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目 次

はじめに 中国軍と自衛隊、この二つの奇妙な軍隊

パート1 核 戦 力

中国の核戦力  12
中国の弾道ミサイル  13
第二砲兵の配備  16
戦略原潜と潜水艦発射弾道弾(SLBM)  17
戦略爆撃機  18
日本のミサイル防衛  19
弾道ミサイルの探知  19
弾道ミサイルの迎撃  21
日本は核保有国になれるか?  23

パート2 陸上戦力 中国陸軍vs 陸上自衛隊

中国陸軍の編成  28
七つの軍区  29
集団軍の編成  30
自動車化歩兵師団の編成  30
陸上自衛隊の編成  37
拳 銃  42
サブマシンガン  45
小 銃  47
狙撃銃  50
機関銃  52
重機関銃  55
グレネードランチャー  57
迫撃砲  58
無反動砲  62
肩撃ち式対戦車兵器  64
対戦車砲/中国軍  67
対戦車ミサイル  67
野 砲  71
自走砲  74
多連装ロケット  77
高射火器  84
携帯対空ミサイル  89
短距離対空ミサイル  91
中・高高度対空ミサイル  93
戦 車  96
装甲車  102

パート3 海上戦力 中国海軍vs 海上自衛隊

中国海軍の編成と主要基地  110
海上自衛隊の編成と配置図  111
中国海軍 vs 海上自衛隊  112
潜水艦  115
駆逐艦  119
フリゲイト  128
ミサイル艇・哨戒艇  132
揚陸艦  135
対艦ミサイル  139

パート4 航空戦力 中国空軍vs 航空自衛隊

中国空軍の編成と航空基地  148
航空自衛隊の編成と航空基地  151
戦闘機・攻撃機  153
爆撃機  160
輸送機  162
空中給油機  166
早期警戒管制機・電子戦機  167
航空機搭載ミサイル  171
巡航ミサイル  178
航空用爆弾  179
ヘリコプター  181

まとめ 日中もし戦わば…


まとめ 日中もし戦わば…

●中国は明らかに軍事的な脅威である

 本書のはじめに日本の防衛費について、「世界第二位の軍事予算を使っている」と書いたが、いつの間にか日本の防衛費は中国に抜かれていた。では日本は世界第三位になったのか、というと円安のせいもあるのだろうが、最近の防衛予算削減により第五位に転落してしまった。
 自衛隊が人も予算も減らし、戦車も大砲も艦船も減らしているときに中国はどんどん軍事費を増やし、近代装備を充実させ、原子力潜水艦は日本の領海を侵犯し、あるいは尖閣諸島やわが経済水域において艦船の示威行動を行ない、あるいは卑劣な手段によってわが国外交官や自衛官から情報を盗み出すなど、日本国民を不安にさせる事例にはこと欠かない。今日本の朝野には中国脅威論が満ちている。
 さてしかし、中国と日本が軍事的に対決しなければならないようなことがあるのだろうか? 中国は脅威なのだろうか?
 筆者は断言する。中国は軍事力をもって抑止しない限り軍事的冒険に乗り出すであろうと。
 近年、日中対決のシナリオとして軍事小説などで論じられているのは、台湾侵攻にともない、作戦拠点として南西諸島を占領するとか、東シナ海の海底資源を確保するために尖閣諸島を占領するといったことだ。そうしたこともあるだろうが、それは中国の軍事的冒険がそのような形で現れることもある、ということであって、それが中国の軍事的冒険の動機ではない。
 日本人の常識的な感覚からいえば、理解不能な理由でさえ戦争は始められる。
「礼節をわきまえない小日本に懲罰を与える」
「そんな馬鹿な」と多くの日本人は思うだろうが、実際に中国はそのように言ってベトナムに侵攻した前歴があるではないか。理由など何だっていいのだ。
 もちろん中華帝国(王朝の名は秦、漢、三国時代を経て、晋〜宗、明、清、中華人民共和国と変遷してはきたが)は、周辺諸国を併呑しつつ膨張してきた歴史があるし、中国が経済成長すれば資源も食糧も現在の領土ではまかないきれず、貿易によってそれを入手しようにもその需要はあまりにも巨大であるため、競争相手を締め出した排他的中華経済圏を、かつての大英帝国のような規模で構築する必要がある、といった予想もある。
 しかし中国が軍事的膨張政策をとる、もっと単純な理由がある。
 軍産複合体の存在である。
 中国は今や資本主義国である。その金儲け至上主義は資本主義の総本山であるアメリカさえも顔色なからしめるほどのもので、金儲けのためなら人の命など問題ではない。
 その中国に、アメリカには及ばないものの巨大な軍需産業が育っている。
 軍備が拡張されるほど、軍事的緊張が高まるほど軍需産業が儲かる、という構造がすでに中国にも生まれている。社会主義体制下では、兵器生産の増加がだれかの利益になるなどということはないか、あっても論ずるほどのものではなかった。しかし資本主義化した中国では、軍需産業の利益は軍や党のおエラがたの利益になるのだ。そして、民主主義国でない中国ではこの軍産複合体の暴走を止める手段は国民にはないのである。
 だとすれば、中国の軍事的暴走を阻止する手段は何かといえば、
「軍事的冒険は利益より損害のほうが大きい」
と思わせて冒険を自制させるだけの力をこちらが持つことである。
 それ以外に中国の軍事的冒険を阻止する手段はないのであるから、日中間の戦争を防ぎ、両国民が平和に暮らすためには日本が相応の軍事力を持つことが絶対に必要なのである。

