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第1章 最後の砦「ワンカー」

 不快な生暖かい風が、ぬるりと頬を撫でてゆく。
  雨季に入ったばかりの東南アジア特有のどんより曇った低い空からは、いつの間にか小雨がぱらつき始めていた。
  じめじめした湿度の高い空気が全身を覆い、汗とも雨ともつかぬ水分で、シャツはいつの間にかビッショリ濡れている。不快には違いないが、焼かれるような強烈な太陽にジリジリ炙られるよりはよほどマシだった。
  少し前まで、そこは人里離れた無人の荒地だった。
  今では、小さな寺が寂しくポツンと建っている。手つかずのブッシュだけが広がっていたあたりはすでに大きく切り開かれ、開墾された広大な畑が過ぎし日の風景を一変させていた。足早に通り過ぎて行く分厚い雲を透過して降りそそぐ鈍い太陽光線は相変わらずだが、その下の風景は昔日の面影をほとんど残してはいない。相変わらずさびれたままだ。それだけはきっといつまでも変わらないのだろう。
  少し離れたところで密生している竹やぶが、風に揺られてわずかに枝を揺らしている。
  ただそれだけだった。
  それ以外に、動くものは何一つなかった。
  物音すらしない。
  現地人でさえ、このあたりにはあまり訪れることはないのだろう。
  そんな時間が止まってしまっているかのような風景の中に、その小さな寺は見事に溶け込んでいた。
  ひさしぶりにそこをひとり訪れた私の視線の先には、そんなさびれた場所に似つかわしくない大理石の碑がひっそりと佇んでいる。
  境内をゆっくり歩いていた私は、赤茶けた荒れた台地の上に建っている碑の前で歩みを止めた。
「ここも随分変わっちまったな……。なあ、みんな……」
  返ってくるはずのない返事を求めるかのように、私は誰もいない空間に向かってつぶやいた。

「自由戦士之碑」

 日本語で大きく書かれていたこの碑の裏には、三人の日本人の名前が刻まれている。
「西岡…… 岩本…… 今田……」
  だが、この小さな碑の存在を知る人間はほとんどいない。
  彼らは、軍事政権の独裁と少数民族への迫害が行なわれているミャンマーで独立闘争を展開する少数民族組織「カレン民族同盟」の軍事部門「カレン民族解放軍」に身を投じた日本人兵士たちだ。
  誰に強制された訳でもない。
  誰に押しつけられた訳でもない。
  彼らは自らの意思でこの地にやってきた。
  そして高額の報酬どころか何の見返りも求めず、黙って戦いに身を投じ、その命を捧げた男たちである。
  そして何より、私のかけがえのない大切な戦友たちでもあった。
  「おい、何だよ……相変わらずだな。掃除くらい自分でやれよ……」
  この碑を訪れる人間はほとんどいない。そのため、まわりはいつ来ても雑草が伸び放題に伸びていた。その雑草をむしり、覆いかぶさった木の幹をどかしながら、私は彼らに生きていた時と同じように心の中で語りかけていた。
「どうせ暇してんだろ……もう戦争しなくてもいいんだからよ」

 この場所の少し西には、モエイ川が南から北にゆっくり流れている。タイとミャンマーを分かつ国境の川だ。その川岸に密生している竹の揺れる枝先の向こうに見えるジャングルは、もうミャンマー領である。
  そしてその場所こそ、かつて我々が激戦に身を投じたカレン軍のワンカー・キャンプだった。
  我々はブッシュに囲まれた無人の荒野だったこの場所を通り、幾度となくワンカーとタイ領を往復していたのだ。
  そう、今自分の立っているまさにこの場所こそ、我々にとって生と死の狭間だったのだ。
  そこから先に待っていたのは、死が日常的に渦巻く世界。そこで我々は粗食と空腹に耐え、気の狂いそうな不快感をこらえ、迫り来る恐怖と毎日戦いながら、暗闇の中で不確実な生を細々とつなぎ合わせて戦っていたのだ。
  この狭間を通る時、我々はいつも心の片隅に死を意識した。どんなに強がっても、凄まじい砲撃を受けて霞んでいるワンカーを目の前にして、それを意識しない訳にはいかなかった。
  事実、実に多くの男たちが、二度と再びワンカーから生きてこちら側に戻ることはなかった。
  そんな激戦が数十年にわたり繰り返されてきたワンカーで、我々日本人兵士たちは幾度となく戦いに臨んでいった。そしてそんな戦いに明け暮れた日々の中で、我々はワンカーに大いなる怖れとともに、限りない愛着を抱いていったのである。
  その場所に碑が建てられたのも、彼らがカレン軍で一番多くの時間を過ごし、最も愛したワンカーから少しでも近くに建ててやろうという思いからだった。
「しかし、ここも静かになったもんだな……」
  降りしきる小雨がすべての音を吸収しているかのように、その場所は今や完全に静寂の中にあった。
  かつてこの場所を支配して、途絶えることのなかった銃声や砲声は、長い時を経るうちに、いつの間にか幻のように消え去っていた。
「もう一〇年になるか……ワンカーが陥落してから」
  モエイ川沿いの竹林が、急に強く吹き始めた生臭い風に揺れて、ざわつき始めた。
  だがその向こうに見えるワンカーだけは、かつて我々が死闘を繰り広げていた頃のように微動だにせず、ひっそりと佇んだままだ。
  その変わらぬ姿を遠くから眺めていた私の目の前が、急に霞んできた。
  ワンカーの輪郭がぼやけ、白煙に包まれ始める。
  耳の奥から、微かに響き始める銃声。
  その合間から、男たちの怒号が地の底から湧き上がるように飛び交い始めた。
「来るぞ、配置につけ!」
「正面だ!」
「グレネード! グレネード!」
  男たちの声がはっきりと鼓膜に響く。
  足音が錯綜し、激しい銃声が唸りをあげ始めた。
  私の記憶は十数年の時を一気に超え、彼らと過ごしていた頃のワンカーに引き戻されていた。

