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まえがき

 この本は、2003年3月の米英軍による対イラク戦争が「先制攻撃」であるのかどうか、日本の言論界で騒がしく取り沙汰されているさなかに、まとめられています。
 私と兵頭二十八さんは、この対談によって、日本国民にとってとても大事な問題に、整理がつけられると思いました。
 それはたとえば……
「パリ不戦条約いらい国際法が禁じている戦争とは、先制攻撃による侵略であって、フランスのイラク戦争反対はまさしくこの意味の、理性的なものだった」
「先制攻撃とは第一弾を発射することではない」
「外国から仕掛けられたテロの実行組織に反撃するのは報復であるが、その報復は正当であり必要である」
「今回のドイツの反対は、自衛戦争や国家による報復まで含めた、すべての戦争に反対したもので、非理性的な平和運動であった」
「あまりにも非人道的な統治を行なっている内政への干渉戦争は、先制攻撃となり侵略となっても許されるのではないか」
 ……などなどで、その論議の射程は「イラクの次」に来ると予期されているいくつかの想定未来戦域を、すべて覆っているだろうと確言できます。
 本書のこれ以上の性格解説については、兵頭さんの「あとがき」に譲ろうと思います。ここでは、出版界では「新人」と言われねばならぬこの私が、なぜこんなテーマについてずっと勉強を続けてきたのかを、「想い出話」のような形で説明することを、どうかお許しください。

        ◇         ◇

 今から30年ほど前、東大紛争がようやく終わった頃のことです。私は経済学部にいて、ドイツ経済史の泰斗、松田智雄先生に師事していました。先生の御宅は杉並の浜田山にあって、よく書庫の整理を仰せつかりました。
 先生の奥様は野村胡堂のご令嬢で、御宅には和漢の書籍からドイツ語の原書まで膨大な量が集積されていました。歴史学といえばマルクス主義の影響を受けたもの以外存在せず、またヒルファーディングなどの書物に没頭していた当時の私には、その御蔵書の内容は、むしろやや意外なものが多かった。
 午後4時くらいになると先生はよく応接間まで降りてこられ、アフタヌーンティーを一緒に楽しまれました。応接間からは広い、小さな噴水のある庭が見えて、貧乏学生の目を喜ばせたものです。壁にはマランツの150ワットのスピーカーがはめ込まれており、オットー・クレンペラーのワグナーがよくかかっていました。
 先生の話題は、音楽からウュルテンブルグ公国の繊維業まで幅広いのですが、ある日突然、松田先生は私にこう切り出されたのです。

「今上陛下(昭和天皇)から言われてしまった」
「え……?」
「『でも松田、動員は戦争を意味しない』と……」

 当時先生はよく歴史について宮中でご進講されていたほか、夏の避暑地ではお話し相手になることもおありであったようでしたので、そんな折の「問答」でもあったのかなと、私は漠然と想像ができたのみでした。
「動員は戦争を意味しない」とはそもそもどういうことなのか、戦後も四半世紀を閲していた昭和天皇のご胸中を忖度するなど、もちろん思いもよりません。先生も私のような学生から「正答」などもらえるとは期待しておられなかったでしょう。その話題はすぐ転じられて、それっきりとなりました。
 しかしあれから30年間、私はこの言葉の含蓄する歴史について、ずっと考えていました。