●中国の揚陸作戦能力は急速に整備されつつある

 では日本は中国の軍事的暴走を抑止し得る力、言いかえれば中国の侵略を撃退し得るだけの力を持っているのだろうか?
 持っているわけがない。中国は核保有国であり日本は非核保有国である。非核保有国はいかようにしても結局核保有国による核の恫喝の前には屈服するしかない。
 だから日本は何が何でも核装備しなければならないのだが、ここではまず両国の通常戦力について考察してみよう。
 中国陸軍一六〇万に対し日本の陸上自衛隊は一五万である。一〇倍以上の差がある。そして質においても自衛隊と大差はない。むしろ装甲化率では中国軍のほうが優っているであろう。
 筆者が若かったころ(一九七〇年代)の中国軍は、欧米先進国陸軍に比べれば全く話にならない旧式な軍隊だった。だが、その当時のことをいうならば陸上自衛隊だって、これが経済大国日本の陸軍か、と信じられないほどのボロボロの三流陸軍だった。普通科(歩兵)中隊には装甲車どころかトラックさえ満足になく、帝国陸軍のように歩くしか機動力がなかったし、砲兵火力においては一〇五ミリ砲が主力の自衛隊に対し一二二ミリ砲が主力の中国軍のほうが優っていた。陸上自衛隊が中国軍に対して質的に優っていたことなど過去から現在に至るまで一度もなかったのである。
 現在の中国陸軍と陸上自衛隊は、いずれも欧米先進国陸軍に比べ、ともに甲乙つけがたい二流の陸軍である。しいて違いをあげるならば、装甲化において中国がやや優り、ヘリコプター密度において自衛隊がやや優っている。
 さて、質的に戦闘力が等しい場合、いかな名指揮官も二倍以上の敵を相手に勝つことはできない。できるとしたら、地形の複雑な戦場で、二倍の敵を同時に相手にすることなく、わが全力をもって敵の一部を撃つ、という作戦を数回繰り返して成功させ得た場合だけである。
 もし日本と中国が陸続きで、中国軍が陸路日本に侵攻でき、その経路が山岳地帯でなく大平原であったとしたら、陸上自衛隊はあっという間に包囲殲滅されてしまうだろう。
 しかし日本は島である。戦車は海を渡れない。歩兵も泳いでは来れまい。
 では中国の揚陸作戦能力はどれくらいなのか? 中国は陸上自衛隊を撃破し得るほどの大軍を上陸させることができるのだろうか?
 現在、中国軍の保有する揚陸艦は(日本まで来るのは冒険すぎると思われるような小舟艇を除き、外洋を航行できるサイズのもののみとして)約六〇隻一三万トンである。これで三個海兵旅団一万六千余を輸送できる。
 よく「攻者三倍の原則」という言葉を引き出してきて、
「攻撃する側は防御側の三倍の兵力を集中しなければ攻撃は成功しない。日本を占領しようと思えば数十万の兵力が必要で、中国にそんな輸送力はない。中国に対日侵攻能力はない」と言う人がいる。
 そんなことはない。
 攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要だというのは、よく防御された陣地を攻める「点」の作戦の場合である。国土防衛のように長い「線」あるいは「面」を守らなければならない場合、守るほうこそ大兵力を必要とする。
 敵艦隊が東シナ海を北上していることがわかっても、それがどこに上陸するかなど上陸されるまでわからない。
「あそこに来るかもしれない、ここかもしれない、しかし意表を衝いてここかも……」と考えていたら、
「備えざる所無くば薄からざるところなし」
となり、結局敵が上陸して来た地点でそれに対処できる兵力はわずかしかないことになる。
 中国軍の海兵三個旅団をどうして軽視できるだろうか?
 これがかりに四国へ上陸したとすると、自衛隊は四国に一個旅団しか置いていない。
 九州には二個師団が置かれているが、自衛隊の師団というのは諸外国の旅団程度の規模しかないミニ師団で、二個師団で中国軍海兵三個旅団といい勝負であろう。
 しかし、敵が九州に上陸すると予想したとしても九州のどこに上陸するかは予想できない。もし「ここだろう」と予想してそこに二個師団集中して待っていれば、敵はそこをかわして別の海岸に上陸するかもしれない。
 結局、敵が上陸した地域にいた連隊(自衛隊の連隊は実質的には大隊)が抵抗して時間をかせいでいる間に主力がそこへ駆けつけるということになるのだが、そこへ中国軍空挺部隊が背後に降下して兵力の集中を妨げる。中国軍空挺部隊は三個師団あるといっても、輸送機はそう多くないので一度に降下できるのは一個師団のうちの、主力三個連隊くらいだろう。それでも、敵三個旅団をわが一個師団が迎え撃ち、もう一個師団が増援に駆けつけようとしているとき、背後に敵空挺三個連隊が降下してきたら、これは相当苦戦することになるだろう。
 また、最初に上陸してきたのが海兵三個旅団でも、これを速やかに海に突き落とすことができなかったら、後から貨物船やら徴発したフェリーやらに乗った陸軍部隊も続々とやってくる。そのため敵海兵隊は短時間のうちに壊滅しなければならず、そのためには必要なのは何といっても戦車だ。
「日本には戦車戦をやるような広い場所は北海道にしかない、日本にたくさん戦車はいらない」
などと言う人がいるが、そんなことではない。
 上陸して来た敵を短時間のうちに強引に海へ突き落とすには戦車隊の衝撃力が絶対必要なのである。
 それなのに、今日本は戦車を削減しているのだ。
 筆者に言わせれば四国の第一四旅団は機甲旅団であるべきだし(四国には機甲旅団が訓練できるような演習場がないという問題はあるが)、九州の二個師団だって、改編して三個旅団にして一個は機甲旅団にすべきだと思っている。
 さて、それにしても「中国の揚陸艦が輸送できるのは海兵三個旅団しかない」というのは現在のところではそうだと言うにすぎない。中国はどんどん軍拡しているのである。
 一九九〇年頃までは、中国の造船能力は微々たるもので、一九九四年にようやく年間百万トンを超えたが、それからは急上昇し、二〇〇〇年には二五〇万トンになった。二〇一五年には八〇〇万トンから一〇〇〇万トン/年を建造すると見られている。
 現在中国の揚陸艦の総トン数は一三万トンだが、年間一〇〇〇万トン近い造船能力の国であれば、これを二倍三倍にするのはたいして困難なことではないだろう。
 現在アメリカが保有している揚陸艦の総トン数は約百万トンだが、中国の年間造船能力が一〇〇〇万トンになったら、数年を経ずして中国がアメリカをしのぐ揚陸艦隊を作ることも夢物語ではないのである。