 


【目 次】

第1章 最後の砦「ワンカー」  5

六〇年続くカレン族の独立戦争 10
敵が動き出す瞬間をじっと待っていた 13
「見える奴から片づけろ!」 17
撃っても撃っても、湧いて来る敵兵 26
俺たちが負ける訳がない…… 36

第2章 「俺には死がお似合いや」  42

いつも何かに腹を立てていた 45
戦場に引き戻す悪魔の囁き 54
多くのビルマ人学生に慕われた 60
「ここがワンカー。ワシらの死に場所や」 65
怖いからこそ、死について語らなかった 72
戦場のダンス 75
四人が揃って戦った、たった一度の戦闘 82
「絶対負けたらあかんのや」 88

第3章 最後まで戦い続けた男  94

空挺部隊出身の物静かな男 96
「お調子者はやはり信用できなかった」 102
すぐに逃げ出す男か、それともやれる男か 107
どんなリスクにも決して背を向けない 118
「君たちが参加するのは静かなる激戦だ」 123
「日本のパスポートは捨てました」 133
最後まで敵に後ろを見せなかった 143

第4章 カレンのためなら何でもやる  153

日本人兵士たちのリーダー的存在 158
旧日本兵の顔に泥を塗る訳にはいかない 164
辛いバンカー生活 170
フランス出身の「クレイジー・ブラザーズ」 182
「日本兵の幽霊を見なかったか?」 189
執念の橋りょう爆破作戦 196
西岡は傭兵ではなく、義勇兵だった 210
「もういいよ。ゆっくり休んでくれ」 215

終章 お前たちがいたから……  225

あとがき 234

 

【あとがき】

 カレン族とビルマ族の対立の歴史は、数百年前のビルマ王朝時代まで遡る。
その頃から長い間、カレン族は支配民族のビルマ族に虐げられ、重税や強制労働に苦しめられていた。
しかし一九世紀末にビルマ(現ミャンマー)がイギリスの植民地となると、イギリスの分断統治政策によりその構図が逆転する。それまでビルマ族によって支配されてきたカレン族が優遇され、逆にビルマ人は隅に追いやられるようになった。それがビルマ族の目には、カレン族がイギリスの手先となって自分たちを苦しめているように映ったようだ。
ところが第二次世界大戦が始まり、日本軍がビルマに進攻すると、日本軍を後ろ盾にしたビルマ族が、イギリス統治時代の憎しみや怒りを込めて、カレン族を以前にも増して厳しく迫害した。
カレン族とビルマ族を取り巻く環境はこのように複雑で、憎しみあってきた長い歴史がある。ある意味、大国のエゴが彼らの状況をより複雑にしていったと言ってもよいだろう。
そして戦後、ビルマ独立の気運が高まる中、カレン族は過去の歴史から再びビルマ族が支配する国家に参加するよりも、カレン族として独立することを望んだ。そしてKNU(カレン民族同盟)を組織して、平和的手段で独立しようと試みる。
しかし一九四八年にビルマの独立はなったが、カレンは独立を果たせなかった。そればかりか、独立後ビルマ族はカレン族に対する迫害を激化させ、各地でカレン族が襲撃・虐殺される事件が相次いだ。
ここに至って、KNUは武装闘争を決意する。一九四九年一月のことだ。
以来半世紀以上、カレン族は戦い続けている。

