内陸迎撃防禦の徹底/地上と地下の激戦/硫黄島激戦がもたらした戦略的成果

ノルマンジー上陸作戦〈世界の陸戦9〉 203

ヨーロッパ大陸上陸作戦の検討を開始/ロンメルの失敗│連合軍ノルマンジー上陸開始/ノルマンジー上陸作戦は「史上最小の作戦」だった

 

10 ソ連の対日参戦  213
     │八月一五日、終戦日は日本軍の戦勢は有利だった│

「皇道派」と「統制派」、陸軍二大派閥の淵源/四十年弱も続いた陸海軍の対立構造/ハワイ作戦決行は日ソ戦争開始も決定づけた/瀬島龍三参謀のジャリコーワ停戦協定/第一線の将兵に降伏を考える者はいなかった/関東軍の民間人保護には問題があった

ペタンの攻勢防禦〈世界の陸戦10〉 225

歩兵戦術の鬼才アンリ・ペタン/ルーデンドルフの浸透戦術はペタンの攻勢防禦に打ち破られた/ペタンは電撃戦による敗北を受け入れた

 あとがき  233

 



あとがき

 ナポレオン時代の小銃は、性能において火縄銃と大差がないマスケット銃で、騎兵は二の弾を受ける前に歩兵陣に突入できた。それが小銃にライフリング(施条)がつけられたり、カートリッジ(実包)が発明されたりすると、命中率や速射性が向上し、騎兵による突撃は困難になり、戦場の主役は歩兵になった。
  一八九〇年代後半からボルトアクション式小銃が実用に供された。この形式の銃は、狙撃銃としては最高峰であり、究極の小銃であった。ライフルマン、小銃(ライフル)をもつ歩兵は、この時代から現在に至るまで、機甲師団が優位を占めた第二次大戦初期を除いて、陸戦の中心である。
  戦車には突破力があり、野重砲には破壊力があっても、ある地域の民間人を保護し、敵対勢力を捜索することは不可能である。自ら決心して行動できる意思をもつ生物は人間しか存在しないのである。
  十九世紀には工業先進国は軍事上、有利であった。弾薬の製造や鉄道などの輸送手段に優れていたからである。ところがボルトアクション式小銃が普及するようになると、各国軍隊間に大きな差がなくなった。ベトナム戦争初期において北ベトナム軍が使用した小銃は、帝政ロシア軍のものであった。それでも近代装備の米軍に十分伍して戦った。
  帝国陸軍は、日清戦争以降、太平洋戦争まで幾多の陸戦を戦った。日清戦争だけは日本側の兵器が優秀であり簡単に勝利できたが、それ以降の戦争は常に対称的、すなわち敵味方とも同等の兵器をもつ戦争であった。この条件では勝敗が生じる理由は、兵士の質、参謀のつくる計画、将領の決心如何にかかってくる。
  日本軍の戦闘の特徴は、常に兵士と将領がよく戦い、エリート参謀のつくった計画が出鱈目であったことだ。日露戦争の得利寺の戦闘、旅順攻防戦、奉天会戦のいずれも日本兵の頑強な戦いぶりと将軍の決心によって勝利した。
  第一次大戦では、鉄道の発達により、それまでの攻勢側有利から、防禦側有利になった。防禦側は自国内で戦うので、鉄道による内線作戦が可能になり局地優勢を占めることができた。いったん戦線ができると膠着し塹壕戦になった。
  これを打開するため歩兵戦術に大きな革新があった。浸透戦術である。従来は、五十人程度の小隊で密集しながら横一線に突撃した。これを五人から十五人の分隊が分隊長のその場における決心で行動する方法に改めた。目標も第一線濠の占拠ではなく、通り過ごして距離の離れた野砲陣地まで(全縦深といった)続けざまに前進するようにした。
  前後が占領された第一線濠の敵兵は降伏するしかなくなる。帝国陸軍はこの方法を全面的に取り入れ、全部隊をそれに向けて教育した。支那事変の上海決戦は、浸透戦術をとる日本軍と第一次大戦緒戦ドイツ型の中国軍の戦いであり、日本が圧勝した。
  このあとの太平洋戦争は海軍の戦争であり、陸戦は島嶼戦が主であった。制海権のない島嶼にこもれば出撃できない要塞戦と同一である。兵站が断たれた要塞戦は守備側が必敗である。普通の陸軍参謀であれば、ハワイ作戦をもって日米戦が始まり、海軍が西太平洋の制海権を喪失すれば、島嶼戦に陥ることは予想できたはずである。
  だが参謀本部作戦課長服部卓四郎は海軍にハワイ作戦の了解を与えた。この人物は、戦争後半の島嶼における玉砕を推進した人物でもあった。島嶼戦は常に守備側敗北である。それでも敗北と全員戦死は別のはずである。服部は勇気なく前例に縛られ、島嶼守備隊がこれ以上の抵抗は意味がないとして、降伏する道を禁止したのである。
  服部の一の子分が、辻政信である。辻は意味のないタイ中立侵犯をなすマレー上陸作戦を策案し、瀬島龍三が上陸部隊の編成を担当した。辻はノモンハン事件においても関東軍参謀として作戦の中心にいた。さらに瀬島は関東軍将兵のスターリンによる抑留について、暗黙の了解を与えた日ソ戦、ジャリコーワ停戦協定の交渉当事者でもあった。
  ノモンハン事件、ハワイ作戦からジャリコーワ停戦協定まで、開戦時、参謀本部作戦課で机を並べたこの三人が何度も登場する。三人とも陸大卒のエリート参謀将校であり、戦後になると服部は『大東亜戦争全史』(鱒書房)という大著をものにし、辻は『潜行三千里』(毎日ワンズ)というベストセラーで一躍有名になり、衆院議員になった。瀬島はグラマン・ロッキード商戦に関与し伊藤忠商事会長にまでなっている。
  いずれも才能については疑いないが、彼らは日本と日本人を信じることができなかった。日本に国際法違反の汚名を着せ、日本人に軍事合理性のない死を強制し、当座の主義から不当な抑留を防止できなかった。三人とも無責任・無謬を主張したが、じっさいの職業については本質的なところで失敗を繰り返す日本のエリート官僚とじつによく似ているのである。
  日本の戦史は「着眼」(イニシアチブをとって奇襲する)と「計画」に固執する参謀、現場の環境に自らの意思で適応し、勇敢で頑強に戦う将軍と下級将校、下士官、兵士という構図で終始変わることがなかった。それでも世界戦史との比較でいえば、はるかに優れた戦いぶりであった。

 

別宮 暖朗(べつみや・だんろう)
1948年生まれ。東京大学経済学部卒業。西洋経済史専攻。その後信託銀行に入社、マクロ経済などの調査・企画を担当。退社後ロンドンにある証券企画調査会社のパートナー。歴史評論家。ホームページ『第一次大戦』(http://ww1.m78.com)を主宰するほか『ゲーム・ジャーナル』(シミュレーション・ジャーナル社)に執筆。著書に『中国、この困った隣人』『旅順攻防戦の真実』(PHP研究所)、『東京裁判の謎を解く(共著)』(光人社)、『誰が太平洋戦争を始めたのか』『日本海海戦の深層』(ちくま文庫)、『戦争の正しい始め方、終わり方(共著)』『軍事のイロハ』『韓国の妄言』『失敗の中国近代史』『太平洋戦争はなぜ負けたか』『「坂の上の雲」では分からない日露戦争陸戦』(いずれも並木書房)、『帝国陸軍の栄光と転落』(文春新書)がある。