●日本の航空戦力の優位はあと数年で逆転する

 大量の揚陸艦を中国軍が擁したとしても、それで海を渡るのはやはり困難をともなう。わが海空軍力さえ充実していれば、いかなる大軍でも洋上で撃破できるからだ。
 やはり日本の防衛において重要なのは海空戦力である。では日中両軍の海空戦力はどうなのだろう?
 中国空軍は戦闘機や攻撃機などの作戦用航空機二千機を持っている。といっても、その大半はJ‐7やQ‐5などの旧式機で、日本のF‐15どころかF‐4戦闘機にかかっても空中標的でしかないようなものだった。それどころか、航続距離が短く、片道攻撃ならばともかく、爆弾やミサイルを搭載して、空中戦をやって帰るというと、九州も無理どころか南西諸島さえも苦しかった。
 少し新しいJ‐8U型とかJH‐7ならば南西諸島は戦闘行動半径に入るとはいうものの、これとて日本では旧式で退役しつつあるF‐4ファントムに及ばない性能の飛行機だ。それでも南西諸島ならば、やりようがないでもない。J‐7などの旧式機にミサイルを搭載せず、それで軽くすることによって航続距離を伸ばして囮として使う。どうせスクラップにする予定の旧式機だ。この大群を飛ばして日本側のミサイル・砲弾を消耗させ、そこへJ‐8UやJH‐7で那覇航空基地を攻撃する。
 航空自衛隊那覇基地というのは基地とは名ばかり、実体は旅客機が離発着する那覇空港の一角に航空自衛隊もいる、というだけのもので、とても実戦に耐えられる基地ではない。まあ、ちょっとした地下壕くらいはあるが。
 それでも中国空軍の力でなんとか制圧の可能性があるのは南西諸島くらいのもので、日本本土なんてとても無理、と思われていた。二〇世紀末までは……。
 今や中国空軍にはSu‐27/30フランカーやJ‐10戦闘機が続々就役しつつある。フランカーの機動性はF‐15イーグルに優るものがあり、その搭載ミサイルも一度これにロックオンされ発射されたならば逃れることはできないのではないかと思われるほどの強敵だ。J‐10の性能はまだ秘密のベールの中ながら、わがF‐2に迫る能力であることは確実であろう。
 そしてこれらは九州まで戦闘行動半径におさめることができる。またSu‐30MKKならば空中給油を受けることによって日本全土に脅威を及ぼし得る。
 九州まで作戦行動できるということは、上陸部隊を乗せた艦隊や空挺部隊を乗せた輸送機を援護できるということであり、そして上陸部隊が飛行場を確保できればそこから日本全土を制圧できるということである。
 本書執筆時点では、フランカーの数はまだ一〇〇機を大きく超えてはいないようだが、中国はまず二〇〇機装備を目標に拡充しつつある。J‐10も六〇機を超えたらしい。今のところはそれでも航空自衛隊のほうが優勢であるが、中国空軍が拡充されつつあるとき、航空自衛隊は削減されている。航空戦力の優位はあと数年で逆転しかねない。
 それどころか、今でさえ中国は日本に重大な脅威を及ぼし得る兵器を持っている。
 巡航ミサイルである。
 HN‐3巡航ミサイルは射程三千キロ。日本全土を射程におさめる。中国軍は開戦初日に日本の航空基地を狙って大量の巡航ミサイルを発射してくるであろう。
 もちろん、巡航ミサイルというものは低空侵入してくる航空機のようなもので、地上のレーダーでは発見しにくいが早期警戒機があれば発見しやすく、発見すれば撃墜しやすいものではある。しかし、そのためには二四時間常に早期警戒機を滞空させておかなければならない。いちおう今のE‐2Cホークアイ一三機とE‐767の4機で、できることになってはいるが、それは戦闘損耗がなければの話である。
 中国軍は開戦に先立って早期警戒機を地上で撃破すべく飛行場にゲリラコマンド攻撃をかけてくるであろう。航空機は対物狙撃銃一発の銃弾でさえ飛行不能になるおそれがある。早期警戒機は余裕を持った機数が必要だ。E‐767のような大型機にくらべてば能力は低いとはいえ、E‐2Cのように翼を折りたたんで掩体の中に隠せる機体も残存性という観点からは装備しておく必要がある。飛行船の中に早期警戒レーダーを仕込む、というアイデアも検討課題であろう。
 そもそも中国軍が巡航ミサイルを装備しているなら日本も巡航ミサイルを装備すべきである。
 巡航ミサイルを阻止するためには早期警戒機が必要だが、その面では少なくとも現在のところ日本のほうが優位にある。中国の早期警戒機はまだ数も少ないどころか試作品のようなものである。これが本格的に配備されるようになったとしても、自由自在に飛行経路を選べる巡航ミサイルから広大な中国を守るためには多数の早期警戒機を必要とし、それだけ戦闘機に回せる予算が早期警戒機に食われるということである。
 さらに、早期警戒機が探知した巡航ミサイルを撃墜するためにはルックダウン能力のある新鋭戦闘機を多数空中待機させておく必要があり、それだけ日本侵攻に振り向けられる機数が減るということである。だから実際に巡航ミサイルを撃つことがないとしても、巡航ミサイルを装備するだけで日本は有利になるのである。