 この本は、そんな長年にわたるカレン族の戦いに共感し、身を投じた日本人兵士たちの物語だ。
ここには私を除くと、岩本、今田、西岡という三人の男たちが登場する。
岩本は陸上自衛隊を除隊後、ラオスに渡って反共ゲリラに参加。約二年間ラオスで戦ったあと、引退を決意して日本に帰国し、警備会社に就職するが、しばらくして西岡の呼びかけに応じてカレン民族解放軍に参加した。
陸上自衛隊最精鋭といわれる第一空挺団出身の今田は、自衛隊を一任期(二年)で除隊してカレン民族解放軍にやってきた。
日本人兵士たちのリーダー的存在だった西岡は、我々の中で唯一自衛隊の経験がなかった。彼は大学を中退すると、岩本とともにラオスに渡り反共ゲリラに参加。そこで兵士としての経験を積むと、引退した岩本と別れてカンボジア、ベトナムを二年ほど渡り歩き、カレン民族解放軍に参加した。
みんな、私がカレン民族解放軍に参加した当初からともに戦った戦友だった。みんな男らしく勇敢に戦い、散っていった。
私が本書を書こうと思ったのは、何にでも見返りを求める腐ったこの世の中で、何の見返りも求めず、遠い国の少数民族のために命を懸けて戦った男たちがいたということを知って欲しかったからである。
誰にも知られることのない戦いの中で、日本人である彼らがカレン族のためを思っていかに生き、戦い、そして死んでいったのか。彼らがどんなところでどんなことをして、何を話し、何を見てきたのか。そんな、今となっては私しか知らない彼らの姿を伝えたかったからである。
ともすれば、彼らのような戦争に関わる人間はマイナスイメージが先行しがちで、批判を受けることも少なくない。その気持ちもわからないではないが、それは一面的な見方である。
自分の意志で、純粋にまっすぐ生きた彼らの姿を、本書を通じて少しでもわかってもらえれば幸いだ。
彼らは本当に、自らの命を顧みずに自分の信念に生きた男たちなのだ。

 そんな彼らを思い起こす時、ひとつの言葉が頭に思い浮かぶ。
「義をもって死すとも不義をもって生きず」
幕末の戊辰戦争で激戦となった会津戦争を、会津藩士たちはこの精神で戦い抜いたという。
これこそ、彼らにぴったりの言葉のように思えてならない。
彼らはずっと昔より迫害され続けてきたカレン族の歴史を知り、自らの尊厳のために独立を勝ち取ろうとするカレン族に正義を見出した。そしてカレン族の苦難を目の当たりにし、今、目の前の脅威にさらされている人たちの命を守れるのは俺たちしかいないという衝動に駆られて戦った男たちなのである。
戦死した敵兵に同情を寄せつつも、味方を守るために絶対に負けてはいかんと戦い続けた岩本。
そのチャンスがありながらも、陥落しそうなキャンプから逃れることを潔しとせず、最後の瞬間まで戦い続けた今田。
リーダーとして日本人兵士たちの先頭に立って戦い、自分の持てるすべてをカレンに捧げた西岡。
日本に帰れば、カレンの戦場とは比較にならないほど豊かで楽に生きる道があっただろう。しかし彼らはそんなものには目も向けなかった。カレン族の窮状を知ってしまった以上、それを見て見ぬふりをして生きることは、彼らにとって自分自身の誇りと正義に悖る行為以外の何物でもなかったのだ。
彼らはどんなに辛くても苦しくても、決して楽な道に逃げる言い訳を探そうとしなかった。どんなに大きなリスクに直面しても、決して背中を見せようとはしなかった。
みんな自分自身の信じた義と信念に、まっぐに生きた男たちだった。
要領よく生きることが当たり前の現代日本の中で、このような生き方は笑われるかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。
だが私は、愚直と言ってもいいほど不器用に、しかし自分の信念を貫いて生き抜いたこの男たちとともに過ごせたことを心から誇りに思っている。

 なお日本人兵士三人については、プライバシーに配慮して仮名を使い、顔写真に修正を加えたことをご了承いただきたい。
またこの本の執筆にあたり、多大なるご支援とご協力をいただいた並木書房の編集部ならびに針生達也氏に心から感謝したい。

最後に、これまでの苦しい戦いの中でその尊い命を捧げた多くのカレン軍兵士、外国人兵士、そして三人の日本人兵士たちの冥福を心から祈りたい。 高部正樹


高部正樹(たかべ・まさき)
1964年愛知県生まれ。高校卒業後航空自衛隊に入隊。航空機操縦士として訓練を受けるが、訓練中のケガが原因で除隊。その後80年代後半にアフガニスタンに渡りムジャヒディンの一員として実戦に参加。90年代よりカレン民族解放軍に参加し独立戦争を戦う。その後ボスニア・ヘルツェゴビナに渡り、クロアチア傭兵部隊に参加。1995年より再びカレン民族解放軍に戻る。2007年7月傭兵休業を宣言し、帰国。現在はフリーライターとして書籍や雑誌への執筆、講演や取材活動、またテレビのコメンテーターとして活動。著書に「戦争ボランティア」「戦争志願」(並木書房)、「戦争理由」(徳間書店)、「傭兵の誇り」(小学館)、「傭兵のお仕事」「今、知るべきコンバットサバイバル」「傭兵の生活」(文芸社)がある。