 昭和天皇が全ての戦争について消極的だったことは一貫しているのですが、唯一例外があります。
 それが1937年(昭和12)8月13日から上海で始まった戦争、すなわち日華事変でした。
 この日、上海に駐留していた我が海軍特別陸戦隊・約4000名は、中国国府軍の88師に突如、三方から包囲・猛攻され、たちまち、もし内地から救援が送られなければ、全滅か、全滅的大損害を喫して海上に屈辱的退却を図るかという、瀬戸際に追い詰められてしまいました。
 事態を把握した昭和天皇は、ただちに陸軍の動員可能な全ての内地師団を上海へ向け派遣するよう、陸軍参謀本部に求めました。
 これを現在の歴史家は、「事変拡大」の決心だ、と説明をします。
 しかし、このとき蒋介石は、周到に計算された作戦計画をもって、帝国海軍の陸戦隊に総攻撃をしかけたのです。これはどこから見ても「先制攻撃」「奇襲開戦」に他なりませんでした。
 外国軍から全滅させる企図をもって攻撃を受けた一国の正規軍が、反撃せず逃亡することなどできたでしょうか? それは今でも、国権の自殺的衰退につながる致命的意思表示となってしまうでしょう。
 かりに増援派兵が実行されても、そこで日本軍側が攻勢作戦に出ず、また蒋介石が、上海特別陸戦隊への攻撃をすぐに停止すれば、戦争は終了するのです。あくまで蒋介石の作戦計画と作戦指揮が、戦争か平和かを左右し決定していました。
 昭和天皇は、この「上海事変」が蒋介石の侵略に他ならず、したがって日本にとっては自衛戦争なのであるから全力反撃が必要で正当なのだと、確かに見抜いていたのです。そう、動員は戦争を意味しなかった……。
 歴史家は戦争についての理解が浅く、戦争は経済が原因で発生するという古い話を、まだ信じ込んでいます。じっさいには、戦争が経済に決定的な影響を与えるのです。
 また大衆も、歴史をすぐに忘れ、「反戦論」「非戦論」「平和運動」を支持します。歴史は、それらがかえって戦争を招くだけであることを、何度も証明しているのに、です。
 世の「知識人」を筆頭とするこうした浅慮の横行に、私はもう長い間、あまり驚くこともなくなっていました。
 しかし最近、もう一度だけ、驚きの声をあげざるを得なくなりました。兵頭二十八さんは、私が30年間考えたことを、すでに当然のこととして理解していました。つまり「動員は戦争を意味しない」を、他人の言葉でなく理解しているのです。
 本書の校閲を終え、歴史の真実に近づくのに、ひどく大回りしたような気持ちになっているところです。

                                  別宮暖朗


目  次

まえがき

第1章イラクと米国どっちが「侵略的」か?……………………13

フランスは「戦争に反対」したのではない  15
「侵略」には伝統的な定義がある  20
先制攻撃に反対すれば戦争を止められる?  24
「不戦」条約はあくまで大戦争の抑止が目的  30
「大国」の顔ぶれは今も変わってない  35
1923年のフランスは2003年の米国  40
フランスの「苦々しい撤退の思い出」  42
歴史の教訓に学んでいないドイツの「戦争反対」  46
満州への明白な「侵略」を容認した平和運動  48
「リットン調査団」は日本陸軍の味方だった!  54
戦前から「軍事オンチ」の日本のマスコミ  55
大国が戦争反対を唱えることは道徳的に許されない  59
「開戦」に至るまでには段階がある  62
帝政ドイツ流の「動員」即「先制攻撃」の異常  66
「偶発戦争」も「代理戦争」もありえない  69
準備も根回しもいらない米国の「新しい戦略」  71
ラムズフェルド戦略は「同盟」の意味を変えた  74
和戦を決めるのは自国内の正当な決議のみ  76
国家はテロを放置するわけにはいかない  80
「新しい戦争」の法的解釈とは?  84
宥和政策の「意図不分明さ」  86
大国には時々内政に忙しい時期がある  89
「今後10年間欧州で戦争はない」と信じられていた  92
英仏はヒトラーの「脅し」に屈した  97
平和運動がヨーロッパの安全保障能力を低下させた  101
小さな戦争で大きな戦争を食い止める  105
すべての戦争は「一方の意志だけで開始される」  110
日本人だけが平和を誓っても無力である  112
平和運動が第二次大戦を引き起こした!  114

第2章北朝鮮はこれからも北朝鮮であり続けるか?……………………………………………………121

第2次朝鮮戦争勃発で「ソウルは火の海」のウソ  123
強い方につく韓国人の人権意識  129
朝鮮戦争は中国人民解放軍が戦った  133
中国は北朝鮮を維持する覚悟である  136
中華人民共和国=大日本帝国?  141
アメリカの良い面を消したキッシンジャー外交  145
アメリカ・ショック/豆腐から「靖国」まで  149
「日中友好」と重なる「金権選挙」  152
大中国はアクセサリーを必要とする  155
「15年戦争」という呼び名はあまりにデタラメだ  159
「連続する謀略」を「戦争」と混同してはいけない  164
盧溝橋の「一発」は「戦争」に非ず!  167
蒋介石軍には全面対決への決意と準備があった  170
国際法上「侵略」にあたる中国の先制攻撃  174
「現代史の最暗部」だれも問わない中国側の侵略  177
損害賠償も経済制裁もきかぬ北朝鮮  182
北朝鮮では「ラムズフェルド戦略」は通用しない  186
これまでの謝罪外交には終止符を打つべし  189