●海上自衛隊の対中国戦略は根本的に間違っている

 さて海である。隻数から言えば、ミサイル艇、フリゲイト以上の主要戦闘艦艇の数は中国のほうが多いが、それらはいずれもひどく旧式なもので、その質の差は海上自衛隊とは隔絶しており、戦えば海上自衛隊の一方的な圧勝、というのが二〇〇〇年以前の日中海軍力の比較であった。
 もちろん海軍力においても、中国は急速に近代化している。しかし、日本の優位はまだしばらく続くだろう。中国は最近新鋭艦を続々就役させているとはいえ、そのどれもがどうも試作品らしく、試行錯誤しながら軍艦を建造している感じがある。日本のように技術的に完成された新鋭艦を送り出している感じではないのである。
 だが、軍艦の使命は敵の軍艦と戦うことではない。そもそも相手の軍艦とは戦わないのであれば、性能の低い艦艇でも数で優れば海を支配し、戦争を勝利に導くことができる。
「軍艦の使命は敵の軍艦と戦うことではない」などと聞くと、「そんな馬鹿な」と思う人もいるだろうが、戦車の本来の使命が敵の戦車と戦うことではないように、軍艦の本来の使命は敵の軍艦と戦うことではない。
 日清日露戦争では艦隊決戦が行なわれたが、そもそもなぜ敵の軍艦を沈めなければならないのだろうか?
 敵の軍艦を放置しておくと何が起きるのか?
 答えは、敵の軍艦を放置すると、わが民間船舶を撃沈し、あるいは拿捕してわが国の経済に打撃を与え、あるいは海上から陸上の都市や施設を攻撃することができる。そうさせないためにはこの敵艦を撃沈しなければならないわけだが、昔は軍艦を沈めるためには軍艦を使うしかなかった。そして軍艦どうしが戦うことになると数が多いほうが有利になるから、多数の軍艦を結集して艦隊決戦が行なわれた。
 しかし軍艦の性能や数で劣る側は極力艦隊決戦を避け、通商破壊に力を注いだ。
 第二次世界大戦で、アメリカは日本海軍に劣っていたわけでもないのに艦隊決戦などという無駄なことは徹底して回避し、日本の海上交通を破壊することによって日本の戦争遂行能力を破壊して戦争に勝利した。日本が終戦を決意したとき、日本海軍はまだ世界第三位の海軍国であり、多数の有力な軍艦が残っていたが、それらは燃料不足で動くことができず、それ以上に国力は疲弊し、国民は飢餓に直面していた。日本とアメリカの軍艦の性能の優劣など、この戦争の勝敗には無関係だった。
 これを見れば、中国海軍の個々の艦艇の性能が日本より劣っていたとしても、中国軍が日本に勝利することは可能なのである。標的は民間船舶だ。
 そのようなわけで、海上自衛隊の主力は「護衛艦隊」と呼ばれ、日本に資源や食料を運んで来る船を護衛することが最大の任務とされている。その船団に対する大きな脅威は潜水艦と航空機だから、護衛艦は対潜・対空能力を重視して設計される。それでも敵の水上戦闘艦が攻撃して来る可能性もなくはないから、対水上打撃能力も有してはいるものの、それは主任務とは考えられていない。
 しかし、よく考えてみよう、護衛すべき船はどこにいるのか?
 日本に資源や食料を運んで来るのはほとんど外国の船である。籍は外国でも日本の運送会社の船、というのは多い。しかしそれら外国籍の船は乗組員がほとんど外国人である。それらの船が有事の際、いくら「護衛しますから」といっても、危険を冒して日本へ来てくれるとはとうてい考えられない。
 これらの外国籍船舶に日本へ来てもらう唯一の方法は、
「敵は撃滅しました。安全ですから来て下さい」
と言うしかないのである。
 してみれば、日本が生き残るために海上自衛隊がやらねばならないことは、護衛なんぞではなく、敵海軍力の撃滅である。短期間に敵海軍力を撃滅するか、敵艦が洋上に出て来られないように港湾を封鎖するなどして、海上に敵の脅威が及ばないようにしなければならない。
 そのためには積極的な攻勢が必要であり、空母や巡航ミサイルによって敵海軍基地を破壊し、敵艦を撃沈し、機雷によって港湾を封鎖しなければならない。その方針で海軍力を整備して行かねばならないのであり、ゆえに現在の海上自衛隊のありようは根本的に間違っている。

●質でも量でも中国軍に圧倒される日が来るだろう

 従来は中国の軍事力は数こそ多いが旧式兵器ばかり、日本との質の格差は大きく、数をもってしても日本の質を圧倒できないだろうと言われていた。しかし遠からず質において大差がなく、数において圧倒される日が来るのではなかろうか?
 筆者は感じる。中国の兵器開発にかける熱意は日本をはるかに凌駕している。明治時代の日本が欧米に追いつけ追いこせと努力した熱意のようなものが今の中国にはある。庶民レベルでの中国の私企業のでたらめさかげんはひどいものだが、それをもって兵器産業を推し測ってはいけない。
 本書の原稿を書き始めたとき、当初中国軍の九八式と九九式戦車について、九八式が中国軍の主力戦車として量産されつつあり、九九式というのは新型の試作車にすぎず、試験運用・改良を加えてやがて〇八式とか〇九式という名称で制式化されるのだろうと書いていた。それが執筆も終わりに近づいたころ、九八式は試作品のようなものにすぎず、九九式こそ二一世紀初頭の中国軍主力戦車として配備が進んでいるということがわかり、あわてて原稿を差し替えた。
 試作品にすぎない戦車が何十両も隊列を組んで天安門のパレードに出ていたのだ。
 これは戦車だけにとどまらない。読者も本書を読まれて感じられたことだろうが、中国軍の兵器はなんと種類が多いことだろうか。こんなに種類が多くては補給・整備が煩雑で大変だろう、と思ったに違いない。
 技術力が低いから駄作を作って結果が思わしくなく、そこでまた次を作り、それも満足できないからまた次を作っているとも言える。
 だが、次々と新しい型の開発をすることは確実に技術力を高める。最初は先進国に笑われるようなものであっても、だんだんその技術格差は縮まっていく。
 試作品のようなものが、かなりまとまった数部隊に配備されるというのはすごいことだ。
 一両や二両ではなく数十両もの試作車が部隊で運用されるならば、数多くの問題点が短期間に見つかる。それを改善した量産型の完成度は当然高いものになる。
 日本などは一両二両、一機二機の試作品を試験しただけで部隊配備を開始するものだから、部隊に配備してからも次々と問題点が出てきて、現場の隊員から「国産兵器はだめだ」という評価を受ける。
 部隊編成ができるほどの数の試作品を作って、部隊で運用させて、試験データをとるなどということはアメリカ並みに軍事予算のある国でなければできないことだと思われていた。だが、日本の三分の一ほどの経済力の中国がそれをやっている。国民ひとりあたりGDPでは日本の三〇分の一でしかない国が日本より多くの軍事費を使ってそれをやっている。
 日本は油断していていいのだろうか?
 日本の技術力は高い、中国の技術力は低い。今はそうである。しかしそれで慢心していては、第二次世界大戦前にアメリカが、アメリカの技術は高く日本の技術は低い、と慢心していたのと同じ轍を踏むだろう。