あとがき  196


あとがき

 まず、この記念碑的共著の出版を日本で最初に引き受けてくださった並木書房に心より御礼申し上げます。

 私が別宮暖朗さんのホームページ「第一次大戦」について、友人の横浜市のK君から教えられたのは、たしか私も横浜駅東口の近くに住んでいた2001年であった。私は2002年末までインターネットには入らなかったから、最初K君は印刷出力したものを手渡してくれたのだ。これが面白いので、その後、追加の郵送もして貰ったところ、トータルの分量がものすごいと判り、全容の参照は諦めた。
 K君が検索エンジンでこのHPに辿り着いたきっかけは、ユーゴ情勢の背景の勉強のためだったようだ。が、私はなにより別宮氏の支那事変についての分析に驚いた。支那事変についてこれほど「イラストレイティブ」な、つまり、文章から「図」が見えてくるような解説は、故・宗像和広氏の仕事を除けば皆無だと感じた。これはよほど深い問題の理解を物語っている。第一次世界大戦のサイトと謳いながら、戦間期の話にも論を及ぼしているのは、自説によほど自信があるのだろう。
 さらにK君のコピーに目を晒すと、一ページごとにユニークで、一ページごとにショッキングならざるはない。現役の著述家の誰も言ってなかったような指摘が充満している。あきれつつ私は国会図書館に赴き調べてみた。すると、この別宮なる人物、過去に一冊の本も出した形跡がない。
 あるいは有名作家が「覆面レスラー」でもやっているのではあるまいかと疑って、いろいろな編集者に心当たりを打診してみたが、やはり誰も知らなかった。
 ――「奇貨おくべし!」
 超貧乏人の駈け出し作家のくせに、私は心の中で叫んでいた。
 この著者の所論は、是非とも冊子として公刊されるべきである。その冊子があちこちの図書館に収められたあとの日本の論壇は、「別宮説」がすでに公開され公知のものとなっている事実を前提に各人の主張を問うていくことになる。それで日本の言論界の水準は、私にとってはかなり我慢のし易い、幾分マトモなものになるだろう。
 斯様に確信ができたから、私は自分の著述のなかでしきりに別宮HPをとりあげるようにするとともに、知っている限りの編集者に、折りに触れ、同HPのエッセンスの冊子化を要望してみた。
 ここから少し経緯があるのだが、どうもきょうびの出版事情では、乃公が半ばプロデュースするような段取りでないと企画のハカが行かぬということが呑み込めてきたので、けっきょく私がここまでコミットするという「非常手段」に訴えてしまった。
 まあ、これで日本の出版界が、評論家・著述家としての別宮暖朗を広く認知すればよし、さもなければ、再び三たび野生が「元編集者」の微才を発揮するまでである。

 すでに「別宮ファン」の皆様、御待たせしました。
 兵頭二十八なら知っているという御奇特な貴男、これを買ってご損はないですぜ!
 そして圧倒多数の戦後左翼の方々、……覚悟しな!


別宮 暖朗(べつみや・だんろう)
1948年生まれ。東京大学経済学部卒業。西洋経済史専攻。その後信託銀行に入社、マクロ経済などの調査・企画を担当。退社後ロンドンにある証券企画調査会社のパートナー。現在歴史評論家。ホームページ『第一次大戦』(http://ww1.m78.com)を主宰するほか『ゲーム・ジャーナル』(シミュレーション・ジャーナル社)などに執筆中。

兵頭 二十八(ひょうどう・にそはち)
1960年生まれ。東京工業大学・理工学研究科・社会工学専攻・博士前期課程修了。雑誌編集部などを経て、現在は「軍学者」。主著に、『日本の防衛力再考』(『武道通信』デジタルブックシリーズ)、『軍学考』(中央公論新社)ほか。近著に、『学校で教えない現代戦争学』(並木書房)、 『ニュースではわからない戦争の論理』(PHP研究所)などがある。スカパーのFM総合放送(400ch)では毎週1時間番組「Salon 28」を担当している。