●中国の兵器開発には熱意がある

 筆者は自衛隊生活の後半を武器補給処とか補給統制本部といった部署で仕事をしてきたので防衛産業の人間とは常に接していたが、そこで痛感したことは、日本の防衛産業には熱意がない、ということだった。
 誇りがない、とさえ言える。
 気位は高い。しかし、無能な社員が老舗の看板にあぐらをかいている。それは誇りとは言いがたい。
 なるほど、F‐2戦闘機も作った、OH‐1ヘリコプターも作った。熱意のある人間がゼロではそれはできない。しかし、少なくとも市ヶ谷の防衛庁(当時)や北区十条の補給統制本部に出入りしている防衛産業の社員には、
「ワシが社長ならこいつはクビだ」
「これが、ファストフードのお姉ちゃんより高い給料もらってるとしたら問題だ」
と思うような輩が少なくなかった。熱意も誇りもない、無能なのに気位だけが高い者が目立った。
「これがわからないでは、わが社の、いや私の恥である」
という気合いが全く見られないのだ。
 もっとも、防衛産業がそうであるというのは官側にもそれだけの気合いが、誇りが、熱意がないのでもあるし、自衛隊がそうであるのは政府や国民がそうだからでもあるのだが。
 アメリカ人は、アメリカが世界のナンバーワンだと思っており、他国の兵器のほうがアメリカの兵器より性能が優っているなどとわかったら、なにがなんでもナンバーワンの座を奪い返さねばならないと考える。
 中国人は、まだまだ中国の技術が遅れていることは自覚している。しかし「これは清朝末期以降の政治的な失敗の結果であって、本来中国は世界一の先進国であるのが当たり前、努力して何がなんでも世界最強の中華帝国を復興させねばならない」と彼らは思っている。
 日本人には、自衛隊員においてさえ、自衛隊が量はともかく質において世界最強でなければならない、最強でなければ恥である、という熱意や誇りがあるであろうか?
 GDPにおいて日本の半分にも満たないフランスにさえそうした気概はあるのに……。
 自衛隊の装備は質において中国軍をはるかに凌駕している。昨日まではそうだった。
 ある日、はじめてゼロ戦に遭遇したアメリカ兵のように、自衛隊が中国製兵器の性能に愕然とする日が来なければいいのだが。

●生き残るためには日本も核装備しなければならない

 さて、中国の軍事予算が日本の防衛費を抜いた。
 もちろん、それは日本の怠慢の結果にすぎない。依然日本のGDPは中国の三倍近いのであるから、日本の防衛費が中国の三倍であって何の不思議もない。イギリスやフランスの軍事予算が日本を少し上回っているが、イギリスやフランスのGDPも日本の半分にも満たず、三分の一に近いのだ。日本が国力相応のまともな防衛努力をしていないだけだ。
 中国の経済力は急成長しているとはいえ、日本が本気で英仏並みの、つまり常識的な程度の努力をし、質の優位を保つためにフランス人並みの気概をもってすれば、まだまだ中国の軍事的暴走を抑止し得るであろう。
 だが本当にそうか?
 中国は核保有国だ。
 日本がいかにハイテクを誇ろうと(今のようなことではそれも危ういが)、通常兵器は核兵器に対抗できない。最後には核の恫喝の前には屈服するしかない。
「だから、日米安保条約があり、アメリカの核の傘がある」
と言う人もいるだろう。
 だが筆者は断言する。
「核の傘などというものは裸の王様の服だ。人々がそこにりっぱな服があるといっているけれども、実はそんなものはないのだ」と。
 中国の核戦力は着実に向上している。中国が日本を核攻撃したからといって、アメリカが中国へ核ミサイルを発射すれば中国の核ミサイルがアメリカへ撃ちこまれる。日本人がいくら死のうと、数百万のアメリカ国民が死ぬことになるのを覚悟で日本のために核戦争をするなどということは、だれがアメリカの大統領であろうともやりはしない。
「核の傘の信頼性を高める必要があり、すなわち日米安保の信頼性を高める必要があり、そのためには安保条約を双務化し、ともに血を流す同盟関係にならなければならない」
と言う人がある。
 とんでもないことだ。
 そもそも核の傘などは存在しない。いかにしようとも存在しないものの信頼性を高めることなどできはしない。自衛隊を海外で戦えるようにし、中東あたりでアメリカ軍とともに戦い、アメリカ兵より多くの犠牲を出してやったところで、日本がアメリカのために何をしてやったところで、日本が核攻撃されたときアメリカの市民数百万を死なせる覚悟でアメリカが中国と核兵器を投げ合うなど、あるはずがない。
 核の傘を信頼できるものにする方法があるとすれば、それは発射ボタンを日本が握ることだけだ。
 アメリカがアメリカ製の核兵器の発射ボタンを日本に握らせるわけがなく、これはつまり日本が自前の核を持つしかないということだ。
 そもそも、アメリカの核抑止力に依存するということは「敵の核を抑止するためには核兵器が必要」と認めていることなのであり、必要なものならばそれは自前で持つのが当たり前ではないか。
 さて、百歩譲って、日米安保条約がある限り日本は安泰だとしようか。
 それでも、日米安保条約は日本が望みさえすれば永遠に続く、という保証があるのだろうか?
 かつて日英同盟というものがあった。
 日本はそれが続いて欲しいと思っていた。
 しかし、当時日本を敵視していたアメリカの画策によって、この同盟は破棄されてしまった。
 中国にとって日米同盟はじゃまなものである。あの手この手で破棄させようとするだろう。それはかつては日本の親共産勢力を手先に使って、日本側から日米安保条約を破棄させようとしていたのだが、今ではそうした勢力にはほとんど期待できなくなってしまった。
 逆にこれからはアメリカのほうから日米安保を破棄させるように工作が行なわれるだろう。それはひと昔前には考えられなかったことだが、中国の資本主義化によりその可能性は高まっている。中国経済が発展し、アメリカ資本が中国に投下され、合弁企業が増え、中国の利益がアメリカの多くの資本家の利益になるようになれば、アメリカが絶対的に日本の味方であり続ける保証などない。
 また、中国のGDPが向上し、対外工作に使える資金が増えればアメリカのマスコミや議員に対する買収工作も活発になるだろう。
 また、アメリカを孤立政策に向かわせることも画策されるだろう。
「世界の警察官≠ネど馬鹿げたことだ。海外の紛争などにかかわるべきではない」
という考え方にアメリカの世論を誘導する。そのために議員やマスコミを買収するのはもちろんのことだが、中東でもどこでも反米勢力を陰で支援し(表向きはアメリカと協調しつつ)、アメリカ兵の犠牲を増やし、アメリカを孤立主義に導いて行く。
 そして、ある日気がついてみれば日本はアメリカに見捨てられ、強大な中国の軍事力に単独で対峙しなければならなくなる。
 量で日本の数倍、質において格差は僅少。
 そうなったとき、中国の軍事力を抑止し得るのは核装備だけだ。
 もちろん、核は相手の核を抑止するもので、核兵器は必ずしも通常兵器の使用を抑止し得ない。しかし、核保有国相手には通常兵器による武力行使の敷居もぐっと高くなるものだ。
 冷戦時代、米ソは衛星国を使っての代理戦争はいくつもやってきたが、米ソが直接交戦することは限定的な通常兵器による衝突さえも慎重に回避されてきた。
 ソ連は国家が崩壊するに至っても、ついにアメリカとの戦争には踏み切れなかった。常識的には、国家が崩壊するような事態になれば、戦争によってそれを打開しようとするのが為政者のとる道である。核兵器を使わないでワルシャワ条約軍の電撃戦によってヨーロッパを占領することは考えられない選択ではなかったが、やはり核兵器を持った国どうしの武力対決は、核戦争にエスカレートする可能性があり、ソ連はついに戦端を開かなかった。
 この歴史に鑑みれば、日中間の戦争を抑止するため、すなわち両国の平和のために絶対に必要なものは日本の核装備である。
 さて最近、米太平洋軍司令官が訪中して中国軍事当局者と会談した際、中国側が「太平洋を東西に分割し、東側を米国、西側を中国が管理する」ことを提案したという。
 当然米国側は拒否したが、米政府内の親中派の間では提案に前向きな受け止めもあったそうだ。
 日本が望みさえすれば日米安保が永遠に続くなどという幻想を持っていてはいけない。
 日本は独立国として自立した防衛力を持たねばならない。
 ここまで書いて思い出した。一九九五年のことだったが、中国の李鵬首相がオーストラリアの首相と会談したおり、
「日本などという国はこのままでいけば二〇年後には消えてなくなる」
と発言したことがあった。
 それを我々は、日本の精神的弱さに対する単なる嘲笑ととらえていたが、事によると中国は、本気でそのように計画して着々と歩を進めているのではあるまいか。


かの・よしのり
1950年生まれ。自衛隊霞ヶ浦航空学校卒業。北部方面隊勤務後、武器補給処技術課研究班勤務。2004年定年退官。著書に『鉄砲撃って100!』『スナイパー入門』(いずれも光人社)がある。